アイドル
アイドルは、英語の「idol」(偶像。崇拝される人や物)[1]から転じて、20世紀末以降の日本では「恋愛感情を持つ熱狂的なファンが売上のメイン層を占めている歌手、俳優、タレント」などをいう[2][3][4]。

「アイドル」である場合、熱狂的ファンからは、女性アイドルには処女性、男性アイドルには「性的接触者が居ない」という理想像を概ね持たれている。そのため、本人の意図を問わず「アイドル」である場合は、熱愛など異性との性的接触系のスキャンダル発覚または既婚や結婚との報道後に売上が激減、オワコン化してしまうことがある[5][6][7][8][9][10][11][12][13][14]。
日本語の「アイドル」の場合、英語圏で一般的な「idol(偶像)」よりも特殊な定義になるため、英語では「Japanese idol」として区別される。日本のアイドル、ビジネス形態は、K-POPなどの他国における「アイドル売り(ドル売り)」のロールモデルとなった[15][16]。
稲増龍夫やカネコシュウヘイは、「アイドル」を『成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物』と定義している[17]。
概要 編集
キャラクター性を全面に打ち出し、歌・ダンス・演技・お笑いなど幅広いジャンルで芸能活動を展開しやすいのが特色である[17]。ただし、歌手等のアーティストとは異なり、それらの上手さは必須条件ではなく、どれだけ恋愛感情による多数の購入で売上貢献してくれる「ファン」が発生してくれるかとは関係ないので、各技術が最低限しか無くても問題にはならない[4]。
外見が最も重要視されるモデルとは異なり、容姿が圧倒的である必要はなく親しみやすい存在であることが多い[17]。
アイドルの起源 編集
欧米では1939年にはジュディ・ガーランドが『オズの魔法使い』で一躍アイドル・スターになり、1940年代にidolと呼ばれたという説もあるフランク・シナトラよりも早かった[18]。
日本におけるアイドル 編集
日本においては当初「アイドル」という言葉は、主に日本国外の芸能人を対象にした呼称として用いられた[19][注 1]。明日待子は「日本で最初のアイドル」(の一人)として挙げられる[20][21]。
1960年代には、産業としての映画の衰退、本格的なテレビ時代の到来、グループ・サウンズのブーム[注 2]が巻き起こる過程で、徐々に「スター」と並行して「アイドル」の呼称が用いられるようになった[22]。1970年代に至り、未成熟な可愛らしさ・身近な親しみやすさなどに愛着を示す日本的な美意識を取り入れた独自の「アイドル」像が創造された。1968年に設立されたCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)が、それまでレコード会社が楽曲制作を自社の専属作家に任せていたのを、無所属の作家に開放したことが切っ掛けで、「アイドル歌謡」が隆盛するようになった[23]。
女性アイドルブームの変遷 編集
1970年代以降の日本における女性アイドルの人気の高さと多様性は男性アイドルを圧倒しているため、下記に女性アイドルブームについての略史を記述する。1971年の天地真理のデビューと絶大な人気の獲得により、日本における女性アイドル歌手のスタイルが確立され、日本初の女性アイドルブームが発生する。このアイドルブームでデビューした女性アイドルたちは歌謡曲然とした楽曲を歌い、後に「70年代アイドル」と呼ばれるようになった。そして1981年までに女性アイドル人気の中心を担っていたキャンディーズ,山口百恵,ピンク・レディー等が相次いで活動を停止すると、短い期間ではあるが「第一次アイドル冬の時代」が到来した[24]。しかし、1980年4月1日、「実人生とアイドル像を限りなく一致させる」というリアル志向の活動方針であった山口百恵とは対照的な「ドレスを着飾ったアイドルの原点」を演じる松田聖子が歌手デビューすると、別の形で女性アイドルブームが起きた[25]。1980年代のブームでデビューした女性アイドルたちは、ニューミュージックの作曲家が楽曲を提供するようになったことで、より垢抜けたポップスを歌うようになり、後に「80年代アイドル」と呼ばれるようになった。その後、従来であれば手の届かない圧倒的な高みに存在したアイドルを身近な存在に変えた画期的なアイドルグループであるおニャン子クラブが1985年2月にデビューし、1987年9月に解散したことで、後にデビューしたアイドルのインパクトが薄れたことからアイドル自体がマンネリ化し、一般消費者は格好良さを追求するアーティストを求めるようになった。更に1980年代後半の昭和から平成の変わり目に状況が一変し、「夜のヒットスタジオ」や「ザ・ベストテン」といった人気歌番組が相次いで終了したことで、アイドル歌手のメディア露出は激減した。ここから1990年代後半にモーニング娘。が登場するまでの間を「第二次アイドル冬の時代」[24]と呼ぶ[26]。第二次アイドル冬の時代には、従来のアイドルで必須とされた笑顔がないという点で一般消費者に神秘的な印象を与えて注目を浴びたWinkという特異な例を除いて目立ったヒットは無かった。しかし、従来のアイドルの型を破るために数々の試行錯誤が行われ、テレビ番組に出演できない代わりにライブハウス中心の活動形態を試みたり(ライブアイドルの出現)、多人数によるダンスパフォーマンスに重きを置いたりする21世紀型のアイドル像が形作られていった。この間、見栄えという点で劣るソロアイドルがメジャーシーンから消え、アイドルグループが主流となった。そして1994年10月17日に『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』,1995年10月1日に『ASAYAN』,1996年10月15日に『うたばん』という人気音楽番組が登場したことで、再びアイドル歌手のメディア露出が増加し始めた。『ASAYAN』発のモーニング娘。の商業的な成功後、専用劇場で定期公演を行うAKB48グループが商業的に成功したことによって、ライブハウスを中心に活動するライブアイドルグループが後追い的に多数登場し、2010年代前半にはアイドルを名乗るタレントの数が日本の芸能史上最多となる「アイドル戦国時代」が到来したことで、アイドルが一般的なエンタメジャンルとして定着するに至った[27]。併せて、特典会やSNSの普及により、アイドル活動においては楽曲の質だけでなくファンとのコミュニケーションも重要となり、マスメディアへの露出がなくても人気を獲得できるようになった[28]。また、傍流ではあるが、2010年代以降は情報技術(IT)の進歩に伴ってVOCALOIDやVTuberなどのバーチャルアイドルも成功を収め[注 3]、人気を博した[29]。隣国の韓国では1990年代から日本のアイドルグループの売り方[30]とグローバルな音楽トレンドの研究が行われており、20年以上に渡る戦略的な売り込みによって2010年代には日本を含む世界各国でK-POPアイドルが高い人気を得るようになった(韓流ブーム)[31]。その結果として、2010年代後半以降にはK-POPアイドルに憧れを持ち参加する日本人も多数現れることになった[32]。同時に、NiziUのような日本市場にローカライズされ、メンバーも日本人女性で固められたK-POP風[33][注 4]アイドルも現れて日本人の間で高い人気を得た。対して、原点にあたるJ-POPアイドルは男女問わず世界シェアを獲得できていない現状があり、唯一人気がある日本市場でもK-POPアイドルとJ-POPアイドルの競争が起きるようになった[31]。
2010年代に至るまで女性アイドル産業が特に盛んな背景として、「元来女性は、男性にはない感動しやすい習性、精緻なる感受性をもつがゆえに、巫女的な妹の力(いものちから)を得て、生きる力、幸福への道を伝えることができる」とする、民俗学者・柳田國男の評論が持ち出されることもある[34]。
経済学者の田中秀臣は、「アイドルの人気には不景気を打破する効果はないのに、多くの人はアイドルで景気が良くなると錯覚してしまう。そのため、不況時には、さまざまなアイドルが誕生し、想定外の奇抜なアイドルを出現させてしまう」と述べる[35]。
男性アイドル史 編集
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1950年代、1960年代 編集
1950年代のロカビリーブームでは平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎らが戦後最初期の男性アイドルとなった。 歌謡界では、ロカビリーブーム直前の昭和32年12月にデビューした神戸一郎がアイドルの元祖と紹介されることもある。 1960年代に「御三家」と呼ばれた西郷輝彦らが人気となり、ほどなく三田明も登場した。
