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田知本 遥(たちもと はるか、1990年8月3日 - )は、富山県射水市出身の日本人の元女子柔道選手。階級は70キロ級。身長167cm。握力は右30kg、左30kg。バスト96cm。リーチ174cm。血液型はA型。得意技は大外刈寝技組み手は左組み。段位は五段[1][2][3]。姉は78kg超級で活躍していた田知本愛。現在は綜合警備保障に所属している[4]

田知本 遥
基本情報
ラテン文字 Haruka Tachimoto
日本の旗 日本
出生地 富山県射水市
生年月日 (1990-08-03) 1990年8月3日(28歳)
身長 167cm
選手情報
階級 女子70kg級
所属 綜合警備保障
段位 五段
引退 2017年10月
 
獲得メダル
日本の旗 日本
女子 柔道
オリンピック
2016 リオデジャネイロ 70kg級
世界団体
2013 リオデジャネイロ 70kg級
2011 パリ 70kg級
2014 チェリャビンスク 70kg級
ワールドマスターズ
2012 アルマトイ 70kg級
グランドスラム
2010 東京 70kg級
2012 パリ 70kg級
2015 チュメニ 70kg級
2015 パリ 70kg級
2011 モスクワ 70kg級
2012 東京 70kg級
2014 東京 70kg級
2016 パリ 70kg級
2011 東京 70kg級
2014 パリ 70kg級
グランプリ
2010 チュニス 70kg級
2010 ロッテルダム 70kg級
2011 アブダビ 70kg級
2013 マイアミ 70kg級
アジア柔道選手権
2011 アブダビ 70kg級
世界ジュニア
2008 バンコク 70kg級
2009 パリ 70kg級
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目次

経歴編集

小学生時代編集

小杉小学校2年の時に何か習い事をしたくなったところ、柔道経験者の父親とのコミュニケーションを図ってほしいという母親の配慮により柔道を勧められて、姉の愛と一緒に小杉少年柔道クラブで柔道を始めた[1][5][6]。しかしすぐに違和感を覚えて、友達が習っているピアノをやりたいと思ったが許されず、とりあえず小学校卒業までは柔道を続けることになった。道場では週2度ほどの練習だったが、稽古は気が進まず、試合となると嫌で堪らなかったという[1][7]。それに加えて、家では全国中学校柔道大会の団体戦で小杉中学が初優勝した時の主将だった父からも家族ぐるみで柔道を教わっていた[1]。技を次々と習得すること自体は楽しかったという。飲み込みの早さを父親も感心していたように、やればすぐできる子供だった[5]。また、クラブの指導者の話によれば、「いいかげんなことを嫌う性格」だったこともあって練習には全力で取り組み、性別を問わない大会でも上位に食い込むことがあったという[8]。なお、田知本の父親はリオデジャネイロオリンピックの女子レスリング48kg級で金メダルを獲得した登坂絵莉の父親と高岡第一高校時代の同級生で、中学時代には柔道で対戦した経験もあった[9]

中学時代編集

中学に入学したら柔道をやめて陸上競技に取り組みたいと思っていた。しかし、小杉中学へ入学前に父親に連れられて姉が所属する柔道部に見学へ行くと、柔道部員として迎えられる雰囲気がすでに整っており、その後父親の説得もあって、結局中学でも柔道を続けざるを得なくなった[7][10]。中学では指導者の朽木淳司から寝技を徹底的に仕込まれた。ここでは特に三角絞めの体勢からの攻撃を得意にしていった。1年の時には8月の全国中学校柔道大会の63kg級で早くも3位になった。2年の時には決勝まで進むが、その後暫くライバル関係が続くことになる六合中学3年の上野巴恵に大外刈で敗れて2位だった。3年の時は階級を70kg級に上げるものの5位にとどまった[1]

高校時代編集

小杉高校に進むと、柔道部監督の二瀬寛之を指導を受けることになった。高校時代は男子選手と一緒に練習するなど他の女子選手とは少し違うメニューに自発的に取り組むことになった[5]。1年の時には7月の金鷲旗と8月のインターハイ団体戦で姉の愛とともに活躍して優勝を勝ち取るが、個人戦の70kg級では決勝で旭川南高校2年の上野に大外刈で敗れた[1]。中学時代から個人戦で優勝することを目標にしていたので団体戦で勝っても嬉しくなかったという[5]。2007年2月に初のシニアの国際大会であるベルギー国際に出場すると、後の北京オリンピック78kg級で2位となるキューバのヤレニス・カスティージョを有効で破って、78kg超級で優勝した姉の愛との姉妹優勝を果たした[11]

2年の時には7月の金鷲旗で3位だったが、8月のインターハイ団体戦では2連覇に大きく貢献した。しかし個人戦では決勝でまたも上野に支釣込足で敗れて2位に終わった。11月のアジアジュニアでは優勝を飾った[1]。2008年2月のベルギー国際では予選リーグで世界選手権2位であるアメリカのロンダ・ラウジーを大外刈で破ると、決勝でもカスティージョを横四方固で破って2連覇を達成した[12]

3年の時にはインターハイ団体戦の県予選で敗れて全国大会に出場できなかった。個人戦は県大会で優勝したものの北信越高等学校体育大会で2位にとどまった。その悔しさから男子選手数名を相手に連続して乱取りを行うなど厳しい稽古に取り組んだが、辛さのあまり道場を逃げ出したこともあった。それでも個人戦ではようやく優勝を果たした[1][5]。なお、この時期は高校を卒業したら大学へ進むか実業団入りするかで悩んでいた。そんな時、北京オリンピックの78kg超級決勝で塚田真希が地元中国のトウ文を相手に有効ポイントでリードしながらも逃げずに攻め続けて、終了間際に逆転の一本負けを喫した試合を見て、「逃げ切れば勝てたのに、塚田先輩はそうしなかった。正解だったかどうか分からない。でも、感動した」と、心を動かされた。そこでぜひとも塚田と同じ大学でやってみたいと思い至って、東海大学への進学を決意したという[7][13]。 続いて9月の全日本ジュニアでも優勝した。10月の世界ジュニアでは準決勝まで全て一本勝ちすると、決勝ではブラジルのマイラ・アギアルを指導3で破って、78kg超級で優勝した姉の愛とともにアベック優勝を飾った[14]。2009年2月のワールドカップ・ウィーンでは準決勝でライバルの上野を指導3で破って初勝利を上げるが、決勝で自衛隊体育学校國原頼子袖釣込腰で敗れて2位だった[1]

