男らしさ
男らしさ(おとこらしさ)または男振り(おとこぶり)[1]・益荒男(ますらお)らしさ[2]とは、これが男性の特性(あるいは特徴・要件等)である、と特定の話者や特定の集団が想定している観念群のことである。「女らしさ」という観念に対置されるもの。
概説 編集
「男らしさ」や「女らしさ」という概念は、ジェンダー(生まれつきの性によって人が社会の中でどのようなあり方をしているか)という名称で括られて研究されている。[注 1]
一概には言えないが、要素ごとに、文化的に醸成されたものである、とする見解[要出典]や、生物学的差異に由来するもの、とする見解[要出典]がある。例としては、前者を指摘する場合は、躾(しつけ)や社会環境(前述の文化・地域・宗教・歴史・家庭環境 等)による人格形成への影響などを指摘する見解[要出典]がある。後者を指摘する場合は、ホルモンの違い、(その結果として生じる)脳の性差などで性格・性向が規定されている可能性を指摘する見解[要出典]がある。文化人類学者などは文化的な面に比重を置いて言及し、生物学者などは生物学的な面に焦点を当てて他の面を見落としてしまうことが多い[要出典]。いずれにせよ、全ての要素を一般化して説明することは困難である。 [注 2]
なお、コミュニケーションのしかたについては、Deborah Tannen(en:Deborah Tannen)やJulia T. Wood(en:Julia T. Wood)らによって、男女差(「男らしさ」(「男のやりかた」)「女らしさ」(「女のやりかた」)があることが指摘されている。それが相互不理解、相互誤解のもとにもなっているという。詳しくは 「コミュニケーション#コミュニケーションの男女差」を参照のこと。
歴史 編集
産業革命期から第二次世界大戦後における男らしさとは、「男は弱音を吐かない、泣かない、女を守る」といったものから、男性を一方的に仕事や戦争に出すものまで様々な事例が存在し、その代償として男性優位(男性だけが大学などに進学できたり、社会の重要な職業に就くことが出来るなど)を得るものが多かった。
フェミニズム・保守層 編集
1970年代以降のフェミニズムは「男らしさ」批判を展開し、さらに保守層からは反論がおこった。こうした男らしさをめぐる論争は現在進行形で続いている。
フェミニズムやジェンダー論においては「男らしさ」「女らしさ」の具備を個々人に求める事が性差別を助長しているとする。それまでの男性優位の社会構造を改め、雇用や賃金の平等化など、両性平等の原則にのっとった社会政策が実施された。これによって女子の大学進学率などが向上したが、いっぽうで過渡的措置として女子優遇政策をとる場合があり、それも保守層の批判の的となった。
保守層からの批判とは、フェミニズム政策や「らしさ」の消失によって、少年達に様々な問題が露出しはじめ、少年達は真面目に勉学に励むという事をしなくなり、北欧やアメリカで男子生徒の成績は急激に低下したとするものである(→ガールパワー)。様々な科目で少女達に遅れをとり、大学進学率も低下したと主張し、イギリスはこの男子の学業不振を社会問題として捉え、男らしさに基づいた教育制度が実施される事になった。アメリカでも同様に少年犯罪や学業低下を問題視し、「真に男らしい男とは責任感と弱者をいたわるジェントルマン精神を持つ男である」として男らしさを復活させようという運動がある[要出典]。
「男らしさ」の具体例 編集
地域によって様々な違いがある。男性の精神的特徴(論理的、リーダーシップ)をとらえて規定するものもあり、肉体的特徴(筋肉質、高身長、強さ)をとらえて規定するものもある[3]。
イギリス 編集
イギリスでは古くは騎士道にのっとった生き方が男らしい、と思われていた。その後、紳士的(ジェントルマン)であることが最大の男らしさと考えられていた。紳士道からレディーファーストの理念も発達し、ただ力を誇示するだけでなく、女性を尊重してこそ誠に男らしいとされる文化が発達した[要出典]。
フランス 編集
フランスでは早い段階で、男性らしさや女性らしさより、個性や人間らしさが評価されるようになった[要出典]。
日本 編集
幕末、明治時代
第二次世界大戦前から戦後しばらくの間などは、例えば、以下のようなもの。
- 能動的、判断力、決断力
- 落ち着いていること
- いさぎよさ
- 我慢強さ
- 無口
- 不言実行。(父親たちは「背中で語っていたものだった」などという)
- 感情表現を抑えること。特に悲しみの感情の表出(泣くこと)や喜びの感情の表出は抑えるのがよしとされた。
第二次世界大戦後、高度成長期、現代において 編集
- 判断力、決断力[注 3]
- 有言実行
- 自主的。転じて、たとえ女性の配偶者に十分な財産・収入があっても、男性が「養われる」のは男らしくないとする偏見がある。ヒモという蔑称は男性に対してだけある。主夫に対する無理解も多い。