1962年にはジャニーズ事務所の第1号グループであるジャニーズがデビューし、歌って踊るという現代に繋がるアイドルのスタイルが確立された。他にスリー・ファンキーズらの、いかにも芸能的・商業主義的なアイドルも存在し、ジャニーズのあおい輝彦らは時代に即したスターとして週刊明星、週刊平凡のグラビアを飾り、ブロマイドの売り上げは人気のバロメーターになっていた。
1960年代半ばにはグループ・サウンズブームが起こり、ザ・スパイダース、ザ・タイガース、テンプターズ、オックス、ジャガーズ、ワイルドワンズらが大人気となった[36][37]。グループ・サウンズでは、ザ・タイガースの沢田研二、ザ・テンプターズの萩原健一らが特に人気があった。
1970年代 編集
郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎から成る「新御三家」は、3人とも主に歌手として活動した[注 5]。さらに、ザ・タイガースの後もソロとして活動を続けた沢田研二は、ソロデビュー後も次々と大ヒット曲を世に送り1977年の「勝手にしやがれ」では、同年の『日本レコード大賞』を受賞するなどとしてソロデビュー後も人気を保ち70年代をも代表するアイドル歌手となった。ザ・スパイダースの堺正章、井上順はソロとなった後、ヒット曲を数曲出したが、俳優、司会やバラエティ番組出演に軸足を移した。ザ・テンプターズの萩原健一、オックスの田浦幸こと夏夕介は俳優に転身し人気となった。新御三家の他にはフォーリーブスやフィンガー5、にしきのあきら、野村将希、伊丹幸雄、荒川務、城みちるらが登場した。アイドル百花繚乱時代であった。
この時代の男性アイドルのレコードジャケットやブロマイド、アイドル雑誌のグラビアではヨーロッパの城のような建物をバックに撮られた「白馬に乗った王子様」というような非現実的なイメージのものも多く、女性アイドル同様、手の届かない別世界のスターとして記号化される事例も見られた[38]。一例として、ギリシャ神話の彫像のような恰好をした郷ひろみの「裸のビーナス」のジャケットやメルヘンチックなタイトルの「イルカにのった少年」の大ヒットで知られる城みちるが挙げられる。また、豊川誕のように「不幸な生い立ち」が売り出しの際に喧伝されたものもいた。これらどこかおとぎ話の中の人物のような人々とは一線を画し、テレビが社会に広く浸透したことから、『笑点』の「ちびっ子大喜利」出身のグループずうとるびや、オーディション番組『スター誕生!』出身の城みちる、『スター・オン・ステージ あなたならOK!』出身のあいざき進也、『レッツゴーヤング』の「サンデーズ」出身の太川陽介、渋谷哲平、川崎麻世らのように素人、あるいは素人同様のタレントとしてテレビ番組に出演し、その成長とともに視聴者のアイドルとなっていく者たちもいた。
一方、若手俳優の中からも山口百恵とのコンビで一世を風靡した三浦友和、石橋正次、桜木健一、草川祐馬、国広富之などテレビドラマからブレイクし、アイドル的人気を博す者も現れた。石橋は紅白歌合戦にも出場、「夜明けの停車場」(1972年度年間ランキング第11位)が大ヒットした。沖雅也は日活ニューフェイス出身だが、映画の斜陽化により、テレビドラマに進出してからアイドル的人気を得た。仲雅美や井上純一、加納竜は元々は歌手として売り出されたが、テレビドラマでの活躍によって人気となった。仲雅美は出演したドラマ『冬の雲』の勢いに乗り、劇中主題歌「ポーリュシカ・ポーレ」(ロシア民謡が原曲)に歌詞を付けて歌い、1971年度年間ランキング第17位の大ヒットとなった。
シンガーソングライターの原田真二も当初は、アイドルとして売り出された。
70年代は新御三家の人気が続き、雑誌メディアがポスト新御三家として「新新御三家」(城みちる・あいざき進也・豊川誕(3人目は荒川務か松田新太郎の場合も)、「新新新御三家」(草川祐馬・加納竜・山本明)というセットを喧伝したが定着しなかった。
1980年代 編集
1979年の『3年B組金八先生』で生徒を演じた田原俊彦、近藤真彦、野村義男から成るたのきんトリオ(ジャニーズ事務所)がソロ歌手デビューし、次々とヒットを飛ばした。ジャニーズ事務所とTBSの桜中学シリーズはその後も本木雅弘、薬丸裕英、布川敏和から成るシブがき隊やひかる一平がデビューした。また、『金八シリーズ』からは他事務所からも竹の子族出身の沖田浩之が人気アイドルに、他には後に本格的なロック歌手となる本田恭章がアイドルデビューした。
一方、桜中学シリーズの煽りを受けて、人気が下降してからの裏番組『太陽にほえろ!』に出演した渡辺徹は、後に肥満が進み、それをネタとして人気司会者となるが、その時点では精悍なマイクが人気で、本人出演のアーモンドグリコのCMソングとして使用されたセカンドシングル「約束」が1982年の年間ランキングで33位のヒットとなり[39]、『太陽にほえろ!』の人気復活にも貢献した。
1980年代前半にデビューした主だったソロ歌手としては竹本孝之、『レッツゴー・ヤング』のサンデーズ出身者からは堤大二郎、新田純一、山本陽一らがいた。横浜銀蝿のJohnnyもアイドル的な人気を得ていた。横浜銀蝿は折からのツッパリブームに乗り、コンサート会場でスカウトした嶋大輔を「銀蝿一家」の弟分としてデビューさせ、成功を収めた[40]。そして沖田浩之らを輩出した原宿の歩行者天国の路上ダンスパフォーマーだった風見慎吾が挙げられる。風見は萩本欽一の番組でブレイクした。風見のように萩本の番組からアイドルとなった者も多く、イモ欽トリオも同様である。他のバラエティ番組からは『笑っていいとも!』のいいとも青年隊(羽賀研二、野々村真ら)、他にはジャニーズ事務所から中村繁之が1985年にデビューした。
ジャニーズ事務所は60年代、70年代は経営が不安定だったが、80年代前半には盤石の状態となった。しかし、チェッカーズ、渡辺プロダクションの吉川晃司のロック路線の二組が台頭。対抗するように王道のアイドルグループ少年隊が満を持して1986年にデビューした。さらにはよりテレビ映えのする集団群舞を重視したグループ光GENJIの人気が爆発、社会現象となった。そして忍者もデビューした。
一方でロック志向の高いチェッカーズや吉川、さらにはイギリスのアイドルバンドカジャグーグーを意識したC-C-B[41]の人気を受けて、吉川の事務所の後輩である湯江健幸が彼らのようにロック雑誌でも表紙やグラビアを飾るアイドル歌手として活動した[注 6]。さらにジャニーズ事務所からはテレビドラマでも活躍した岡本健一、前田耕陽、高橋和也ら男闘呼組が、日本ではアイドル的な人気を誇ったボン・ジョヴィを意識したハードロック・バンドとしてデビューした。一方でこの当時は「ロック=不良の音楽」の固定観念が根強く、湯江にしても男闘呼組にしても「学校をドロップアウトした不良少年」イメージで売り出され、男闘呼組のキャッチフレーズは「ジャニーズ事務所の落ちこぼれ」[42]というものだった。他方で、彼らの取り組みはアイドル人気、従来型音楽番組の退潮を受けて、ロック、バンドブームを捉えようとした動きでもあった[43]。
また、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)は「テクノポリス」「ライディーン」などがヒット、テクノカットが流行するなどアイドル的な人気を得た。
この頃にもまだ俳優もアイドル風に売り出される者が存在し、主にJAC出身の真田広之、池田政典、角川映画の野村宏伸、映画『ビー・バップ・ハイスクール』でブレイクした仲村トオル、横山やすしの息子の木村一八、子役アイドルの高橋良明らがいた。
お笑い界からは1980年代初頭には明石家さんま、漫才ブームでツービート等が人気を博し、ザ・ぼんちの「恋のぼんちシート」は80万枚を売り上げるヒットとなり、日本武道館でコンサートを開催するなどアイドル的人気を得た。
1980年代後半からはとんねるずやABブラザーズの中山秀征、関西では森脇健児、ダウンタウン、清水圭・和泉修等といったいわゆるお笑い第三世代芸人や、萩本欽一の番組に出演していたCHA-CHA(勝俣州和がメンバーだったことで知られるが、他にメンバー数名が当時ジャニーズ事務所所属)等のアイドル的な人気者が生まれた。
1990年代 編集
「アイドル冬の時代」と言われ、男性アイドル人気も下火となる。
その代わりにX JAPAN、LUNA SEA、L'Arc〜en〜Ciel、GLAYといったヴィジュアル系バンドに人気が集中する状況が続いた。派手な外見と華やかなステージで若い女性ファンを中心に人気を博し、ヴィジュアル+ロックミュージシャンというアーティストとアイドルの両方の側面を持っているため、男性アイドルのポジションを埋めるような役割を果たした。
一方でジャニーズ事務所は当初、光GENJIが他を圧倒する人気を見せたが、1980年代後半からのバンドブームや元ジャニーズ事務所所属のタレントの暴露が続く等の煽りで次第に失速。それから数年間は低迷期を迎えていたが、中盤からはデビュー当初は恵まれなかったものの様々な分野への挑戦と活躍が目立ったSMAPがブレイク。初期は10代の女性ファンが中心であったが次第に成人男性、高齢者にまでファン層が拡大し、大衆が好む簡単なメロディーに乗せて歌われる楽曲と親しみやすいキャラクターで国民的アイドルと言われ人気を確立。