大学時代編集

2009年には東海大学に進むと、1年の時には5月のフランスジュニア国際で優勝した[1]。6月の優勝大会で姉とともに活躍するものの2位にとどまった[2]。7月のグランドスラム・リオデジャネイロでは準々決勝でフランスのリュシ・デコスに大外刈で敗れて5位だった[2]。10月の学生体重別では姉とともに優勝を飾った[2]。続く世界ジュニアでは準決勝でスロベニアのアナマリ・ベレンシェクに有効で勝利した以外は全て一本勝ちして2連覇を達成した[15]。11月の体重別団体では5位にとどまった[2]。2010年1月のワールドカップ・ソフィアでは決勝で大学の5年先輩にあたる了徳寺学園職員の今井優子に指導2で敗れて2位だった[2]

2年の時には5月のグランプリ・チュニス決勝でスロベニアのラシャ・スラカ上四方固で破るなど、オール一本勝ちしてIJFワールド柔道ツアーの初優勝を果たした[2]。6月の優勝大会では姉とともに活躍するものの、昨年に続いて2位にとどまった[2]。10月のグランプリ・ロッテルダムでは決勝でイタリアのエリカ・バルビエリを大外刈で破って優勝した[16]。10月の学生体重別では3位、体重別団体では5位にとどまった[2]。11月の講道館杯では決勝で國原に背負投で敗れて2位だった[2]。12月のグランドスラム・東京では決勝でオランダのエディス・ボッシュを指導2で破り、78kg超級で優勝した姉の愛ともども、2008年の世界ジュニアに続いて国際大会での姉妹優勝を果たした[6][17]。2011年1月のワールドマスターズでは準々決勝でデコスに一本背負投の技ありで敗れて5位だった[2]。2月のグランドスラム・パリでは準々決勝でボッシュに大外返で敗れて5位にとどまると、続くグランプリ・デュッセルドルフでも2回戦で地元ドイツのイリアナ・マルツォックに大内刈で敗れた[2]

3年の時には、4月の体重別と同時期に開催されたアジア選手権に出場するも、決勝で韓国の黄藝瑟に指導2で敗れて2位だった。団体戦では姉の愛とともに優勝に貢献した。なお、世界選手権には体重別で優勝した國原とともに選ばれた[18]。5月のグランドスラム・モスクワでは決勝でボッシュに大内刈で敗れた[2]。6月の優勝大会では3位だった[2]。8月には世界選手権に出場するものの3回戦でキューバのオニックス・コルテスに有効で敗れた。団体戦では決勝のフランス戦でデコスと対戦すると、相手の大内刈で有効を取られたが、この際に電光掲示板に思い切り激突したことで掲示板が破壊されて、試合が一時中断する事態となった。その後反撃ならず敗れてチームも2位にとどまった[19][20]。10月のグランプリ・アブダビではフランスのマリー・パスケを上四方固で破って優勝を飾った[21]。続く体重別団体では3位にとどまった[2]。11月の講道館杯では3位だった[2]。12月のグランドスラム・東京では準決勝で上野に指導2で敗れて3位に終わった[22]。2012年1月にはワールドマスターズに出場するが、準決勝でドコスに背負投で技ありを取られて3位に終わった。2月にはグランドスラム・パリに出場すると、準決勝でオリンピック代表争いをしている世界3位の國原からGSに入って内股で一本勝ちすると、決勝では世界チャンピオンである地元のデコスを2-1の判定ながら破って、78kg超級で優勝した姉の愛ともども姉妹優勝を果たした。この試合に関して、「パリ大会で、私を見る周りの目が変わった気がする。監督やコーチに最高のアピールができた」と語っている[23][24][25]

4年の時には5月の選抜体重別決勝で、國原を準決勝で破った環太平洋大学3年のヌンイラ華蓮を指導2で破って初優勝を飾り、ロンドンオリンピック代表に選出された。なお、この大会の準決勝で敗れて世界ランキング1位でありながらオリンピック代表になれず放心状態と化した姉に対しては声をかけることさえできなかった[10][26][27]。8月のロンドンオリンピックでは世界ランキングが3位だったために第3シードで臨むことになった。初戦はコルテスを3-0の判定で破るが、準々決勝では中国の陳飛と対戦して先に有効2つを取りながら相手の巻き込み技で左肘を負傷すると、その後立て続けに有効2つを取り返されてポイントで並ばれると旗判定となり0-3で敗れた。敗者復活戦でもボッシュに指導2で敗れて7位に終わり、メダルを獲得できずに終わった。試合後のインタビューでは、「(左肘のケガで)自分の気持ちが乱れてしまった。それでも勝つ戦術もあったけど、がむしゃらにいってしまった。オリンピックは楽しい場所。でも、金メダルの保証がないと立ってはいけない。」と述べた[10][28]。10月の体重別団体では3位にとどまった[2]。12月のグランドスラム・東京では決勝でオランダのリンダ・ボルダーに有効で敗れた。この際に、「技術的にまだまだ出来ると思っています。負け惜しみではないですけど、負ける相手ではなかった。この敗戦を絶対に活かさなければいけません。」と語った[29]。2013年2月のグランプリ・デュッセルドルフでは初戦でオーストリアのベルナデッテ・グラフ裏投げの技ありで敗れた[2]