- (労働者の家庭では)汗をかいて体を動かすこと
- (父親が学者の家庭などでは)学問や形而上の世界に意識が向いていて、もっぱら頭脳を使い、論理や理屈を優先する理知的な人柄で、あまり身体を動かさないこと、汗をかかないこと。(かわりに、もっぱら女性のほうが身体を使った活動を行い、そちらが「女らしい」)
以上の「男らしさ」は、男性から見た男性の理想像的要素が強いが、現代の日本の社会では、女性の権利・発言力が増したので、女性、以下のように女性の視点で見た都合の良い男性像、もしばしば語られるようになった。 [例 1]
「男らしい人が好み」と言う女性に「具体的にはどんな人ですか?」と質問すると、千差万別な答えが返ってくることがSPA!などの記事に取り上げられている。そのため日本においては男らしさのイメージも千差万別であり、万人が認めるような男らしさの概念が確立されているわけではないと考えられる。
男らしさへの批判 編集
フェミニズム 編集
フェミニストは男らしさ、女らしさを後天的に作られた男尊女卑的な性役割、「男らしさ」なるものは男性が強者としての立場から女性や弱者に一方的な「優しさ」を押し付けるパターナリズムとして否定し「らしさからの解放」を掲げている[要出典]。
教育界 編集
教育界においても「性差で役割を固定するのは良くない、個性をつぶしてしまう」といわれ、現在の教育では画一的な男らしさは殆ど否定されつつある。代わりにジェンダーフリーが導入されているところがある。大学などの教育の場でも、「そもそも、男らしさ・女らしさ、とはいったい何なのか?」ということを考えさせる授業や講義がある。ただ、人によっては、男らしさ・女らしさはあってもいいではないか、という意見もある[要出典]。 性同一性障害の児童・生徒に対する教育上の配慮等も課題である。
男性による批判 編集
男らしさは男性の負担になるとして、男性自ら排除しようとする人々も数多く存在する。また、近年「女らしさ」の要求はタブー視されてきているのに、「男らしさ」への要求は今なお当然とする向きが残っていることに反発する意見も多い[要出典]。
男らしさのコスト 編集
「男らしさのコスト」(the cost of masculinity)とは,マイケル・メスナー(en:Michael Messner)が提起した「男性は地位や特権と引き換えに,狭い男らしさの定義に合致するために―浅い人間関係,不健康,短命という形で―多大なコストを払いがちである」[5] という視点である。
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脚注 編集
注釈 編集
- ^ 今から数百年前は、肉体的な性別と、男としてのありかたを区別できず同一視するような論調が世に溢れていたが、近年のジェンダー研究によって(相対的に)文化的な影響もあるとされるようになってきている。
今でも、かつてと同じように単純に生物学的差異(例えば脳の性差、ホルモンの違いなどの性格の傾向への影響)を強調(あるいは混同)する人もいる。
無論、人間のありかたについては、文化的要素/生物的要素、その他様々な要素が、それぞれそれなりに影響を与え絡みあっているので、それらの影響の相対的な割合については、様々な学者から様々な指摘がなされている。 - ^ (? どの"男らしさ"? どの要素??) [誰?]「それぞれの「男らしさ」の平均を取れば、普遍性のある枠内に従っており、精神的、肉体的側面における、支配、積極性、力強さの強調などは、普遍的だ[要出典]」
- ^ 表裏の関係で、女性は「オロオロするばかり」とか「判断力が無い」などとされた。
用例 編集
- ^
- (主に女性から見て)「(自分に対して、あくまで自分に対して)優しいこと」
- (主に女性から見て)「(自分に対して)気前がいい」こと。(これは従来の男らしさの観念と対立する。武士などでは、基本的に(有事に備えて)倹約家で無駄遣いをしない人が多かったので、お金をパッパッと出してしまうのは愚かで、欠点で、男らしくない。例えば、黒田官兵衛を生んだ、黒田家などでも倹約を美徳としていた。(黒田家は「武士の中の武士」とも言われる)。黒田家でも、徳川家でも、基本的には倹約家が武士らしく、男らしいのである。)(なお、女性は、夫が男性後輩などに対して「気前がいい」のは評価したがらない。)
- (主に女性から見て、自分のところに)金を持ってくること(女性が言うところの"経済力")(allabout)(これは武士道の観点“金銭に拘泥しないこと ”からすれば全然男らしくないので、違和感を覚える日本人もいる)。
- 「勤勉なこと、仕事がよくできること」(東南アジアや中南米では女に働かせて男は遊んでいるのが男らしいとされるので、全く逆である)。