更にTOKIO、KinKi Kids、V6など後続者も人気を得て自身が冠バラエティ番組も持つようになった。また、木村拓哉は俳優として、中居正広はバラエティー番組の司会のみならず、NHK紅白歌合戦等の司会を最多で務めるなど、従来のアイドルには無かった地位を確立し、その他のメンバー個人も個々の活動で成功した。また、SMAPがテレビの第一線で長期で活躍する影響もあり、30代〜40代でもアイドルとして活躍し、男性アイドルの寿命が伸びた。さらにジャニーズ事務所所属でCDデビューを果たしていないタレントであり、滝沢秀明、今井翼、小原裕貴などを筆頭としたジャニーズJr.も大衆的な人気を得て、「8時だJ」や東京ドーム公演を行った。
そういった状況の中、ライジングプロダクションがジャニーズ人気の復活に対抗して男性アイドルのプロデュースにも力を入れるようになった。1996年に「SMAPの対抗馬」として[44]事務所初の男性グループDA PUMPが結成される。
デビュー前から沖縄アクターズスクール初の男性ユニットとしてメディアで紹介されるなど注目を集め、本来のアイドルグループとは異なり、「ヒップホップコンセプトのアイドルグループ」・「ボーカル・ダンス・ラップ・コーラスなどの分かれた構成」・「ストリートダンスを取り入れたパフォーマンス」・「R&Bやダンスミュージックを取り入れ、キャッチーなメロディーにラップを織り交ぜて歌うスタイル」でジャニーズ系との差別化を図ってバラエティ・音楽番組・CM・映画・ラジオなどにも多数出演し、レギュラー番組を持つなど新たな新境地を確立した。1stアルバムが累計で70万枚を売り上げ、3rdアルバムではシングル・アルバムを通じ初のオリコン1位を獲得、初のベストアルバム「Da Best of Da Pump」が128万枚のミリオンセラーを記録、「NHK紅白歌合戦」にも5年連続出場した。非ジャニーズ系の男性アイドルで初めて成功したグループという評価を受け、大衆から人気を集めた。
当時、ジャニーズ系との共演はNGという噂が出ていたが実際にそのような証拠はなく、元メンバーであるYUKINARIの証言によると「あったとしても僕らが知るところではなかった。ジャニーズさんとの接触はNGなどと言われていましたが、僕らは気にしていなかったんですよ。店で食事をしていた際、たまたまTOKIOの松岡昌宏さんと遭遇し、そのまま合流したりしてましたから(笑)。紅白に出場した際も、舞台裏でSMAPさんと一緒にダンスを踊ったり、普通に接していただいた。」と語っている[45]。
また若手俳優からは「桜坂」でダブルミリオンを記録した福山雅治を初め、織田裕二、1980年代後半にジャニーズ事務所所属の経歴を持つ反町隆史、いしだ壱成、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」出身の武田真治、柏原崇は歌手としても一定の成功を収めた。
お笑い界からは吉本印天然素材、グレートチキンパワーズ、ナインティナイン、猿岩石、ネプチューン、ロンドンブーツ1号2号などがアイドル的な人気を博す。特に吉本印天然素材は最初から「ダンスもできるアイドル芸人ユニット」というコンセプトで売り出され、イベントで後楽園ホールを満員にするなど若い女性を中心に絶大な人気を獲得。彼らの人気に便乗して他のお笑い系事務所からユニットが結成されるなど、「お笑い芸人のアイドル化」が一般的となった。
2000年代 編集
この時代には男性アイドル事務所のライバルとして、特撮出身者が台頭した。90年代後半から00年代前半にかけて昭和特撮リバイバルの影響でイケメンヒーローブームが発生し、スーパー戦隊シリーズ・仮面ライダーシリーズといったニチアサ特撮番組に出演していたオダギリジョー、要潤、水嶋ヒロ、佐藤健、永井大、玉山鉄二、松坂桃李、ウルトラシリーズ出身の杉浦太陽、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを獲得してデビューした小池徹平や溝端淳平などの若手俳優陣たちの活躍が目立つようになる。以後、ジャニーズの対抗馬は男性アイドルではなく、いわゆるイケメン俳優たちに取って代わることとなった。また俳優業界からは「俳優集団」を称するD-BOYSのメンバーが登場した。
ライジングプロは2000年代に入ると脱税事件や沖縄アクターズスクールとの関係が断絶してしまうなどの状況であったが、そんな中、沖縄以外のアクターズスクール出身者で編成された男性アイドルのプロデュースにも力を入れた。
w-inds.は「少年的&中性的なイメージ」・「ボーカル1人にダンサー2人という特異構成」・「3角形になってパフォーマンスを行う」・「アイドルらしい楽曲」でジャニーズとの差別化に成功し、1stアルバム『w-inds.〜1st message〜』が初登場で1位獲得。NHK紅白歌合戦にも2002年から2007年まで6年連続で出場した。また日本のみならず中国、香港、台湾、韓国でも活動するなど人気を集めた。FLAMEやLeadといった後輩ユニットも「男性版SPEED」として結成され事務所の危機的な状況に貢献し、人気を繋げたがこちらはヒット曲などに恵まれずあまり良い成果が残せなかった。
1990年代にZOOのメンバーだったHIROを中心に結成されたEXILEも、ボーカルとダンスの分かれた構成と他の男性アイドルとは違った音楽・コンセプトで人気を獲得し、活躍の場を広げる。以降、アイドルグループは歌やダンスの実力にも重点を置くようになり、ダンスグループまたはダンス&ボーカルグループといった表現が使われる事が多くなった。(女性アイドルも同様)。2005年デビューのWaTはギターを持ち、アイドルではなくあくまでフォークデュオとして売り出していた。
ジャニーズ事務所からは嵐、タッキー&翼、NEWS、KAT-TUN、Hey! Say! JUMPらが台頭し、テレビ界と男性アイドルシーンにおけるジャニーズの寡占が続いた。中でもKAT-TUNは「不良」や「ギラギラ」などのイメージを持った従来のジャニーズアイドルとは異なったコンセプトで売り出され、デビュー前から東京ドーム公演を開催し、デビューシングル『Real Face』もミリオンセラーを記録するなど大ブレイクした。それに加えて亀梨和也 (KAT-TUN) と山下智久 (NEWS) による期間限定ユニット・修二と彰のシングル「青春アミーゴ」がヒットした。
2000年代半ばから後半にかけてホストブームが巻き起こり、元ホストの城咲仁が芸能界デビューし、club Prince等の現役ホストの歌手も登場した。
この時期はお笑い界では島田紳助司会の当時の人気番組『クイズ!ヘキサゴンII』から、無知を逆手に売りにする羞恥心のメンバーや新選組リアンが登場。さらに島田紳助プロデュースのWEST SIDEは関西圏でジャニーズ事務所のタレント達を上回る人気を得て「関西版SMAP」とも呼ばれた。以後、キングコング、オリエンタルラジオ、はんにゃ、NON STYLEらも若年層から人気を集めた。
2000年前後の頃から「アイドルのファン、追っかけイコール中高生や若者」というイメージは変わり、年配女性の追っかけ行為が盛んに報道されるようになった。先んじて1990年代にアイドルの先駆けであった舟木一夫の復活[46]、2002年にはフォーリーブスが再結成した。とりわけ2000年デビューの氷川きよしは久々に演歌界に大ヒットをもたらしたのみならず、熱心な年配女性のファンを生み、「きよ友」と称したファン仲間たちの交流はマスメディアに紹介されるのみならず[47]、年配の視聴者をターゲットにしたテレビドラマの題材にもなった[48]。
2010年代 編集
この時代に活動した男性アイドルは、嵐、三代目 J Soul Brothersを筆頭に、GENERATIONS、THE RAMPAGE、FANTASTICS、関ジャニ∞、KAT-TUN、NEWS、Hey! Say! JUMP、Kis-My-Ft2、Sexy Zone、A.B.C-Z、ジャニーズWEST、King & Prince、超特急やDISH//、BOYS AND MEN、祭nine.などが挙げられる。
1999年にジャニーズ事務所からデビューした嵐はハワイでデビュー会見、1stシングルが約100万枚売り上げるなど、華々しくデビューしたもののその後 数年は人気に恵まれず低迷期を経験した。2006年にはアジアツアーを成功させ、2007年にはメンバーの松本潤が出演したドラマ「花より男子」シリーズが社会現象となり、グループの人気に火をつけた。その後は東京ドームや国立競技場でのライブだけでなく、 天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」 にて天皇陛下御即位奉祝曲組曲を歌唱するなど、アイドルを超えた活動やSMAPやTOKIOのようにバラエティなどにも力を入れ、メンバーの仲の良さも好感を呼び国民的アイドルとなる。Youtube史上最速(28時間)で登録者100万人達成[49]、好きなアーティストランキング史上最多の通算8度目の首位の獲得[50]、2019年にはJ-POP史上初となる年間アルバム売上ランキング世界一となりギネスに認定される[51]など様々な記録も打ち立てた。人気絶頂だった2019年に2020年を持って活動休止することを発表した。嵐が国民的グループとして活動する中、SMAPの解散や期待の主だったNEWS、KAT-TUNのメンバーの相次ぐ脱退などの内紛を経験したが、Kis-My-Ft2やSexyZone、ジャニーズWESTなど2010年代以降、新たにデビューしたジャニーズアイドルが人気を繋げた。しかし、2019年にはジャニーズ事務所初代社長であるジャニー喜多川が亡くなり、芸能界やアイドル業界に大きな衝撃を与え、ジャニーズ事務所としても大きな転換期を迎えた。