社会人時代編集

2013年編集

4月からは綜合警備保障の所属となった[30]。5月の体重別では初戦で帝京大学4年の前田奈恵子に指導2で敗れたが、実績を買われて世界選手権代表に選ばれた[31]。5月のアジア選手権には団体戦のみ出場して、決勝でモンゴルのツェンドアユシュ・ナランジャルガル送襟絞で破るなどしてチームの優勝に貢献した[2]。6月のグランプリ・マイアミではコルテスに袖釣込腰の技ありで敗れて3位に終わった[2]。8月の世界選手権では初戦でコルテスと対戦するが、指導3で優勢負けした。一方、団体戦では決勝で地元のブラジルと対戦してマリア・ポルテラに指導2で敗れるが、大将戦で姉の愛がマリア・アルテマンに指導1で勝利を収めてチームは優勝を飾ることになった[32][33]。11月のグランドスラム・東京では準々決勝で世界ランキング1位であるオランダのキム・ポリングに内股で敗れると、その後の3位決定戦でも世界チャンピオンであるコロンビアのジュリ・アルベアルに指導3で敗れて5位に終わった[2]

2014年編集

2014年2月のグランドスラム・パリでは準決勝でボルダーに指導3で敗れて3位だった[34]。4月の選抜体重別では初戦でコマツ大野陽子に有効で敗れたものの、6月には世界団体のメンバーに追加で選出された[35]実業団体の2部では優勝を飾った[2]。8月の世界団体では準決勝でフランスのマルゴー・ピノ背負投で敗れるとチームも3位にとどまった[36]。なおこの時期には、今の置かれている状況を変えなればならないと思い1ヶ月ほどイギリスに渡ると、地元のサリー・コンウェイなどに勇気付けられるなどして気持ちを新たにした[37][38]。ここ最近結果を残せていなかったことから、負ければ引退も覚悟で出場した11月の講道館杯では、決勝で三井住友海上新井千鶴GSに入ってから指導2で破って、今大会初優勝を果たした。この際に、「苦しかった。次につなげられたらと思う」と述べた[39][40]。後にこの試合のことを、「あの日から、神様が自分にリオの一番高いところを目指せと言っているのかと思った」と回想した[41]。12月のグランドスラム・東京では決勝でフランスのジブリズ・エマヌに指導2で敗れるが2位になった。試合後のインタビューでは、「落ちるところまで落ちたけど、またフレッシュな気持ちで臨める」と今後に向けての意気込みを語った[42]

2015年編集

2015年2月にはグランプリ・デュッセルドルフに出場予定だったが、ドーピング騒動で出場を取りやめた(後の項目で詳述)。4月の体重別では決勝で新井を指導2で破って、78kg超級で優勝した姉の愛とアベック優勝を果たすも、世界選手権代表にはグランプリ・デュッセルドルフの不出場を含めた最近の国際大会での結果を勘案されて選出されなかった。なお、試合後のインタビューでは、「いろいろ迷惑かけたし、つらい時期があった。その中で周囲の方々には集中できる環境を作ってもらった」と語った[43][44]。6月の実業団体2部では2連覇を果たした[2]。7月のグランドスラム・チュメニ では決勝でオランダからイスラエルに国籍を変更したボルダーを内股で破って優勝を飾った。この際に次のように語った。「やったーって感じ。今大会は世界選手権だと思って万全を期して臨んだ。その結果今年はまだ負けなしなのが凄く嬉しい。リオデジャネイロオリンピックは私にとって最大の目標。今大会勝てたので、これからも国際大会に使ってもらえると思います。」[45][46]。10月のグランドスラム・パリでは準々決勝でポリングを技ありで破るなどして決勝に進むと、ドイツのラウラ・ヴァルガス=コッホを大外刈で破って優勝を果たした[47][48]。その後のインタビューで、リオデジャネイロオリンピックに懸ける思いを次のように語った。「あの時(ロンドンオリンピック)と違って、今は試合前の準備からとても大事にしていますし、準備の仕方も分かっています。相手を知るための研究もやっています。何よりも決意と覚悟。あの時がゼロだったとは言いませんが、今の方が遥かにオリンピックにかける思いは何倍も大きいです。」[49]。12月にはグランドスラム・東京に出場予定だったが、カポジ水痘様発疹症のため欠場することになった[50]

