田中 養達(たなか ようたつ、1885年明治18年)6月12日[1] - 1956年昭和31年)10月3日[2])は、日本の衆議院議員憲政会立憲民政党国民同盟東方会)、産婦人科医

田中養達

経歴 編集

滋賀県犬上郡南青柳村(現在の彦根市)の今村家に生まれ、田中貞蔵の養子となった。1907年(明治40年)に愛知医学専門学校(現在の名古屋大学医学部)を卒業し、さらに京都帝国大学産婦人科教室で研究を重ね、坂田郡米原町(現在の米原市)に産婦人科医院を開業した。坂田郡会議員、滋賀県会議員、同参事会員を歴任。

1926年大正15年)の衆議院滋賀6区(小選挙区)の補欠選挙で初当選[3]第20回衆議院議員総選挙に至るまで5回当選を果たした。

1942年昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙)では非推薦で落選。戦後は公職追放となった[4]

出典 編集

  1. ^ 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、18頁。
  2. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  3. ^ 『官報』第4113号、大正15年5月12日。
  4. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、655頁。NDLJP:1276156 

参考文献 編集

  • 『滋賀県人物名鑑 下巻』滋賀日出新聞社、1931年。 
  • 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。