LDHのEXILE系列グループは若年メンバーが数多く登場し、アイドル性が更に強化され、正統派で王子系のジャニーズに比べて男性のセクシーなイメージと大衆の志向に合致する楽曲で、女性層はもちろん若い男性層にも好評を得た。
スターダストプロモーションやフォーチュンエンターテイメントといった他の芸能事務所からもジャニーズとは異なるコンセプトで男性アイドルグループが多数デビューして日本武道館公演を成功させるなどの勢いを見せたが、これらのアイドルたちは事実上「ジャニーズの後追い(フォロワー)」といった印象が強く、女性アイドルと同様に小規模のライブや握手会などをメインに活動するため明確な成果はなかった。ライジングプロダクションの男性アイドルは活動が多く減っていたが、2018年にはDA PUMPが「U.S.A.」のヒットを受けて再ブレイクを果たし、21年ぶりに『ミュージックステーション』へ出演した。
2000年代お笑いブームの影響を受けて、アイドル的人気を持つお笑いタレントも登場した。エグスプロージョン(EDISON)やRADIO FISHの「PERFECT HUMAN」が話題となり、お笑い芸人とダンサーがユニットを組んで人気を集めたが、2010年代に入ると『エンタの神様』や『はねるのトびら』、『オンエアバトル』等といった2000年代のお笑いブームを牽引したお笑いバラエティ番組が軒並み終了し、『めちゃ2イケてるッ!』や『笑っていいとも!』等の長寿番組となっていた番組までもが相次いで終了、テレビでのお笑い系番組の衰退が続き、若者のテレビ離れや少子化等も相まってアイドル的人気の若手芸人が減少していた。
その代替材としてYouTubeで活動しているHIKAKIN・はじめしゃちょーをはじめ、東海オンエアやフィッシャーズといった男性ユーチューバーたちが台頭。「近所のお兄さん」・「男友だち」的な感覚で視聴者と身近に繋がれる存在として男性アイドルと芸人の中間的なポジションとなり、テレビ番組、東京ガールズコレクション、関西コレクションなどの出演やU-Fes[注 7]などのライブイベントを開催して10代の女子層(中高生)を中心に絶大な人気を獲得した。2010年代はまだYouTubeに芸人やジャニーズなどのタレントがほとんど参入していなかったため、ネットでは在野のYouTuberが人気を独占した。またネット上で他にもゲーム実況者のTOP4やニコニコ動画からルートファイブ等のいわゆる歌い手が人気となった。
年配女性をターゲットとした演歌アイドルとしては山内惠介や純烈、俳優面からは星野源をはじめ菅田将暉、竹内涼真、福士蒼汰、山﨑賢人、横浜流星、北村匠海、中川大志などの若手俳優陣、宮野真守や神谷浩史、Kiramuneといった声優アイドルの活躍も目立った。
アダルト業界ではSILK LABOの作品に出演している鈴木一徹をはじめ、月野帯人、森林原人、しみけんといった若手AV男優もアイドル的な人気を得た。
2020年代 編集
テレビでの活躍が目立つ男性アイドルは、ジャニーズやLDH系列グループ以外ではJO1がバラエティを中心に活躍。お笑い界からはお笑い第七世代やEXITが人気を得ている。
このほか、吉本興業が男性アイドルを売り出しており、INI(LAPONE entertainment)、OCTPATH、OWVといったグループがデビュー。またAAAのメンバーである日高光啓(SKY-HI)が企画したボーイズグループ発掘オーディション「THE FIRST」からBE:FIRST、X JAPANのYOSHIKIが企画したボーイズグループオーディション「YOSHIKI SUPERSTAR PROJECT X」からXYがデビューした。
ジャニーズ事務所においては、これまでのジャニーズアイドルとは異なる歌唱力を売りにしたSixTONESやアクロバットやダンスを得意とするSnow Manが2020年にデビューしミリオンセラーを多く獲得。2021年にはこれまでのジャニーズの王道路線であるなにわ男子がデビュー。2022年にはアメリカへ留学していたTravisJapanの世界デビューを果たした。2023年にはなにわ男子の道枝駿佑主演映画「今夜、世界からこの恋が消えても」が韓国で異例の大ヒットとなり、韓国で大人気となった。さらに、SnowManのラウールが「パリ・コレクション」に出演するなど、海外進出を進めた。[52]他にも、これまでジャニーズ事務所は肖像権や著作権の問題などでインターネットから距離を置いてきたが、近年YouTube・Instagram・Twitter・TikTokなどを始めとしたSNSへの進出や、一部アーティストの音楽配信・サブスクリプションも積極的に行い、2021年にはTikTokにおいてなにわ男子の『初心LOVE』が国内アーティスト最速となる5億回再生を突破するなど[53]、中高生を中心とする若者の人気を博した。同年に結成されたジャニーズ初のYouTubeユニット『ジャにのちゃんねる』もスタートし、日本最速でチャンネル登録者200万人突破[54]するなど様々な記録を打ち立てた。さらに、デビュー前のSixTONES・Snow Man・なにわ男子・Travis Japan、HiHi Jets・美 少年などを筆頭としたジャニーズJr.第二黄金期が訪れ、2000年以来19年ぶりとなる東京ドーム単独公演を行うなど、メジャーデビューしていないにもかかわらず多くのメディアやなどに出演し、活躍の場を広げた。
一方で芸能人やタレントがYouTubeに多く参入するようになり、YouTuberの再生回数および登録者、収益が激減する状況となった。また視聴者の主だった10代が成人年齢となったこと、YouTuber本人たちにも既婚者の増加・あるいはメンバーの脱退や卒業、新型コロナウイルスなどの影響もあり、以前に比べて勢いが衰えてきているが現在では、コムドットが若い世代からアイドル的な人気を得ている。2022年4月にスカイピースがコンビYouTuberとしては史上初の日本武道館公演を開催[55]、同年9月には東海オンエアが所属事務所UUUM史上初の単独アリーナ・単独1万人規模のイベント「T 東海オンエア C カモン東京!! G ゴッドオブエンターテインメント 〜こんなのアリーなんですか?〜」をぴあアリーナMMで行った[56]。2023年6月にはYouTubeで活動しているゲーム実況者4人によるコラボグループTOP4が東京ドームを満員にし[57]、同年8月にコムドットが総合プロデュースを務めたライブイベント「Creator Dream Fes ~produced by Com.~」も東京ドームで開催された[58]。
ジャニー喜多川から後継指名を受けて[59]2019年からジャニーズJr.のプロデュースに専念していた滝沢秀明は、ジャニーズ事務所を電撃退社後、新たな芸能事務所TOBEを設立する。滝沢の盟友[60]である元V6の三宅健、元King & Princeの平野紫耀・神宮寺勇太の所属に加え、ジャニーズJr.内ユニットとして活動していた旧IMPACTors7人全員が揃って移籍したことは、業界の慣習に縛られない手法として衝撃をもたらした[61]。
2023年、ジャニー喜多川の性加害問題が英国BBCのドキュメンタリーとして全世界に向けて報じられ、国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会までもが来日して調査に乗り出す事態となった。その後のジャニーズ事務所が外部の専門家を集めて設置した「再発防止特別チーム」による性加害の事実認定[62]だけでなく、他の芸能事務所やマスメディアに対して圧力を掛けた事実も改めて再確認[63]されたことで、ジャニーズ事務所の在り方(さらにはその存在を許した日本社会の在り方)が国際的に問題視[64]され、半世紀以上にわたって日本の男性アイドル人気を独占していたジャニーズ事務所は再出発を余儀なくされた[65]。
現在の男性アイドルは、SixTONES、Snow Man、DA PUMP、なにわ男子、King & Prince、JO1、Da-iCE、INI、CUBERS、原因は自分にある。、BALLISTIK BOYZ、VOYZ BOY、Zero PLANET、プラチナボーイズ、BE:FIRST、BUDDiiS、7ORDER、OCTPATH、DISH//、BLVCKBERRY、THE SUPER FRUIT、Travis Japan、DXTEEN、MAZZEL、IMP.、ジャニーズJr.などが挙げられる。