2016年編集

2016年2月のグランドスラム・パリの際には、喘息を患っていたことから棄権も考えたものの敢えて出場すると、準決勝で地元フランスのファニー=エステル・ポスビトに反則の対象となる立ち姿勢から一挙に身体を捨てた脇固めを仕掛けられて反則勝ちを収めるが、決勝では韓国の金省然にGSに入ってから指導1を取られて2位に終わった[37][51]。4月の選抜体重別では準決勝で了徳寺学園職員のヌンイラを一本背負投で破ると、決勝ではオリンピック代表争いを繰り広げていたライバルの新井を内股返の有効で破り2年連続3度目の優勝を飾って、リオデジャネイロオリンピック代表に選出された[52][53][54]。代表決定後の会見では、「ロンドン五輪の経験を生かし、チャンピオンになって帰ってきたい」とコメントした[55][56]。5月にはワールドマスターズに出場予定だったが、ケガのため出場を取り止めた[57]。どんな組み合わせでも勝ち上がらなければならない点では一緒なので、ワールドマスターズに敢えて出場してシード権を狙うよりも、その分を研究や対策に講じた方が得策だとの判断から出場しなかったともいう[58]。これにより世界ランキングは12位にとどまり、8位の選手までが対象となるシード権を男女の日本代表選手で唯一人確保できずにオリンピックに臨むこととなった[59]。 8月のリオデジャネイロオリンピックでは計量30分前に300グラム超過していたので、一部の選手が実行しているというを吐きまくっての減量法で計量をパスした[60]。その初戦では中国の周超を開始早々の合技で破った。2回戦では世界ランキング1位であるオランダのポリングに有効を先取されるもその後に有効を取り返すと、GSに入ってから大外刈で有効を取って勝利した。この試合に勝てば絶対に金メダルが取れると思っていた大事な1戦をものにすると、準々決勝ではカナダのケリタ・ズパンシック相手に2回戦の疲労から多少てこずったものの、GSに入ってから谷落の技ありで破ると、準決勝ではドイツのヴァルガス=コッホを大外刈の技ありで破った。決勝ではコロンビアのアルベアルと対戦して指導1を先取されるも、相手の意表を衝いた右組み手からの谷落で技ありを取ると崩袈裟固で抑え込み、合技で一本勝ちを収めて金メダルを獲得した。優勝直後のインタビューでは「今まで柔道が好きと思ったことはなかった。小さい頃から嫌々だった。今は本当に好きと思えるようになった」「ずっと欲しかったものが今こうして手元にあることが信じられない」「ロンドン五輪での悔しさを晴らした。きょうは、柔道人生で最も充実した日です」と語った[37][61][62][63][64]。9月にはオリンピックでの活躍が評価されて県民栄誉賞を受賞した[65]。11月、紫綬褒章を受章[66]。また、進退を保留した状態で無期限の休養に入ることを明らかにした[67]。一方で、当初は来年11月の講道館杯で復帰することを明らかにしたとも報じられたが、実際には1年間休養した後に2020年東京オリンピックを目指して現役を続行するか改めて決めることになるという[68][69]

2017年編集

2017年4月からは筑波大学大学院の人間総合科学研究科で姉や52kg級の中村美里とともにスポーツ健康システムマネジメントを専攻することになった[70]。6月にはリオデジャネイロオリンピック以来10ヶ月ぶりの試合となる地元の富山で開催された実業団体2部に出場すると、姉とともに活躍して3勝1分の成績でチームの優勝に貢献した[71][72]。10月には「柔道家として、この道で次に求める気持ちが湧いてこなかったこと」などを理由に現役引退を表明した。「リオデジャネイロオリンピックでは自分の持てる力をすべて畳の上に置いてくることができた。ロンドンオリンピックの敗戦を踏まえて、憧れの舞台で両方の経験を味わえたことは、何事にも代えがたい貴重な経験となりました」ともコメントした[73][74]。その後の引退会見では、「きついことも多かったですが、壁に立ち向かっていく自分が好きでした。すべてを懸けた20年間でした」と選手生活を振り返った。さらに大学院を卒業後は、「単に勝利を求めるだけでなく、もっと広い視野で打ち込めるように教えられる指導者になりたい」と今後の目標を語った[75][76][77]

世界ランキング編集

  • 世界ランキングの年度別変遷
2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年 2016年 2017年
順位 26 7 5 4 22 25 12 3 39

(出典[2]JudoInside.com)。

市販薬の服用を巡って編集

2015年2月にはグランプリ・デュッセルドルフに出場する予定だったが、デュッセルドルフに着くと風邪の症状が見られたために、同じ症状で普段から仲の良い78kg級の緒方亜香里が使用していた市販の風邪薬を緒方に勧められて服用した。しかし、この薬にはドーピング規定に違反する物質メチルエフェドリンが含まれていることが判り、コーチ陣に報告した。かくして、ドーピング違反を避けるために大会への出場を見合わせることになり、両者は試合を見学することなく強制送還された。強化選手には全柔連から事前に服用可能な薬一式を渡されていたにもかかわらず、両選手ともそちらの使用を怠った。全柔連では体重超過などで大会への出場を果たせなかった選手に対して強化選手から除外する措置をこれまで講じてきた経緯もあって、女子代表監督の南條充寿も当初は「強化選手としての義務を怠った」として、両選手に対する強化選手の除外を1年以上科す可能性を示唆した[78][79][80][81]。しかしながら、3月の強化委員会で両者に対して実質的には“おとがめなし”となる警告、監督の南條及び代表コーチ5名と両者の所属先の監督2名には注意処分を科すにとどめることとなった。今回のケースは実際にドーピング違反をしたわけではなく、自己申告により出場を取りやめた「法令・規定違反行為」にあたるとして警告扱いとした。「2人の処分は軽い」との意見も出されたが、最終的には強化委員39名のうち38名がこのレベルの処分を妥当だと見なした。強化副委員長の増地千代里は「故意か過失かという議論になった。体重超過は故意。今回は過失という見解」だと述べた。全柔連副会長の山下泰裕も「計量失敗は自己管理不足。今回は知識不足の過失。我々の中では全然重さが違う」と柔道界の論理を振りかざして処分の妥当性を主張した。日本アンチ・ドーピング機構(JADA)によれば、風邪薬の誤用によるドーピング違反は他の競技にも少なからずあり、多くは3カ月間の出場停止で済んでいるという事実を全柔連が確認したことも今回の処分に影響を与えたという[82][83]。一方である強化委員は、今大会がグランプリ大会だったからこそ“温情裁定”となったものの、これがオリンピック世界選手権だったら警告では済まされなかったとの見解を示した[84]

