甚吉森 (秋田県・青森県)

秋田県大館市と青森県平川市、大鰐町との境界にある山

甚吉森(じんきちもり)は、秋田県大館市青森県平川市大鰐町との境界にあるである。岩木川の最大の支流である平川の源流域にあたる[注 1]

甚吉森
日景温泉近くから見た甚吉森
標高 800.3 m
所在地 日本の旗 日本
秋田県大館市青森県平川市大鰐町
位置 北緯40度26分10.1秒 東経140度35分22.9秒 / 北緯40.436139度 東経140.589694度 / 40.436139; 140.589694 (甚吉森)座標: 北緯40度26分10.1秒 東経140度35分22.9秒 / 北緯40.436139度 東経140.589694度 / 40.436139; 140.589694 (甚吉森)
甚吉森 (秋田県・青森県)の位置(日本内)
甚吉森 (秋田県・青森県)
甚吉森の位置
プロジェクト 山
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甚吉森はこの地図の中央最下部付近。

地理 編集

甚吉森は大鰐山地と呼ばれる山塊の東部にある[3][注 2]。この山塊では、西から万左衛門山(標高665メートル[注 3])、大日影山(標高820メートル)、甚吉森、炭塚森(571メートル)、馬糞森山(標高785.5メートル)などが連なっている[3]。これらの稜線は、青森県側の岩木川水系と秋田県側の米代川水系の分水嶺になっている。

地質 編集

主に第三紀に由来する緑色凝灰岩から成る[3][注 4]

地形 編集

一帯は標高差が400メートルから600メートル程度の中起伏山地である[3]。このうち北山麓、南山麓、東山麓がそれぞれ川による開析が進んでいる[3]。とくに北側は岩木川の三次支川[注 5]島田川によって侵食され、北西側では小起伏山地になっている[3]。東側は岩木川の二次支川[注 6]湯ノ沢、南側は米代川の二次支川[注 7]の源流の沢が入り込んでいる[3]

自然 編集

一帯の低標高域は天然林の伐採が行われた結果スギやカラマツなどの人工林は多いのに対し[4][注 8]、山頂付近の青森県側にはブナミズナラの森が広がっている[3]

歴史 編集

江戸時代、碇ヶ関御関所の脇道番所が早瀬野と島田(大鰐町)の甚吉峠にあり補助的な役割を果たしていた[8]

地誌 編集

甚吉森から南東側の炭塚森へと続く稜線の鞍部に矢立峠が通じている。矢立峠は羽州街道の要地の一つで、江戸時代には津軽藩の「津軽三関」の一つに数えられていた[注 9]

甚吉森の西斜面には湯ノ沢温泉(青森県)、日景温泉矢立温泉(秋田県)が沸く[3]。北斜面では、島田川の中流に島田温泉が開かれている。

登山 編集

秋田・青森県境を甚吉森、大日影山、縫戸山と続く「白神矢立登山道」の最も北に位置する山である。甚吉森、大日影山、縫戸山を「矢立三山」とも言う。山頂は広い草地の広場になっているが、周囲の樹木のため、展望は良くない。山頂付近はどちらの方向の登山道も、ブナ林の中の急な坂になっている。

矢立温泉日景温泉道の駅やたて峠からの登山道も整備されている。また矢立峠周辺の登山道には遊歩道や四阿、展望台などが整備されている。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 平川の源流をどことみるかは資料によって異なっている。『岩木川物語』(1966)では甚吉森を源流としている[1]。このほか、『角川日本地名大辞典2 青森県』(1985)では柴森、国土交通省・青森県の文書では炭塚森(571m)東の坂梨峠に発する遠部沢を「源流」としている[2]
  2. ^ 山地系の呼称や範囲は時代や資料によって異なる。広義の白神山地のうち、岩木川源流の湯ノ沢川より東側を大鰐山地と呼ぶ[4]。資料によっては白神山地の範囲を湯ノ沢川の西側とし(狭義の白神山地)、大鰐山地とは完全に区別するものもある
  3. ^ 国土地理院地図では、同山の付近に、北側の標高704メートル地点と南側の654メートル地点に基準点が記されており、このうち704メートル地点側に山名を記してある。704メートル地点の西640メートルほどの地点に標高665メートルの基準点がある。ここでは『青森県百科事典』に書かれた「665メートル」を採用する。
  4. ^ 一般に、この一帯の山地は第三紀系の泥岩や粘板岩から成っている。これらの基盤は水の浸透を妨げるうえ、この地域は多雪地帯であるので、表土は水を多く含む。これがブナの生育に適している。一方、水が多いことで地すべりも起きやすく、地すべり面には粘土が形成されるためにまた水を浸透させにくくする[5]。学術的には、大鰐山地、白神山地はいずれも出羽山地の一部と位置づけられている。日本列島の形成史から見ると、東北地方を南北に縦断する3本の山塊、すなわち、太平洋側の北上山地、中央部の奥羽山脈、日本海側の出羽山地では、出羽山地は一番新しい。つまり最後に海底が隆起してできたもので、おおよそ第三紀の末頃に隆起を開始し、第四紀に激しく隆起したものである。新しいぶんだけ侵食が全体にはじゅうぶんに進んでおらず、谷は険しい。一帯の山地は、緑色凝灰岩に起因する地すべりが多発することで山体の開析が行われている[6]
  5. ^ 一次支川は平川、二次支川は虹貝川
  6. ^ 一次支川は平川
  7. ^ 一次支川は長木川
  8. ^ このあたりはスギの北限でもある[7]
  9. ^ あとの二つは、南部藩との間にある旧野内村(現・青森市)の野内の関所、久保田藩との間、日本海に面する旧岩崎村(現・深浦町)の大間の関所[9]

出典 編集

  1. ^ 『岩木川物語』p52-57「平川及びその支川」
  2. ^ 『津軽平野と岩木川のあゆみ 岩木川治水史』p43-64
  3. ^ a b c d e f g h i 『青森県百科事典』p460-461「甚吉森」
  4. ^ a b 『青森県百科事典』p156-157「大鰐山地」
  5. ^ 『新日本山岳誌』p140-142「東北地方の山地の自然的特色」
  6. ^ 『日本の地形3 東北』p242-252
  7. ^ 『津軽平野と岩木川のあゆみ 岩木川治水史』p20-24「林相と植生」
  8. ^ 斎藤祐一『碇ケ関村史』、1986年、p.78
  9. ^ 『日本歴史地名大系2 青森県の地名』p412-415「碇ヶ関村」「矢立峠」「碇ヶ関番所跡」

参考文献 編集

関連項目 編集