主な男性アイドル 編集
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いわゆる男性アイドルだけでなく、男性アイドルのルーツと言える昭和のスター歌手も含む一覧である。
1960年代 編集
歌手デビュー年
- 1962年…北島三郎
- 1964年…ジャニーズ、西郷輝彦
- 1965年…ザ・スパイダース
- 1966年…加山雄三、
- 1967年…ザ・タイガース、ザ・テンプターズ、
- 1968年…フォーリーブス、ジャニーズ解散後ソロであおい輝彦
- 1969年…永田英二、ハイ・ソサエティー
歌手デビュー年
- 1970年…にしきのあきら、仲雅美、野村将希、石橋正次、桜木健一、ジュークボックス
- 1971年…野口五郎、ザ・タイガース解散後ソロで沢田研二、ザ・スパイダース解散後ソロで堺正章、井上順 ら。
- 1972年…西城秀樹、郷ひろみ、フィンガー5、ザ・テンプターズ解散後ソロで萩原健一
- 1973年…城みちる
- 1974年…あいざき進也、ずうとるび、荒川務、八田英士(永田英二が改名して再デビュー)
- 1975年…草川祐馬、加納竜、井上純一、JOHNNYS' ジュニア・スペシャル、豊川誕、リトル・ギャング
- 1976年…太川陽介ら。
- 1977年…狩人、レイジー、川﨑麻世、フォーリーブスからソロで青山孝
- 1978年…渋谷哲平ら。
- 1979年…国広富之ら。
1980年代 編集
歌手デビュー年
- 1980年…田原俊彦、近藤真彦、真田広之、ANKH
- 1981年…沖田浩之、竹本孝之、ひかる一平、堤大二郎、松村雄基、時任三郎、広岡瞬、イモ欽トリオ、Johnny、とんねるず
- 1982年…シブがき隊、新田純一、本田恭章、渡辺徹、嶋大輔
- 1983年…チェッカーズ、C-C-B、風見慎吾、THE GOOD-BYE(野村義男のバンド)、イーグルス、矢吹薫
- 1984年…吉川晃司、一世風靡セピア、山本陽一
- 1985年…少年隊、中村繁之、石黒賢、野村宏伸、鶴見辰吾、井浦秀知
- 1986年…木村一八、湯江健幸、中山秀征、長島ナオト、池田政典、息っ子クラブ
- 1987年…光GENJI、織田裕二、仲村トオル、高橋良明、岩城憲 & Tears Project、沢向要士、金山一彦
- 1988年…男闘呼組、CHA-CHA、江口洋介、西川弘志
- 1989年…吉田栄作、幕末塾
1990年代 編集
歌手デビュー年
- 1990年…忍者、福山雅治、菊池健一郎
- 1991年…SMAP
- 1992年…葛山信吾
- 1993年…高橋克典、原田龍二、保阪尚希
- 1994年…TOKIO、いしだ壱成、藤重政孝、光GENJI SUPER 5
- 1995年…V6、武田真治(サックスプレイヤーとしてデビュー)、LAZY KNACK
- 1996年…T.M.Revolution、Iceman、猿岩石
- 1997年…KinKi Kids、DA PUMP、反町隆史、pool bit boys
- 1998年…柏原崇、LAZY KNACKからソロでRED
- 1999年…嵐、藤木直人、初代J Soul Brothers
2000年代 編集
歌手デビュー年
- 2000年…氷川きよし
- 2001年…EXILE、CHEMISTRY、w-inds.、山内惠介
- 2002年…タッキー&翼、押尾学、RAG FAIR、Lead、松田悟志、KinKi Kidsからソロで堂本剛
- 2003年…NEWS、ORANGE RANGE、DAIGO
- 2004年…関ジャニ∞、玉木宏
- 2005年…修二と彰(山下智久と亀梨和也)、トラジ・ハイジ、WaT、AAA、GRANRODEO(谷山紀章)、永井大、Folder5からソロで三浦大知
- 2006年…KAT-TUN、NEWSからソロで山下智久、NEWSからの派生ユニットでテゴマス、w-inds.からソロで橘慶太
- 2007年…Hey! Say! JUMP、宮野真守、Club Prince、HotchPotchi、PureBoys、WaTからソロでウエンツ瑛士、小池徹平
- 2008年…羞恥心、悲愴感、矢島美容室、小野大輔、二代目J Soul Brothers
- 2009年…新選組リアン、入野自由、神谷浩史、NYC
2010年代 編集
歌手デビュー年
- 2010年…三代目J Soul Brothers、純烈、サーターアンダギー、50TA
- 2011年…Kis-My-Ft2、Sexy Zone
- 2012年…A.B.C-Z、GENERATIONS、中山優馬、鈴木福、BOYS AND MEN、超特急、DISH//、はやぶさ
- 2013年…PrizmaX、Hey! Say! JUMPからソロで山田涼介、Kis-My-Ft2からの派生ユニットで舞祭組
- 2014年…ジャニーズWEST、ブレイク☆スルー、Da-iCE、SOLIDEMO、AAAからソロでNissy
- 2015年…HiHi Jets/ジャニーズJr.、さくらしめじ、MAG!C☆PRINCE、M!LK、RADIO FISH、X4、BOYS AND MEN研究生
- 2016年…美 少年/ジャニーズJr.
- 2017年…菅田将暉、THE RAMPAGE、祭nine.、COLOR CREATION
- 2018年…King & Prince、FANTASTICS、VOYZ BOY、7 MEN 侍/ジャニーズJr.、少年忍者/ジャニーズJr.、SpeciaL/ジャニーズJr.
- 2019年…CUBERS、原因は自分にある。、BALLISTIK BOYZ、Zero PLANET、KAT-TUNからソロで亀梨和也、プラチナボーイズ、Lilかんさい/関西ジャニーズJr.、Aぇgroup/関西ジャニーズJr.
2020年代 編集
歌手デビュー年
女性アイドル史 編集
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日本における女性アイドル史は多様化しており、下記は主に「歌手業」を主とした狭義の女性アイドル史である。グラビアアイドルなどは当該項目を参照。
「スタア」の時代 編集
アイドルという言葉が登場する以前の時代にも、アイドル的な特徴を備えた女性たちが複数の分野で活動を行っていた。当時、こうした女性たちは当時の人気芸能人を指す「スタア」や「スタァ」に含まれる形で、「アイドル」等と特段区別することなく紹介されていた。
日本の女性アイドルの原点としては戦前の1930年代に明日待子,諏訪根自子,山口淑子(李香蘭),原節子が活動していたが、彼女たちの活動分野は歌手に限らず様々で、アイドルとして特段に区別されることもなく、単に「スタア」(当時の人気芸能人)として扱われていた。彼女たちの活動は戦中,戦後も続いた。
続いて戦後から高度経済成長期にかけて流行歌の分野で日本国民の羨望を集めるスター歌手が登場し、日本の経済成長に伴うレコードの売り上げ枚数増加の後押しもあって、80年代アイドルの時代まで直接的に繋がるソロあるいは少人数のアイドル歌手の活動スタイルを形成して行った。
1940年代後半の終戦直後から1950年代前半にかけては、戦後復興期という日本の新たな時代の到来と共に笠置シヅ子が「ブギの女王」として君臨した。リズム感に乏しい楽曲を直立不動で大人しく歌う歌手ばかりであった邦楽界において、明るくリズム感のあるブギの伴奏に合わせて笠置シヅ子が見せた歌って踊るパフォーマンスは正に革命的であり、戦後復興期において満身創痍となっていた日本国民に新たな時代への希望を抱かせるようにして大スターとなった。笠置シヅ子は東京ブギウギを筆頭に21世紀でも歌い継がれる流行歌を多数発表した。
1948年5月、当時人気絶頂にあったボードビリアンである川田義雄(のちの川田晴久)に才能を見出された美空ひばりが横浜国際劇場公演に抜擢され、その抜擢を契機として美空ひばりは天才少女歌手として人気を得た。美空ひばりはデビュー当初、笠置シヅ子の物真似が上手いことから「ベビー笠置」とも呼ばれた。その後も美空ひばりの人気は高まって行き、名実ともに笠置シヅ子の次世代のスター歌手となった。
1950年代から1960年代にかけて日活青春映画などに出演していた吉永小百合や美空ひばりなどが活躍していた時代であり、また美空ひばりと江利チエミと雪村いづみで結成された「三人娘」や伊東ゆかり・中尾ミエ・園まりからなる「スパーク三人娘」、ザ・ピーナッツなどが現在のアイドル的なポジションで活動していた。
1970年代 編集
1970年代には量産される女性タレントを多少の揶揄の意味を込めて「かわい子ちゃん歌手」と呼ぶ風潮があったとのことである[66]。山口百恵・森昌子・桜田淳子(花の中三トリオ)、南沙織、天地真理、小柳ルミ子、岡崎友紀、麻丘めぐみ、浅田美代子、伊藤咲子、アグネス・チャン、岩崎宏美、太田裕美、木之内みどり、高田みづえ、大場久美子、石野真子といったソロアイドル歌手が多く台頭。またピンク・レディーやキャンディーズは、対照的な形で1970年代末のアイドルシーンを牽引した。しかし、1970年代末にアイドル人気の中心を担っていたキャンディーズ,山口百恵,ピンク・レディー等が相次いで活動を停止したため、「第一次アイドル冬の時代」が到来した[24]。
