田中省吾 (内務官僚)
田中 省吾(たなか しょうご、1896年(明治29年)1月31日[1] - 1967年(昭和42年)10月9日[2])は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事。
経歴
編集岐阜県出身。田中梅之助の長男として生まれる[1]。東京高等師範学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格[3]。1924年、京都帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し土木局属となる[1][3]。
以後、長野県警察部特別高等警察課長、同警務課長、大阪府警察部特別高等警察課長、内務事務官(欧州駐在)、千葉県書記官・警察部長、愛知県書記官・警察部長、内務省土木局道路課長、同河川課長などを歴任[1]。
1942年5月、佐賀県知事に就任。戦時体制の整備に尽力。1944年8月、農商省生活物資局長に転じた[1]。農林省食品局長を経て、1945年10月に香川県知事兼四国地方行政事務局長に就任し、戦後の復興に尽力。1946年1月に知事を退任[4]。公職追放となり退官した[3]。
その後、横浜市助役、横浜商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭、横浜貿易促進会会長、横浜銀行取締役、鶴見振興 (株) 社長などを務めた[4]。
なお、現職の半井清と保守分裂となった1963年4月の横浜市長選挙に自由民主党公認で立候補するも、日本社会党公認の新人候補飛鳥田一雄に敗れ、次点となった半井清の後塵を拝することとなった[5]。
脚注
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
ビジネス | ||
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先代 半井清 |
横浜商工会議所会頭 第14代:1959 - 1963 |
次代 李家孝 |