人物編集

姉の愛とはよくケンカをするが、大会前にケンカをすると良い成績を残すという[85]。2010年の世界選手権63kg級で2位になった田中美衣によれば、この姉妹がケンカをすると姉はケンカをしている素振りを周囲に感じさせないのに、妹の方は「ケンカしてますオーラ」を思い切り発散させるので、妹の様子を見ればケンカをしているかすぐに分かると語っている[86]。2010年12月のグランドスラム・東京で姉妹優勝した際には1週間程度で仲直りしたが、2012年1月のワールドマスターズ前に他愛のないことでケンカした際には、姉に謝ってもなかなか許してもらえず1ヶ月以上口を聞かなかった[87]。さらに、2012年5月に妹の自分はロンドンオリンピック代表に選出されたが姉は落選したことで、半年ほど口を聞かなかったこともあった[44][88]。しかしながら、2015年2月のドーピング騒動を受けて「反省ばかりでふさぎ込んでいた」時期に、姉に色々とアドバイスを受けたり、そばについていてもらったことで立ち上がるきっかけを掴めた。それが功を奏してか、4月の体重別ではアベック優勝を果たすことになった。続く全日本選手権で姉の愛は出場10回目にして初の優勝を成し遂げたが、この際には姉のサポート役に徹した[44][89][90]。2016年1月の強化合宿の際に姉の愛は、「一緒に五輪に出たい。互いに言葉はなくても感じ合っている」と姉妹でのオリンピック出場に思いを寄せた[91]。しかしながら、姉は4月の体重別で3位にとどまると、全日本選手権では決勝でオリンピック代表争いをしていたライバルの山部佳苗と対戦するも、終了50秒前に左膝を負傷した影響により合技で一本負けを喫した。結果として、国際大会での実績では山部をリードしながら国内大会で連敗した上に負傷までしたことで、またもや姉妹でのオリンピック出場を果たせずに終わった。この選考に対して妹は、「なんでだめなんですか」と関係者に号泣して訴えたという[92][93][94][95]。その後に姉と食事をする機会を得ると、次のように語った。「姉ちゃんは前を向き始めていて、私はそれがうれしかった。リオ五輪も応援に来ると言ってくれた。金メダルを取って喜びを分かち合いたい」[96]。リオデジャネイロオリンピックで妹が優勝する瞬間を会場で見つめた姉は、「2人でというのは叶えられなかったんですけど、妹が優勝してくれて自分のことのようにうれしいです」と語った。表彰式の後には観客席から1人だけ試合フロアに進める権利が与えられるが、妹は姉を指名するとその首に金メダルを掛けて喜びを分かち合った[97][98]。2017年10月に妹の遥が現役引退を表明した際に姉は、「小さいころから理解し合える仲間であり、一番近くにいるライバルだった(妹の)遥が先に引退することに、まだ実感が湧かない。最後に一緒に柔道を始めた土地で団体戦を組めたことが、いい思い出になった」とコメントした[99]

柔道スタイル編集

左組み手からの大外刈りや大内刈りに加えて、三角絞めからの抑え込みをはじめとした寝技を得意にしている。ジュニア時代からのライバルだった上野巴恵とは対照的に、相四つの長身選手の組み手を巧みに捌くことに長けている。東海大学女子柔道部監督だった白瀬英春によれば、田知本はすでにジュニアの段階から立ち技、寝技両面において自分の形を持っているのが何よりの強みになっていたと語っている[100]。田知本自身は自らの柔道について、「自分の長所は前に出てガツガツ攻める柔道。短所は、巧い、だます柔道ができないことです。」と述べている[101]。なお、ロンドンオリンピック後は外国選手に太刀打ちできるように筋力トレーニングで重点的にパワー強化を図って、心技体の全てが成長できたともいう。富山県柔道連盟会長の橘川謙三は、以前に比べて田知本が精神面で非常に強くなった点を指摘した[102]。また、全日本代表チームのコーチである松本勇治によれば、田知本は地力十分だが、担ぎ技が得意な相手を無防備に押してしまい担がれることがあるなど、試合の駆け引き面においては不十分な側面があり、代表合宿ではその点を工夫して改善に取り組んでいった[103]。リオデジャネイロオリンピック前には、東海大学の男子柔道部監督である上水研一朗とともにビデオで全てのライバルを徹底的に研究してその特徴を把握するなど、これで負けたらしょうがないと言い切れるほどの準備をする戦術面での緻密さも持ち合わせている。それにより、リオデジャネイロオリンピックの決勝という大舞台でも、相手の意表を突いて普段とは異なる左組み手から右組み手に持ち変えて、大外刈を仕掛けてから谷落に切り返す大胆さを発揮できた[37]

戦績編集

年月 大会 成績
2003年8月 全中 個人戦 3位(63kg級)、団体戦 5位
2004年8月 全中 個人戦 2位(63kg級)、団体戦 5位
2005年8月 全中 個人戦 5位(70kg級)、団体戦 5位
2006年7月 金鷲旗 姉の愛と姉妹優勝
2006年8月 インターハイ 個人戦 2位、団体戦 姉の愛と姉妹優勝
2006年10月 国体 少年女子の部 5位
2007年2月 ベルギー国際 姉の愛と姉妹優勝
2007年8月 インターハイ 個人戦 2位、団体戦 優勝
2007年9月 アジアジュニア 優勝
2008年2月 ベルギー国際 優勝
2008年8月 インターハイ 個人戦 優勝
2008年9月 全日本ジュニア 優勝
2008年10月 世界ジュニア 姉の愛と姉妹優勝
2009年1月 ワールドカップ・ソフィア 3位
2009年2月 ワールドカップ・ウィーン 2位
2009年5月 フランスジュニア国際 優勝
2009年6月 優勝大会 2位
2009年7月 グランドスラム・リオデジャネイロ 5位
2009年10月 学生体重別 姉の愛と姉妹優勝
2009年10月 世界ジュニア 優勝
2009年11月 体重別団体 5位
2010年1月 ワールドカップ・ソフィア 2位
2010年5月 グランプリ・チュニス 優勝
2010年6月 優勝大会 3位
2010年10月 学生体重別 3位
2010年10月 グランプリ・ロッテルダム 優勝
2010年11月 体重別団体 5位
2010年11月 講道館杯 2位
2010年12月 グランドスラム・東京 姉の愛と姉妹優勝
2011年1月 ワールドマスターズ 5位
2011年2月 グランドスラム・パリ 5位
2011年2月 グランプリ・デュッセルドルフ 5位
2011年4月 アジア選手権 個人戦 2位、団体戦 姉の愛と姉妹優勝
2011年5月 グランドスラム・モスクワ 2位
2011年8月 世界選手権 3回戦敗退
2011年8月 世界団体 2位
2011年10月 グランプリ・アブダビ 優勝
2011年11月 体重別団体 3位
2011年11月 講道館杯 3位
2011年12月 グランドスラム・東京 3位
2012年1月 ワールドマスターズ 3位
2012年2月 グランドスラム・パリ 優勝
2012年5月 選抜体重別 優勝
2012年8月 ロンドンオリンピック 7位
2012年11月 体重別団体 3位
2012年12月 グランドスラム・東京 2位
2013年5月 アジア選手権 団体戦 優勝
2013年6月 グランプリ・マイアミ 3位
2013年8月 世界選手権 初戦敗退
2013年8月 世界団体 姉の愛と姉妹優勝
2013年11月 グランドスラム・東京 5位
2014年2月 グランドスラム・パリ 3位
2014年6月 実業団体 2部 優勝
2014年8月 世界団体 3位
2014年11月 講道館杯 優勝
2014年12月 グランドスラム・東京 2位
2015年4月 選抜体重別 姉の愛と姉妹優勝
2015年6月 実業団体 2部 優勝
2015年7月 グランドスラム・チュメニ 優勝
2015年10月 グランドスラム・パリ 優勝
2016年2月 グランドスラム・パリ 2位
2016年4月 選抜体重別 優勝
2016年8月 リオデジャネイロオリンピック 優勝
2017年6月 実業団体 2部 優勝