1980年代 編集
1980年代に入り、松田聖子・小泉今日子・中森明菜・菊池桃子・早見優・堀ちえみ・石川秀美・松本伊代、河合奈保子、柏原芳恵ら若年層に向けたポップスを主とする歌手が活躍を始め、「アイドル」の呼称が市民権を得るようになった[67][68]。1980年の時点では松田のレコード売上は新人部門4位で、ニューミュージック勢が優勢であったが[68]、1982年に小泉と中森がデビューし、女性アイドルの黄金時代となった[69]。
1980年代前半には、イエロー・マジック・オーケストラなどのテクノポップバンドの成功によって、シンセサイザーの音色を特徴とするテクノ歌謡と呼ばれるジャンルが流行し、アイドルが歌うテクノ歌謡も多数作られた。
1980年代中盤には、岡田有希子、本田美奈子.、荻野目洋子、長山洋子(後に演歌歌手へ転向)がデビューしている。また、森口博子、井森美幸、山瀬まみらは歌手としては大成しなかったが、バラエティーアイドルとしてのジャンルを確立した。もっとも、森口博子はオタク文化の地位向上によって機動戦士ガンダムシリーズの主題歌の歌手として再評価されている。
また、中盤にブレイクしたおニャン子クラブはフジテレビ系夕方の番組内のオーディションから誕生。高校生を中心に多くのメンバーが在籍し、新田恵利、国生さゆり、河合その子、福永恵規、城之内早苗、渡辺美奈代、渡辺満里奈、工藤静香らがソロデビューしている。うしろゆびさされ組、うしろ髪ひかれ隊、ニャンギラスら派生ユニットを次々と生み出す流れはその後のアイドル文化となった(うしろゆびさされ組の高井麻巳子、岩井由紀子とうしろ髪ひかれ隊の工藤静香はソロでも活動)。
1980年代後半から、中山美穂、南野陽子、浅香唯、酒井法子、工藤静香(前述のおニャン子クラブ出身)らが台頭し、特に中山美穂(女優と並行)と工藤静香は90年代中盤まで活躍した。また後藤久美子、小川範子、坂上香織、喜多嶋舞、宮沢りえらローティーンの子役やモデルらがテレビ・CM等を中心に美少女ブーム[70]を牽引した。デュオとしては、Winkが独特の振り付けで話題となり、レコード大賞を受賞した。
このように数多くデビューはしたが、長らく歌手として活躍できたのは松田・中森・小泉等ごくわずかで、多くは女優や歌手以外のタレント業へとシフトして行った。1986年には岡田が日中にビルから投身自殺し世間に衝撃を与えた(動機は未だ不明)。
男性アイドル事務所であるジャニーズ事務所も1970年代〜1980年代は男女混合ユニットであるVIP、スリーヤンキース、オレンジシスターズなどの女性グループから飯野矢住代、嶋田じゅん、ジャニーズ事務所二代目社長である藤島ジュリー景子などソロタレントなどが所属していた。
BaBeはジャズダンスを出自として激しいダンスを踊る2人組として1987年にデビューして有名になった。BaBeは平成以降に台頭する歌って踊る女性アイドルの直接的な元祖となった。しかし、短い活動の後、1990年に解散した。
Winkは「第二次アイドル冬の時代」[24]が始まった直後の1988年にデビューしたが、笑顔がない人形のような神秘的な印象が斬新と評価されて、1990年代前半にかけて例外的に絶大な人気を得ることになる。
1990年代 編集
1990年代に入ると、格好良さを売りとするアーティストの台頭とアイドルのマンネリ化が同時進行してアイドルの人気が下火となり、音楽番組も次々と打ち切られる状況になる。「第二次アイドル冬の時代」[24]と言われる状況の中で、高橋由美子や観月ありさ、宮沢りえ、牧瀬里穂(「3M」と称された。命名者は中森明夫)、西田ひかるらが登場、グループではCoCo、ribbon、東京パフォーマンスドール、SUPER MONKEY'S、C.C.ガールズ、Mi-Ke、Melody、桜っ子クラブさくら組といったアイドルが活躍した。「笑顔のない人形のような神秘性」という点でのインパクトにより、冬の時代に突入しても例外的に絶大な人気を獲得して独り勝ちしたWinkを筆頭に、1980年代にデビューしたアイドルも少数ではあるが活動を続けていた。可愛らしさを重視する昭和のアイドル像が通用しなくなった状況下で、様々な試みが行われ、アーティスト的な要素も吸収しながら多人数化することで徐々に21世紀のアイドル像が生まれていった。
1990年代以降、ソロアイドルはアーティスト路線の増加などにより減少し、徐々にアイドルグループが台頭するようになる。またダイナミックな表現のために、楽曲のBPMは高速化し、パフォーマンスは軽い振り付けから本格的なダンスへと移行して行った。1990年から1996年まで活動した第1期の東京パフォーマンスドールはその変化の切っ掛けとなったグループであり、ユーロビートやハウスやハードコアテクノやヒップホップなど、当時のディスコやクラブやストリートカルチャーで流行していたダンサブルな洋楽の特徴をいち早く導入して昭和歌謡的なアイドル曲から脱却した他、ライブハウスの原宿RUIDOを拠点に後のAKB48グループが行ったような定期公演も行っていた[71][72]。また、後のAKB48グループと同様に、東京以外でもライブが体験できるように、姉妹グループとして大阪パフォーマンスドール[注 8]や上海パフォーマンスドールも結成して各々の都市で定期公演を行った。従来型のアイドルのように大きなコストが掛かるコンサートホール以上の会場やテレビ番組を主戦場とするのではなく、小規模なライブハウスで多数回のライブを行い、生の体験や口コミを重視することを重視した点は、ライブアイドルの先駆けにもなった。但しSNSが無い時代であったため、地理的に離れた場所への告知はマスメディアに頼らざるを得ない部分も大きかった。
1994年には水野あおいという元祖プレアイドル(現在でいうライブアイドル)が昭和に主流であった正統派アイドルの特徴を受け継ぐ形で活動を開始し、マスメディアへの露出だけに囚われないライブハウスのみで活動するアイドルの姿が徐々に鮮明化して行く。プレアイドルの登場は、桃井はるこを筆頭に、後のアキバ系アイドルにも影響を与えた。
1994年10月1日から1995年3月16日にかけて、売れない女性アイドルを集めた特別番組である『今田東野ナイナイの芸能界ダメならぬがねば!!』とその後継の深夜番組である『天使のU・B・U・G』が放送され、遠峯ありさ(後の華原朋美),菅野美穂,水野あおい,大阪パフォーマンスドール,ENDOLL,ピンクサターン等、各方面から様々なアイドルが出演し、様々な奇抜な企画を行った。続いて、1994年10月17日に『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』,1995年10月1日に『ASAYAN』,1996年10月15日に『うたばん』が放送を開始するなど、人気音楽番組が相次いで登場し、テレビ出演の機会が増えたことで女性アイドル人気が復活する下地が形成された。
1990年代半ばには、小室哲哉がプロデュースしたソロ歌手である安室奈美恵や華原朋美が登場して互いに競争し、内田有紀らが台頭。そして織田哲郎がプロデュースした相川七瀬もソロアイドル歌手として大きな存在感を示した。一方、グループアイドルでは奥田民生がプロデュースしたPUFFYやMAX、SPEED、オーディション番組の『ASAYAN』から生まれつんく♂がプロデュースしたモーニング娘。が大成功を収めた。この頃から人気女性歌手はアイドルというより同姓人気の高いアーティスト路線が多くなり、1980年代までのぶりっ子系のアイドル歌手とは大きく路線が異なっていた。
1990年代後半には、鈴木亜美、広末涼子、浜崎あゆみ、宇多田ヒカルといったアーティストがブレイクする。特に宇多田と浜崎は、社会現象と評される程の爆発的な人気を獲得した。併せて、1998年頃にはCDバブルが頂点に達することになる。
同時期には同名のバラエティ番組から生まれたミニスカポリス等も人気を博した。
1990年代アイドルの特徴として、1980年代とは逆に女優・モデル指向でも歌手デビューするケースが多い事が挙げられる(高橋、観月、宮沢、牧瀬、内田、広末、松たか子等)。
上記とは別に、谷村有美、永井真理子、森高千里(上記の松も含む)等、アイドル性を持ちながら自ら作詞・作曲を行う若手の女性歌手も登場し、活躍した。詳細はGiRLPOPを参照。また、ビーイング系を中心としたZARD、MANISH・KIX-S・Every Little Thing・PAMELAH・Favorite Blueら、グループを含め従来のアイドル枠には収まらない女性ヴォーカルが活躍した時代でもあった。これらはアーティストと呼ばれるようになっていく。
