王 芝祥(おう ししょう)は中華民国の政治家。鉄珊

王 芝祥
プロフィール
出生: 1858年咸豊8年)
死去: 1930年民国19年)7月
中華民国の旗 中華民国 河北省通県
出身地: 直隷省順天府通州
職業: 政治家
各種表記
繁体字 王 芝祥
簡体字 王 芝祥
拼音 Wáng Zhīxiáng
和名表記: おう ししょう
発音転記: ワン ジーシアン
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事績 編集

清末の乙酉科挙人河南省知県、広西省知府監司を経て、1906年光緒32年)に広西按察使に昇進する。1911年宣統3年)、広西布政使に任ぜられた。[1]

辛亥革命が勃発すると、王芝祥は革命派により広西副都督に擁立されている。しかし、省内の実力者である陸栄廷の圧迫を受け、援鄂軍司令として湖南省に退出させられた。その後南京に移り、1912年民国元年)3月、第3軍軍長兼本部高等顧問官兼南京留守府軍事顧問に任ぜられている。その後、南方軍宣慰使に異動した。同年、統一共和党幹事となり、後に国民党理事となった。[1]

1924年(民国13年)11月、京兆尹に任ぜられる。翌月、北京政府僑務局総裁に転じた。翌年7月まで同職をつとめている。その後は在野で社会慈善事業に従事し、世界紅卍字会中華総会会長にもなった。晩年は故郷で暮らしている。1930年7月、病没。享年73。[1]

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  1. ^ a b c 徐主編(2007)、87頁。

参考文献 編集

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
   中華民国北京政府
先代
劉夢庚
京兆尹
1924年11月 - 12月
次代
薛篤弼