(出典[2]JudoInside.com)。

有力選手との対戦成績編集

対戦成績
国籍 選手名 内容
  新井千鶴 3勝
  ジュリ・アルベアル 3勝1敗(うち3戦1本勝ち)
  キム・ポリング 4勝1敗(うち2戦1本勝ち)
  ジブリズ・エマヌ 2敗
  ケリタ・ズパンシック 7勝(うち5戦1本勝ち)
  ラウラ・ヴァルガス=コッホ 5勝(うち4戦1本勝ち)
  リンダ・ボルダー 3勝2敗(うち1戦1本勝ち)
  マリア・ベルナベウ 3勝(うち2戦1本勝ち)
  ベルナデッテ・グラフ 1敗
  金省然 1敗
  オニックス・コルテス 2勝3敗
  リュシ・デコス 1勝4敗
  エディス・ボッシュ 1勝3敗

(参考資料:ベースボールマガジン社発行の近代柔道バックナンバー、JudoInside.com等)。

IJFワールド柔道ツアーにおける獲得賞金一覧編集

大会 開催日 順位 獲得賞金
グランプリ・チュニス 2010年5月8日 優勝 3,000ドル
グランプリ・ロッテルダム 2010年10月16日 優勝 3,000ドル
グランドスラム・東京2010 2010年12月13日 優勝 5,000ドル
グランドスラム・モスクワ2011 2011年5月29日 2位 3,000ドル
グランプリ・アブダビ 2011年10月17日 優勝 3,000ドル
グランドスラム・東京2011 2011年12月11日 3位 1,500ドル
ワールドマスターズ2012 2012年1月15日 3位 2,000ドル
グランドスラム・パリ2012 2012年2月5日 優勝 5,000ドル
グランドスラム・東京2012 2012年12月1日 2 3,000ドル
グランプリ・マイアミ 2013年6月16日 3位 1,000ドル
グランドスラム・パリ2014 2014年2月9日 3位 1,500ドル
グランドスラム・東京2014 2014年12月6日 2位 2,400ドル
グランドスラム・チュメニ2015 2015年7月19日 優勝 4,000ドル
グランドスラム・パリ2015 2015年10月18日 優勝 4,000ドル
グランドスラム・パリ2016 2016年2月6日 2位 2,400ドル
総計
15大会 43,800ドル
  • 日本選手の場合は、獲得賞金の半分は全柔連の取り分となっていたが、2013年3月からは競技者規定が改訂されて、賞金は全額選手が受け取れることになった[104]。なお、2014年7月からはIJF主催の各大会でコーチにも賞金が支給されるようになったために、選手の賞金が従来の2割減となった[105]

受賞編集

  • 2009年 テレビ朝日ビッグスポーツ賞 新人賞[106]
  • 2016年 テレビ朝日ビッグスポーツ賞 大賞[107]
  • 2016年 紫綬褒章[66]
  • 2016年「ベストビューティストアワード」特別賞受賞[108]

