王芬
生涯編集
冀州刺史であったが、中央の腐敗や内訌を見て許攸・周旌らを誘い、霊帝を廃して合肥侯を擁立するクーデターを計画した[1]。
王芬が曹操をクーデターに誘おうとすると、曹操は伊尹・霍光・呉楚七国の乱の故事を持ち出して、これを拒絶した。また華歆・陶丘洪も誘われた。陶丘洪は計画に加わろうとしたが、華歆に「王芬の計画は失敗する。そうなれば君は一族まとめて死罪になる」と言われたため、加わるのを止めたという。
果たして計画は未遂に終わり、王芬は自殺することになった[1]。
脚注編集
- ^ a b 中国の思想刊行委員会 1994, p. 38.
参考文献編集
- 中国の思想刊行委員会 編 『三国志全人名事典』徳間書店、1994年11月。