田口房富
田口 房富(たぐち の ふさとみ)は、平安時代初期の貴族。姓は朝臣。図書権助・田口年勝の子とする系図がある。官位は正五位下・美濃守。
経歴編集
仁明朝では左衛門権佐を務め、在職中に以下の活動記録が残っている。
- 承和6年(839年)伊勢斎宮で火災が発生し官舎100余棟が焼失した際、斎内親王(久子内親王)を慰問するために派遣された[1]。
- 承和7年(840年)淳和上皇が崩御した際、鈴鹿関の固関のために伊勢国へ派遣された[2]。
承和8年(841年)従五位上に叙せられ、仁明朝末の嘉祥2年(849年)美濃守として地方官に転じる。
文徳朝の仁寿3年(853年)正五位下に叙せられる。斉衡2年(855年)推訴使として日向守・嗣岑王の元に派遣されるが、同年閏4月に兵を発した嗣岑王に殺害された。
官歴編集
『六国史』による。