テレビ出演編集

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h i j 「解体新書 田知本遥」近代柔道 ベースボールマガジン社、2009年7月号、92-95頁
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 「柔道全日本強化選手名鑑 2017」近代柔道 ベースボールマガジン社、2017年4月号
  3. ^ 特別昇段の田知本遥選手に昇段証書授与 | 講道館
  4. ^ 柔道部 - ALSOK 綜合警備保障
  5. ^ a b c d e 田知本遥インタビュー|柔道チャンネル
  6. ^ a b 田知本姉妹がアベック優勝 日刊スポーツ、2010年12月14日
  7. ^ a b c 武器は世界トップの足技 読売新聞 2012年6月26日
  8. ^ 田知本遥選手 リオ決定…柔道70キロ級 読売新聞 2016年4月3日
  9. ^ 「戦友」が再会 娘活躍願う リオ五輪代表 登坂、田知本遥選手の父
  10. ^ a b c 田知本遥、姉の分まで 負傷で「気持ち乱れた」 日本経済新聞、2012年8月1日
  11. ^ ベルギー国際柔道大会結果
  12. ^ ベルギー国際柔道大会結果(女子)
  13. ^ TOKAI SPORTS
  14. ^ 「2008年世界ジュニア柔道選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、2008年12月号 51頁
  15. ^ 「2009年世界ジュニア柔道選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、2009年12月号 32頁
  16. ^ 女子70キロ級の田知本遙が優勝=柔道グランプリ 時事通信 2010年10月16日
  17. ^ 【柔道】夢は姉妹でロンドン五輪 田知本姉妹がV MSN産経ニュース 2010年12月13日
  18. ^ 「アジア選手権」近代柔道 ベースボールマガジン社、2011年5月号 41頁
  19. ^ 田知本遥は3回戦敗退 世界柔道 47NEWS 2011年8月27日
  20. ^ 「パリ世界選手権2011」近代柔道 ベースボールマガジン社、2011年10月号 21-25頁
  21. ^ 中井、田知本が優勝=柔道グランプリ 時事通信 2011年10月17日
  22. ^ 田知本「悔しいの一言です」 日刊スポーツ 2011年12月11日
  23. ^ 難敵連破、五輪に前進=敵地で殊勲の田知本遥-柔道グランドスラム 時事通信 2012年2月6日
  24. ^ 遥も愛も強い!田知本姉妹仲良くV/柔道 日刊スポーツ 2012年2月6日
  25. ^ 五輪の舞台で"一本"
  26. ^ 「平成24年全日本選抜柔道体重別選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、2012年6月号 28頁
  27. ^ 田知本遥初優勝で五輪つかんだ/柔道 時事通信 2012年5月12日
  28. ^ 田知本、敗者復活ならずメダル逃す/柔道 日刊スポーツ 2012年8月2日
  29. ^ 田知本遥選手(東海大学4年)
  30. ^ 女子70キロ級田知本遥らALSOK入社 日刊スポーツ 2013年3月27日
  31. ^ 世界柔道代表18人を発表…過去の内容を重視で 読売新聞 2013年5月12日
  32. ^ 女子70キロ級 田知本が初戦敗退 MSN産経ニュース 2013年8月30日
  33. ^ 【世界柔道】日本女子団体V!個人金ゼロの無念晴らした!! スポーツ報知 2013年9月2日
  34. ^ Judo Grand Slam, Paris 2014
  35. ^ 【柔道】田知本遥、志々目愛が世界選手権団体戦代表に スポーツ報知 2014年6月11日
  36. ^ 男子が団体金、女子は銅 柔道世界選手権 日本経済新聞 2014年8月31日
  37. ^ a b c d 「金メダリストインタビュー 70kg級 田知本遥」近代柔道 ベースボールマガジン社、2016年10月号 8-9頁
  38. ^ 田知本、苦い思い出残る英国修行で「初心」取り戻す - 柔道 日刊スポーツ 2016年8月11日
  39. ^ 17歳阿部が初優勝=朝比奈は連覇-講道館杯柔道 時事通信 2014年11月8日
  40. ^ 田知本遥、苦しんで初V=柔道講道館杯 時事通信 2014年11月8日
  41. ^ リオ金・田知本遥が引退会見「柔道は生きがい」と指導者にも意欲 東京スポーツ 2017年10月10日
  42. ^ 田知本遥、4年ぶりの優勝逃すも「次につなげたい」/柔道 サンケイスポーツ 2014年12月6日
  43. ^ 海老沼、田知本姉妹がV 柔道の全日本選抜体重別選手権 日本経済新聞 2015年4月5日
  44. ^ a b c 【柔道】田知本姉妹「絆」の同時V スポーツ報知 2015年4月5日
  45. ^ 原沢、田知本遥ら優勝/柔道 サンケイスポーツ 2015年7月20日
  46. ^ Tyumen Grand Slam 2015 - Russia DAY 2
  47. ^ 原沢、田知本遥が優勝=柔道グランドスラム 時事通信 2015年10月19日
  48. ^ Paris Grand Slam 2015, France - DAY 2
  49. ^ 決意と覚悟を持ち、勝って来年に繋げる【田知本遥インタビュー】
  50. ^ 大野、田知本遥らが「グランドスラム東京」欠場/柔道 サンケイスポーツ 2014年12月1日
  51. ^ 女子70キロ級・田知本遥 2位で望みつなぐ「優勝したかった」 スポーツニッポン 2016年2月8日
  52. ^ 最重量級は原沢が初優勝 女70キロは田知本遥が2連覇/柔道 サンケイスポーツ 2016年4月2日
  53. ^ 田知本遙2連覇 姉・愛は準決敗退 デイリースポーツ 2016年4月2日
  54. ^ 柔道五輪代表に近藤亜美、松本薫、大野将平ら発表 日刊スポーツ 2016年4月3日
  55. ^ 【リオ五輪代表会見コメント集】田知本「チャンピオンになって帰ってきたい」 サンケイスポーツ 2016年4月4日
  56. ^ 松本、五輪連覇は挑戦「開き直った」柔道代表が全階級“金”へ意気込み
