メインメニューを開く

田村 通顕(たむら ゆきあき)は、江戸時代後期の大名陸奥一関藩第9代藩主。のちに陸奥仙台藩主・伊達慶邦の養嗣子となり、伊達 茂村(だて もちむら)と改名した。

 
田村 通顕/伊達 茂村
Tamura Yukiaki.jpg
田村通顕像(仙台市博物館蔵)
時代 江戸時代後期(幕末
生誕 嘉永3年6月8日1850年7月16日
死没 慶応3年6月16日1867年7月17日
改名 田村通顕→伊達庸村→茂村
別名 磐二郎、総二郎、藤次郎
墓所 大年寺宮城県仙台市太白区
官位 従四位下、美作守、侍従
幕府 江戸幕府
陸奥一関藩第9代藩主→陸奥仙台藩世子
氏族 田村氏伊達氏
父母 父:田村邦行、母:側室・岡田氏
養父:伊達慶邦
養子:邦栄石川義光の子)

生涯編集

嘉永3年(1850年)6月8日、陸奥一関藩第8代藩主・田村邦行の長男として一関館にて生まれる。幼名は磐二郎

安政4年(1857年)5月12日、父・邦行の死去にともない家督を相続し、第9代藩主となる。文久3年(1863年)、跡取りのいなかった宗藩・陸奥仙台藩伊達慶邦の養嗣子として迎えられることになり、急遽、一関藩主および田村家の家督を譲る養子を迎える必要に迫られた。はじめ一門亘理伊達氏当主・伊達邦成を迎えようとしたが、亘理の家老・常盤顕允らの猛反発に遭って断念し、代わりに同じく一門の角田石川氏から石川義光の子・啓之進を迎えた。これが第10代藩主・栄顕(邦栄)である。

こうして10月9日、通顕は慶邦の養子となり、伊達庸村(つねむら)と名乗り(慶邦の初名・寿村から「村」の一字を与えられた)、同年12月19日、将軍・徳川家茂に御目見し、偏諱を賜って茂村に改名。従四位下侍従・美作守に叙任されたが、茂村は慶邦に先立って慶応3年(1867年)6月16日、江戸の浜屋敷にて死去した。享年18。

参考文献編集

  • 『一関市史』第一巻(岩手県一関市、1978年)