田中秀雄 (陸上選手)

日本の中距離走選手

田中 秀雄(たなか ひでお、1909年(明治42年)9月2日[2][注釈 1] - ? )は、日本の陸上競技長距離走)選手。長野県出身。昭和初期に3000m障害の第一人者と目された選手で、同種目での日本選手権優勝3回。3000m障害・1500m走で日本記録を保持していた。1936年ベルリンオリンピックに5000m走と3000m障害で出場。また、中央大学在学中に箱根駅伝に出場し区間賞を獲得している。競技引退後は信濃毎日新聞記者となり、地域の陸上競技振興にたずさわった。

田中 秀雄 Portal:陸上競技
選手情報
ラテン文字 Hideo TANAKA [1][2]
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技 (長距離走)
種目 1500m5000m3000m障害駅伝競走
大学 中央大学
生年月日 (1909-09-02) 1909年9月2日
生誕地 長野県下伊那郡智里村
(現・阿智村
身長 164cm(1933年)[3]
体重 57kg(1933年)[3]
自己ベスト
1500m 3分58秒0(1935年)[4]
5000m 15分10秒0(1936年)[5]
3000mSC 9分32秒8(1937年)[5]
編集 テンプレートのヘルプを表示する

生涯 編集

長野県下伊那郡智里村[3](現在の阿智村[6][7]智里東地区[8])出身。小野川小学校[3](現在の阿智村立阿智第三小学校[9])を経て、下伊那農学校(現在の長野県下伊那農業高等学校[6][3]に学ぶ。風越山(現在の飯田市)で行われた登山マラソン[注釈 2]で優勝し、競技人として生きることを決意したという[10]

1932年(昭和7年)、日本陸上競技選手権大会[注釈 3]の男子3000m障害で優勝[11](所属は「長野青年」[11])。記録は9分57秒4で[11][3]、当時の日本記録であった[3]。同年、「フィンランド選手対抗競技」で優勝し(9分52秒4)、自己記録更新[3]。3000m障害の第一人者と目された[3]

中央大学に進学[6]箱根駅伝に第15回大会(1934年)から第18回大会(1937年)まで連続出場しており[12][13][14]、第15回大会(1934年)では10区区間賞となっている[13]

1934年(昭和9年)9月16日、日米対抗近畿大会(甲子園)で男子1500mの日本記録を更新(4分00秒4)[4]。1934年(昭和9年)10月21日、日本陸上競技選手権大会(甲子園)男子3000m障害で優勝(9分52秒4、日本学生記録)[11][15]

1935年(昭和10年)5月5日、関東選手権(神宮)の男子3000m障害で9分44秒8の日本記録を出す[15][注釈 4]。同年5月25日には日本学生陸上競技対校選手権大会(甲子園)において自らの男子1500mの日本記録を更新(3分59秒2)し[4]、同年6月20日の学生対比島大会(神宮)でさらにその記録を縮めた(3分58秒0)[4][注釈 5]

1936年(昭和11年)にも日本陸上競技選手権大会男子3000m障害で優勝(9分40秒2)[11]

1936年ベルリンオリンピック日本代表選手に選ばれ、男子5000メートル競走、男子3000メートル障害に出場(1936年ベルリンオリンピックの陸上競技)。5000メートル走では記録なし、3000メートル障害では10分00秒4で、いずれも予選通過はかなわなかった。

競技引退後は、信濃毎日新聞の記者となった[10]。第二次世界大戦後も、長野県縦断駅伝競走に関わるなど[16]、陸上競技の振興にたずさわった。

2011年時点で故人[16]

記念 編集

飯田市で行われる風越登山マラソン大会の虚空蔵山コース総合優勝者には、田中秀雄にちなんだ[10]「田中杯」が授与される[17]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 『日本スポーツ人名辞典 昭和8年版』では明治42年8月2日生まれ[3]。ただしこの辞典は田中の出身地を「知里村」とするなど誤字等も少なからずある。
  2. ^ 出典(飯田市長の定例記者会見)[10]によれば「昭和元年」の「第1回風越登山マラソン大会」で優勝したのが競技人として生きる転機とされる。現在行われている風越登山マラソン大会は大正時代にルーツを持つとされ、1948年(昭和23年)を第1回大会として開催されている。
  3. ^ 1932年ロサンゼルスオリンピック予選を兼ねる大会[3]
  4. ^ この日本記録は1935年11月3日に今井哲夫によって破られた[15]
  5. ^ この日本記録は1936年8月23日に中村清によって破られた[4]

出典 編集

  1. ^ Japanese Delegation of Athletics Team : Rio de Janeiro 2016」(PDF)、日本陸上連盟、2016年、2019年10月10日閲覧 
  2. ^ a b HIDEO TANAKA”. IOC. 2019年10月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 日本スポーツ協会 1933, p. タ部9.
  4. ^ a b c d e 日本学生記録の変遷 男子1500m”. 日本学生陸上競技連合. 2019年10月15日閲覧。
  5. ^ a b Hideo Tanaka Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月24日閲覧。
  6. ^ a b c 長野県出身陸上オリンピック代表”. 長野県陸上競技連盟. 2019年10月15日閲覧。
  7. ^ オリンピック出場選手 長野県関係”. 長野県スポーツ協会. 2019年10月15日閲覧。
  8. ^ 阿智村定例議会(平成29年12月8日)村長あいさつ”. 阿智村 (2017年12月8日). 2019年10月15日閲覧。
  9. ^ 学校沿革”. 阿智第三小学校. 2023年2月24日閲覧。
  10. ^ a b c d 平成28年7月 第一回定例記者会見”. 飯田市市長公室. 2019年10月15日閲覧。
  11. ^ a b c d e 男子3000mSC 過去の優勝者・記録”. 日本陸上競技連盟. 2019年10月10日閲覧。
  12. ^ 田中 秀雄”. 箱根駅伝公式Webサイト. 関東学生陸上競技連盟・読売新聞社. 2019年10月15日閲覧。
  13. ^ a b 箱根駅伝 1931年~1935年”. 中央大学駅伝応援サイト. 中央大学. 2019年10月15日閲覧。
  14. ^ 箱根駅伝 1936年~1940年”. 中央大学駅伝応援サイト. 中央大学. 2019年10月15日閲覧。
  15. ^ a b c 日本学生記録の変遷 男子3000mSC”. 日本学生陸上競技連合. 2019年10月15日閲覧。
  16. ^ a b “未来へつなぐたすき(5)-2=大町北安曇 若手育成、地元で大会”. 信濃毎日新聞. (2011年11月2日). https://www.shinmai.co.jp/ekiden2011/2011/11/post-12.html 2019年10月15日閲覧。 
  17. ^ 第65回風越登山マラソン大会~目指せ飯田の山の神!!~”. 飯田市 (2019年10月9日). 2019年10月15日閲覧。

参考文献 編集