田口耕三

日本の脚本家

田口 耕三(たぐち こうぞう、1928年8月11日[1] - )は日本脚本家東京都中央区京橋出身[1]

たぐち こうぞう
田口 耕三
別名義 田口耕
生年月日 (1928-08-11) 1928年8月11日(94歳)
出生地 東京都中央区京橋
国籍 日本の旗 日本
職業 脚本家
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1962年 -
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経歴編集

生家は、祖父が当時京橋にあった大根河岸と呼ばれる青果市場に構えていた問屋を経営していた[1]。子供の頃からその祖父に連れられて歌舞伎新派の芝居を観に行き、その舞台裏までも見聞き出来たという[1]暁星中学校に在学した[1]後、海軍兵学校舞鶴校に77期として入学[1]。海軍兵学校入学後約半年で太平洋戦争終戦を迎える[1]慶應義塾大学文学部仏文科卒業[1]1951年に大映に入社しプロデューサーや脚本を担当[1]。大映倒産前にフリーとなりテレビドラマを中心に活躍。その後逸見稔が立ち上げた創作作家集団SHP・葉村彰子柴英三郎大西信行櫻井康裕らと担当[2]

出典・参考文献編集

  • 『映像メディア作家人名事典』日外アソシエーツ、1991年11月12日、351頁。ISBN 4816911111 

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h i 週刊テレビ番組(東京ポスト)1988年5月20日号「脚本家の横顔 田口耕三・その1」69頁、1988年5月27日号「脚本家の横顔 田口耕三・その2」69頁
  2. ^ 逸見稔 『黄門様はテレビ好き』近代映画社、1993年、262-265頁。ISBN 4-7648-1727-6 

外部リンク編集