  57. ^ 田知本遥、梅木が欠場=マスターズ柔道 時事通信 2016年5月23日
  58. ^ 田知本、姉のサポートに感謝
  59. ^ 柔道五輪代表14人中13人がシード確保 世界ランキング発表 スポーツニッポン 2016年5月31日
  60. ^ 女子柔道金メダル・田知本遥が明かす、リオ五輪に至る苦難の道のり
  61. ^ 柔道女子70キロ級 田知本が金メダル NHK 2016年8月11日
  62. ^ 【五輪柔道】女子70キロ級「金」の田知本遥が表彰式で「ずっと欲しかったものが手元にある…」 産経新聞 2016年8月11日
  63. ^ 田知本、金! 今は胸を張って言える「柔道が好き」 Livedoor 2016年8月11日
  64. ^ 女子柔道・田知本遥が金メダル獲得 折れかけた心を救った姉の言葉とは Livedoor 2016年8月11日
  65. ^ 柔道 田知本遥選手 金を胸に母校に凱旋
  66. ^ a b 秋の褒章、772人20団体の受章決まる 朝日新聞 2016年11月2日
  67. ^ 【柔道】田知本遥、中村美里が無期限休養、強化指定を外さずに今後を待つ スポーツ報知 2016年11月14日
  68. ^ 柔道 リオ五輪女子 金メダルの田知本 現役続行 NHK 2016年11月30日
  69. ^ 柔道・田知本 現役続行報道に困惑 来年休養後「決めさせて」 デイリースポーツ 2016年12月1日
  70. ^ 田知本遥、田知本愛の姉妹と中村美里が筑波大大学院 - 柔道 日刊スポーツ 2017年2月21日
  71. ^ 五輪女王、田知本が復帰戦 姉の愛らととも出場で一本勝ちなど3勝1引き分け/柔道 サンケイスポーツ
  72. ^ リオ五輪金の田知本 地元の大会で10か月ぶりに復帰 NHK
  73. ^ リオ五輪 柔道女子70キロ級で金メダル 田知本が引退 NHK 2017年10月4日
  74. ^ 田知本遥が引退表明=リオ五輪女子70キロ級で金-柔道 時事通信 2017年10月4日
  75. ^ 柔道女子リオ五輪金の田知本が引退会見「すべてを懸けた」 NHK 2017年10月10日
  76. ^ 田知本遥「全て懸けてきた」=リオ五輪金、引退会見-柔道 時事通信 2017年10月10日
  77. ^ リオ金の田知本遥、指導者の道を希望「どん底も味わった経験を伝えたい」/柔道 サンケイスポーツ 2017年10月10日
  78. ^ 柔道女子、緒方と田知本遥が欠場 デイリースポーツ 2015年2月20日
  79. ^ 柔道女子 緒方、田知本リオ五輪絶望も 東京スポーツ 2015年2月26日
  80. ^ 緒方&田知本リオ五輪ピンチ 強化指定1年以上解除も… スポーツニッポン 2015年2月26日
  81. ^ 柔道:ドーピング問題経緯 緒方が風邪薬服用、田知本にも勧める…大会開幕日に強制送還 スポーツニッポン 2015年3月6日
  82. ^ 風邪薬使用の緒方、田知本に「警告」処分 禁止薬物含有で試合出場回避/柔道 サンケイスポーツ 2015年3月5日
  83. ^ ドーピング問題大甘処分 緒方&田知本、実質上“おとがめなし” スポーツニッポン 2015年3月6日
  84. ^ 【風邪薬うっかり服用】女子柔道“軽処分”で済んだ理由 東京スポーツ 2015年3月7日
  85. ^ 「平成24年度全日本選抜体重別選手権大会」 月刊武道 日本武道館、2012年6月号、196頁
  86. ^ 「りれーとーく」近代柔道 ベースボールマガジン社、2016年3月号 98頁
  87. ^ [柔道]田知本姉妹がゲン担ぎ?ケンカで“冷戦状態”突入 スポーツ報知 2012年2月10日
  88. ^ 【柔道】ロンドン五輪柔道女子70キロ級代表の田知本遥、代表を逃した姉の愛と“冷戦状態” スポーツ報知 2012年6月12日
  89. ^ 田知本、10度目で初V!ライバル山部に雪辱 サンケイスポーツ 2015年4月19日
  90. ^ 田知本愛の妹・遥も感涙「一緒に闘った」/柔道 サンケイスポーツ 2015年4月19日
  91. ^ 田知本愛、姉妹代表へ意欲「一緒に五輪に出たい」 時事通信 2016年1月14日
  92. ^ 強化委から異論の山部佳苗が代表 選考基準にブレ? - 柔道 日刊スポーツ 2016年4月17日
  93. ^ 【柔道】女王山部の選考理由…田知本の実績より直接対決が決め手 スポーツ報知 2016年4月17日
  94. ^ 田知本愛負傷で状況一転…山下強化委員長の発言で代表決定/柔道 サンケイスポーツ 2016年4月18日
  95. ^ 山部ありき? 柔道五輪選考また大モメ舞台裏 東京スポーツ 2016年4月18日
  96. ^ 2大会連続代表の田知本「絶対に金メダル」と自信/柔道 サンケイスポーツ 2016年4月26日
  97. ^ 田知本 共に五輪目指した姉が祝福「自分のことのようにうれしい」 スポーツニッポン 2016年8月11日
  98. ^ 田知本遥が金 恩人指名「姉でお願いします」 - 柔道 日刊スポーツ 2016年8月11日
  99. ^ 田知本「柔道は私の生きがい。全てを懸けた20年だった」 さわやかな笑顔で引退会見 サンケイスポーツ 2017年10月10日
  100. ^ 「全日本ジュニア柔道体重別選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、2008年11月号 47頁
  101. ^ 女子70kg級代表 田知本遥選手
  102. ^ 田知本遥選手:リオ五輪代表 「柔道人生の集大成に」 知事訪問
  103. ^ 「全日本強化担当コーチに聞く」近代柔道 ベースボールマガジン社、2015年4月号 16-17頁
  104. ^ 競技者規定 - 財団法人 全日本柔道連盟
  105. ^ Judo Grand Slam, Tyumen 2014
  106. ^ 2009年テレビ朝日ビッグスポーツ賞 受賞者
  107. ^ 2016年テレビ朝日ビッグスポーツ賞 受賞者
  108. ^ 発表! 2016年ベストビューティストアワード
  109. ^ 【リオ五輪】金メダルの田知本遥 「学校へ行こう」に出演していた 岡田准一に内股で一本勝ち
  110. ^ 「警視庁ゼロ係」第6話で柔道・田知本遥選手が本人役でドラマ初出演!小泉孝太郎に大外刈り!

外部リンク編集