出典 編集
- ^ “男振り(おとこぶり) の意味・使い方”. goo辞書. 2023年3月17日閲覧。
- ^ “益荒男(マスラオ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年3月17日閲覧。
- ^ 『「男らしさ」の人類学』デイヴィッド ギルモア (著)
- ^ 澁谷知美、井上章一(編)、2008、「性教育はなぜ男子学生に禁欲を説いたか:1910~40年代の花柳病言説」、『性欲の文化史』1、講談社〈講談社選書メチエ〉 ISBN 9784062584258
- ^ 多賀太「男性学・男性性研究の視点と方法 : ジェンダーポリティクスと理論的射程の拡張」『国際ジェンダー学会誌』第17巻、国際ジェンダー学会、2019年12月25日、8-28頁、doi:10.32286/00023841、ISSN 13487337、2021年8月11日閲覧。
関連項目 編集
関連文献 編集
- 村中 兼松『性度心理学―男らしさ・女らしさの心理』帝国地方行政学会 (1974) ASIN B000J9X20W
- 村中 兼松『男らしさ・女らしさからみた職業・結婚・人間関係』ぎょうせい (1977/03) ASIN B000J8Z2JW
- Sネイフ、G.W. スミス『ユリシーズ・シンドローム―“男らしさ”のジレンマ』三笠書房 (1986/09) ISBN 4837954286
- 佐佐木 綱『女らしさ・男らしさ―計画の視点より』淡交社 (1989/05) ISBN 4473010953
- 森 隆夫 (編集), 斎藤 幸一郎『豊かな個性―男らしさ・女らしさ・人間らしさ』ぎょうせい、1991.12、ISBN 4324030219
- 青木 やよひ、磯田 三雄 『ちょっと変じゃない?―「女らしさ」「男らしさ」ってなんだろう』小峰書店、1992.10、ISBN 4338104015
- 伊藤公雄『「男らしさ」のゆくえ―男性文化の文化社会学』新曜社、1993.09、ISBN 4788504596
- デイヴィッド ギルモア『「男らしさ」の人類学』春秋社、1994.09、ISBN 4393424522
- 中村 正『「男らしさ」からの自由―模索する男たちのアメリカ』かもがわ出版、1996.02、ISBN 4876992266
- メンズセンター『「男らしさ」から「自分らしさ」へ』かもがわ出版、1996.06、ISBN 4876992479
- 伊藤 公雄『男性学入門』作品社、1996.08、ISBN 4878932589
- 豊田正義『オトコが「男らしさ」を棄てるとき』飛鳥新社、1997.05、ISBN 4870312980
- トーマス キューネ『男の歴史―市民社会と「男らしさ」の神話』柏書房、1997.11、ISBN 4760115536
- 関 智子『「男らしさ」の心理学―熟年離婚と少年犯罪の背景』裳華房、1998.11、ISBN 4785386940
- 沖縄タイムス社『男に吹く風―「らしさ」の現在』沖縄タイムス、1998.11、ISBN 4871275051
- 藤岡 良『「主夫」っていいかも―「男らしさ」のしがらみを超えて、気楽に元気に生きる本』彩流社、1999.06、ISBN 4882026570
- 「男らしさ」の神話―変貌する「ハードボイルド」講談社、1999.09、ISBN 4062581663
- 多賀 太『男性のジェンダー形成―〈男らしさ〉の揺らぎのなかで』東洋館出版社、2001.01、ISBN 4491016798
- 蔦森樹『男でもなく女でもなく―本当の私らしさを求めて』朝日新聞社、2001.02、ISBN 4022613238
- 森永 康子『女らしさ・男らしさ―ジェンダーを考える』 (心理学ジュニアライブラリ) 北大路書房、2002.11、ISBN 4762822841
- 『男らしさ・女らしさって何? (こんのひとみ心の言葉)』ポプラ社、2003.03、ISBN 4591076237
- 伊藤公雄 『「男らしさ」という神話―現代男性の危機を読み解く (NHK人間講座 (2003年8月~9月期))』日本放送出版協会、2003.07、ISBN 4141890901
- 渡部昇一著『男は男らしく 女は女らしく』ワック (2004/12) ISBN 4898315275
- 熊田 一雄『“男らしさ”という病?―ポップ・カルチャーの新・男性学』風媒社、2005.09、ISBN 4833110679
- 『男性史〈3〉「男らしさ」の現代史』日本経済評論社、2006.12、ISBN 4818818860
- レイチェル・ギーザ『ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』DU BOOKS、2019.2、ISBN 4866470887