また、1990年代に入ると、チャイドルブームやねずみっ子クラブ、SPEED、おはガール等の登場により、アイドルの低年齢化が一気に進み、小中学生からデビューするアイドルが当たり前となった。こうしたアイドルは、表向きには同世代をターゲットとしていたが、次第に大人のファンも一定数現れ始め、2000年代以降は少子化等の影響もあり、むしろそちらの方が低年齢アイドルのメイン支持層となっている。アイドルの低年齢化のトレンドにより、20代以降のアイドルでも全体的に見た目の若返りが進み、中高生を彷彿とさせるような容姿のアイドルが増えた。逆に、大人らしさを持つアイドルは減少した。
2000年代 編集
2000年代に入ると、前述の浜崎あゆみや宇多田ヒカルに加えて、倉木麻衣、中島美嘉、愛内里菜、大塚愛、YUI、倖田來未、BoA、伊藤由奈、木村カエラ等が人気を博し、J-POP界で空前の「歌姫」ブームが巻き起こった。このようなアーティスト路線のソロ女性歌手の台頭により、従来型の女性アイドルは完全に下火となった。
また、前述のモーニング娘。がいわゆるハローマゲドン等の影響もあり、2002年頃から売上が急速に低下し始め、テレビではそのモー娘。と入れ替わる形で、小池栄子やMEGUMI等のイエローキャブ所属のグラビアアイドルや、同時期からやや遅れて優香、眞鍋かをり、中川翔子、若槻千夏、小倉優子、安めぐみ等といったグラビア出身者が、バラドルとしてバラエティ番組を席巻した。
2001年にはハロー!プロジェクト内で松浦亜弥がデビューし、21世紀では珍しくソロアイドルとして人気となる。また2000年代半ばになると柴咲コウ、上戸彩、新垣結衣、沢尻エリカ、綾瀬はるか等といった女優が歌手デビューを果たし、下火となったソロアイドルの枠を埋め合わせる形で活躍した。
一方で、アイドルグループは秋元康プロデュースの推定少女や、フジテレビ主導のアイドリング、オスカー所属の美少女クラブ21、ライジングプロダクション所属のHINOIチーム等がデビューしたものの、何れのグループも一般大衆からの人気を得られず、アイドリング以外のグループは何れも5年以内に解散するなど、短命に終わった。女性アイドルから爆発的にヒットするグループが中々現れず、グラビアアイドル以外の女性アイドルは数年間に渡り、再び冬の時代を迎えることとなった。
2005年にはアキバ系オタクが主人公の『電車男』がブームとなり、秋葉原やオタク文化が注目されると、秋元康がプロデュースを行うAKB48が結成され、2007年の『紅白歌合戦』に中川翔子、リア・ディゾンと共に「アキバ系アイドル」枠で出場した[73][74]。同時期にはメイド喫茶も流行語大賞にノミネートされるなどブームとなり、完全メイド宣言など歌手デビューするグループまで現れた。
2005年に秋葉原を拠点に活動を開始したAKB48グループは、AKB48劇場に基づいて総選挙や握手会といったシステムを導入し、2000年代後半から2010年代後半にかけて東京・名古屋・大阪・福岡・新潟・瀬戸内などが拠点のアイドルグループを作り、それを全国的に繋げるというユニークな形で成功することになった。「会いに行けるアイドル」のキャッチコピーの通り、AKB48グループは各都市を拠点とするグループを設けるほどに生のライブ体験を重視している。CD需要が減少した反面ライブ需要が伸びていることもAKB48グループの活動を後押しした。秋元康は従来まで作詞家として有名であった[75][注 9]が、AKB48の成功で女性アイドルプロデューサーとしての名声を獲得した。
2007年にはテクノポップユニットのPerfumeが「ポリリズム」でブレイクし、シンセ打ち込みによるバックトラックのクールさで人気を獲得した。この後、アイドル界隈でピコピコとしたシンセの音色を前面に押し出した楽曲が増加した。
2008年にはAKB48がキングレコードに移籍し、「大声ダイヤモンド」のCDに握手券を封入させ、以降、女性アイドル冬の時代に急速に売り上げを伸ばし、冬の時代を脱却する切っ掛けを作った。握手会のような特典会を重視するビジネスモデルは他のアイドルでも参考にされ、アイドル界全体として特典会の内容充実が図られるようになって行った。
同時期にはAV女優やグラビアアイドル・モデルなどの多業種のタレントで構成された、恵比寿マスカッツも登場し、AV女優のアイドル・タレント化(一般タレントとのボーダーレス化)が急速に進んだ。
2010年代 編集
2010年頃になると、前述のAKB48が「ヘビーローテーション」等のヒットで、本格的なブレイクを果たしたことや、ももいろクローバーZのブレイクにより、下火となっていた女性アイドルグループ業界が急速に活性化することとなった。
また、「アイドルを名乗るタレントの数が日本の芸能史上最大」[76]という状況になり、「アイドル戦国時代」と呼ばれるようになった[77][78]。
ソニーミュージックが手掛け、秋元康がプロデュースする乃木坂46、欅坂46(後に櫻坂46へ改名)、日向坂46ら坂道シリーズのブレイク、スターダストプロモーション所属のももいろクローバーZの女性グループ初となる国立競技場ライブ開催[79]、ハロー!プロジェクトからスマイレージ(後にアンジュルムへ改名)、Juice=Juice、カントリー・ガールズ、こぶしファクトリー、つばきファクトリー、BEYOOOOONDSが安定した人気を保つなど、多数の女性グループが次々と活躍した。EXILEが所属するLDHからデビューしたE-girls(ただし、アイドルはなくダンス&ボーカルグループに分類されることが多い)や、Perfumeが成功したアミューズからは「アイドルとメタルの融合」をテーマに結成されたBABYMETALなどもブレイクした。
2010年から始まった、女性アイドルの大規模フェスTOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)の規模も、200組以上もの出演者が参加するまでになっている[80]。
さらには、新潟のNegicco、宮城のDorothy Little Happy、愛媛のひめキュンフルーツ缶、福岡のLinQなど、ローカルアイドル(ロコドル)と呼ばれる、地域に密着したアイドルも相次いで全国デビュー[76][77]。中には福岡のRev. from DVLに所属していた橋本環奈のように、個人で全国区の人気を集めたケースもある。日本ご当地アイドル活性協会代表の金子正男[81][82]によると、東京拠点の1500組を除いた全国46道府県のアイドルは、2021年7月1日現在で2132組存在する[83]。
2010年代の女性アイドルグループは一部を除き、そのほとんどが握手券を封入させたCDの売上や、チェキ券などの物販の売上で収益を得ており、2000年代までは珍しかった接触イベント重視のアイドルが一般的になった。
一方で、供給過多とも言えるアイドルグループの数や、ファンとの距離が近いビジネスにより、2014年のAKB48握手会傷害事件や、2016年の小金井ストーカー殺人未遂事件、2019年のNGT暴行事件等、女性アイドルがトラブルや事件に巻き込まれるケースが相次いで発生するようになった。
2010年代終盤では、新たにでんぱ組.incやBiSHなどがコンサート・ライブでの成果を見せたが、従来のコンセプトを抜け出せない量産型アイドルが増えており、ほとんどが小規模のライブや握手会などのいわゆる接触イベントといったマイナーアイドルの活動方式に従うので、大衆的にアピールするのが難しい状況である。
大量の女性アイドルグループがデビューし、一定の人気を獲得するようになった一方で、ソロ女性アイドルに関しては、ハロプロや秋元系グループからソロデビューする極一部の者等を除くと、メジャーシーンではほぼ存在しなくなった時代でもあった。
また、この頃から「推し」という言葉が一般化した。
2020年代 編集
2020年は、新型コロナウイルス (COVID-19) の影響により、アイドルの収入源であるライブ公演やグッズ販売が困難となり、大きな支障をきたしている。この問題はアイドルだけでなく芸能界全体にも関係するが、特に握手会などで利益を出していた昨今のアイドルは打撃が大きく、2022年には秋元康が運営参画したラストアイドルが解散した(その後、グループ名を引き継ぎ再デビュー)。坂道シリーズやPerfume、AKB48グループ、ハロー!プロジェクト、STARDUST PLANETといった既に人気のあるグループを除いた場合、アイドルたちの活躍はほとんどテレビでは見られない。また、2020年大晦日の『第71回NHK紅白歌合戦』ではAKB48が落選し[84]、2022年の『第64回日本レコード大賞』でも、坂道シリーズとAKBグループが選出されなかった。
アイドルは最も人気のエンタメジャンルの1つとなった事で競争が激化し、アイドル全体で見た時にマスメディアで常時取り上げられるほどの人気を獲得するアイドルは極めて例外的となった。大部分のアイドルはライブアイドルとして街頭でのチラシ配布やライブハウスにおける公演の他に、SNSや動画共有サイトなどでの情報発信によって集客を行っており、競争に敗れて収益が不足し短命に終わるアイドルが大部分である。アイドルの人気は高止まりしているが、反面ライブアイドルについては採用の基準が下がったり教育が十分に行われずデビューさせられるなどしており、歌唱力やパフォーマンスの質が伴わない事も多くなった。
コロナ不況のなかで若い世代に華やかな1980年代が再発見され、1980年代女性アイドルのリバイバルが起きた[85]。
また2020年以降、各テレビ局が視聴率の指標を、世帯視聴率からより若年層がターゲットである個人・コア視聴率へと変更したことにより、なえなのや景井ひなといったインフルエンサー・TikTokerや、古川優奈や生見愛瑠等といったモデルがテレビでも活動するようになったが、写真集を出したり男性雑誌へのグラビアも行うなど、事実上アイドルのような活動を行っている者も多い(いわゆるモグラ女子)。
アイドルよりもアーティストに分類されることが多いが、新しい学校のリーダーズのように、確かな実力と奇抜な個性で世界進出を成功させる女性パフォーマンスグループも台頭するようになった。
一方で、平成期に全盛を極めた専業グラビアアイドルはテレビから殆ど姿を消し、一部の者が深夜番組やトーク番組にゲストで登場する程度にまで活動が減っている。
21世紀の女性アイドル界では、ジャニーズ事務所による市場独占が長く続いた男性アイドル界よりも多様なアイドルが活動している。ジャンルとしての成熟により、かつて女性アイドルのマニアの間だけで使われていた『推し』という言葉が一般化[86]し、様々な流行の発信源となっている若年女性の間でも『推ししか勝たん』という言葉が流行するまでになった。ビジネス用語としても『推し活』という言葉が使われるようになり、マーケティングや研究の対象になりつつある。モーニング娘。やAKB48グループを初めとする21世紀型の女性アイドルグループの流行を幼少期から体験して憧れを持つ世代も現れており、もはや女性アイドルは一過性の流行を超えて多くの人の生活に深く根ざしたものとなっている。
日本における韓国アイドル 編集
韓流ブームにおける東方神起やBIGBANGといった韓流アイドルや、チャン・ドンゴンや『冬のソナタ』でブレイクしたペ・ヨンジュンといった俳優を足掛かりに日本に進出し、2000年代後半からKARAや少女時代が日本でも人気になった。実力派アイドルの空席を埋める形でTWICEをはじめとするK-POPアイドルグループが日本に進出し、需要を満たしているのではないかという見方もある。さらにAKB48グループと韓国のCJ ENMによる日韓合同アイドルグループIZ*ONEに宮脇咲良(当時HKT48)らも参加した。
K-POP人気を受けて日本のソニーミュージックと韓国のJYPエンターテインメントによる共同ガールズグループプロジェクトであるNizi ProjectからNiziUが2020年12月2日にデビューした。
一方で、2011年のフジテレビ騒動など2010年代前半に日韓の政治的関係が急激に悪化して以降、K-POPグループを大々的に日本のテレビ番組などに出演させることが困難となった(特に徴兵制の影響で政治軍事と関係の深い男性アイドル)。
この他、中国では2021年に大衆文化芸術全般への整風運動として、K-POP的な男性アイドル(女性アイドルも含む)の容姿や活動を規制し[87]、アイドル育成番組を「低俗で下品な娯楽」として放送を禁止した[88]。
洋楽アイドル 編集
50年代にはアネット、ボビー・ライデル、ファビアン、コニー・フランシスらが、また60年代にはモンキーズやシルヴィ・バルタンらフレンチ・ポップスのアイドル、イタリアのジリオラ・チンクエッティ、ボビー・ソロらが人気となった。大阪万博の開催などを契機に世界の音楽への関心が高まり、テレビ局や音楽産業が開催した世界歌謡祭、東京音楽祭からも大ヒットが生まれ、とりわけ1974年の第3回東京音楽祭でグランプリに輝いた当時13歳のルネ・シマールは一躍人気者となった。70年代に於いては、俳優ではジョン・モルダー・ブラウン、レナード・ホワイティング、レイモンド・ラブロック(レイ・ラブロック)、ビョルン・アンドレセンらが日本でも人気になっている。他にマーク・ハミル、マーク・レスター、ジャン・マイケル・ヴィンセント、ジャック・ワイルドなどの人気俳優も、欧米や日本のティーンエイジャーの間で人気だった。彼らはアイドルとして十代の雑誌の表紙やグラビアに掲載された。
多くの10代のアイドルの特徴の1つは、ファン(場合によってはミュージシャン自身)が大人になると自分たちが過去に聴いていた音楽を嫌う傾向もあり、大人にはあまり聞かれない場合もある。そういったバブルガムポップのティーンアイドルパフォーマーは、デヴィッドとショーンのキャシディ兄弟、レイフ・ギャレット、オズモンド・ブラザーズ(特にダニー・オズモンドとマリー・オズモンド)、トニー・デフランコとザ・デフランコ・ファミリーなどで、さらに70年代後半の日本では、イギリスのアイドルグループ、ベイ・シティ・ローラーズが大人気となった。
一方、大人の鑑賞に耐えうる本格的なアーティストでも、アフロアメリカンのグループのジャクソン5とマイケル・ジャクソンやビージーズのギブ兄弟の末弟アンディ・ギブはディスコサウンドで大ヒットを連発し、ティーンからもアイドル的な人気を得た。
80年代前半に英米と日本で人気を博したデュラン・デュランらはニューロマンティックとして、ビジュアルを強調して売り出された。折からの円高などからイギリスへの留学生が増え、女子留学生達がアイドルを発掘、パナッシュ[89]のように日本でのみ人気となった洋楽アイドルも現れ、さらにイギリス人のバンドG.I.オレンジが成功を収めた。ボン・ジョヴィも当初はアイドル的に売り出されたが[90]、80年代後半には欧米で高い人気を獲得し、ハードロック/ヘヴィメタルブームの中心となった。
1950年代 編集
- アネット
- ボビー・ライデル
- ファビアン
- コニー・フランシス
1960年代 編集
1970年代 編集
1980年代 編集
1990年代 編集
2000年代 編集
2010年代 編集
文献 編集
- 青木一郎[注 10]「絶対アイドル主義」(プラザ、1990年3月)ISBN 9784915333675、「炎のアイドルファン ―絶対アイドル主義2―」(青心社、1990年12月)ISBN 9784915333859
- 稲増龍夫 「アイドル工学」 (ちくま文庫、1993年)
- 稲増龍夫「「ネットワーク組織としてのSMAP-現代アイドル工学'96」(評価問題研究会第11回研究会)」『日本ファジィ学会誌』第8巻第5号、日本知能情報ファジィ学会、1996年10月15日、NAID 110002940787。
- 青柳寛「アイドル・パフォーマンスとアジア太平洋共同体の意識形成(環太平洋経済圏における産業・経営・会計の諸問題)」『産業経営研究』第18巻、日本大学、1996年3月30日、43-58頁、NAID 110006159892。
- 濱本和彦「1/f ゆらぎを用いた松浦亜弥の「国民的アイドル度」の客観的評価に関する研究」(東海大学情報理工学部情報メディア学科)
- 竹中夏海 「IDOL DANCE!!! ―歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい―」ポット出版、ISBN 9784780801927
脚注 編集
注釈 編集
- ^ 映画の中のみでなら、1938年の松竹映画・『愛染かつら』で使用された例がある。またフランス映画の『アイドルを探せ』が1964年に日本でも公開された。
- ^ 絶頂期のビートルズの来日(1966年)などを受けたザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・テンプターズなど。
- ^ VOCALOIDに設定されたアニメ調キャラクターである初音ミクが2007年にインターネットのオープンな創作文化と紐づいて成功を収める以前にも、マルチメディアブームを受けて1996年にバーチャルアイドルの伊達杏子がデビューするなどしていたが、キャラクターデザインも情報技術(IT)も発展途上であったため商業的には失敗に終わっていた。
- ^ NiziUは日本向けのアレンジが加えられており、韓国で人気があるわけでもないので、K-POPに含めても良いかどうかについては論争のある話題である。
- ^ 当初は郷、野口ではなく、田頭信幸、伊丹幸雄、西城で「新人三羽烏」と云われていた。
- ^ B-Pass、PatiPatiなど。
- ^ UUUM所属クリエイターのイベント。
- ^ 大阪パフォーマンスドールには「家から通える芸能界」という、敷居の低いアイドルとして印象付けるようなキャッチコピーがあった。
- ^ 秋元康は美空ひばりの『川の流れのように』を筆頭に、数多くの曲の作詞を担当していたが、おニャン子クラブのプロデューサーではなかった。
- ^ MBSラジオ「ヤングタウン」を担当した放送作家でアイドル評論家。1952年生まれ、2003年10月死去。
出典 編集
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