畠山成幸
畠山 成幸(はたけやま なるゆき、1969年6月3日 - )は、将棋棋士。神奈川県出身。森安正幸七段門下。棋士番号は193。
畠山成幸 八段 | |
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名前 | 畠山成幸 |
生年月日 | 1969年6月3日(53歳) |
プロ入り年月日 | 1989年10月1日(20歳) |
棋士番号 | 193 |
出身地 | 神奈川県 |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 森安正幸七段 |
段位 | 八段 |
棋士DB | 畠山成幸 |
戦績 | |
一般棋戦優勝回数 | 1回 |
2017年3月13日現在 |
棋歴編集
弟の畠山鎮とともに、将棋界唯一の双子棋士である。しかも、1989年10月1日に二人同時にプロ入り(四段昇段)し、話題と驚きを呼んだ(奨励会三段リーグから1つの期に四段昇段するのは原則2名だけであり、その2名が畠山兄弟であった)。
小学4年から5年に上がる頃の1980年春、第5回小学生将棋名人戦で準優勝。
奨励会の頃に参加した第12回(1990年)「若駒戦」(非公式棋戦)で優勝。
プロ入り後、1991年度に大型棋戦の全日本プロトーナメント(第10回)でベスト4に進出する活躍で、早くも頭角を現す。準決勝で羽生善治棋王(当時)に敗退。
1993年度、王将戦(第43期)の予選を7連勝で勝ち上がり、入るのが困難とされる王将リーグに名を連ねる活躍。リーグでは初戦で羽生善治竜王(当時)から1勝を挙げたが、残り5局を落とした。5連敗の相手は、森内俊之六段(後の名人)、米長邦雄名人(当時)、村山聖七段、中原誠前名人(当時)、郷田真隆五段(前年度に王位のタイトル獲得)である。
1994年度、新人王戦でベスト4入り。同年度、第13回早指し新鋭戦で棋戦初優勝。
順位戦では、鎮がまだC級2組に留まっていた頃の第54期(1995年度)C級1組順位戦で屋敷伸之、久保利明、中川大輔らを破って8勝2敗の2位の成績を収め、B級2組に昇級。ちなみに、2敗を喫した相手は、三浦弘行と郷田真隆である。
1997年度、第45期王座戦でベスト4入り。同年度、第38期王位戦では、リーグ入り。
1998年度、第29回新人王戦で三浦弘行と決勝三番勝負を戦うが、0-2で敗れて準優勝。同年度、第46期王座戦で2年連続ベスト8。
第13期(2000年度)竜王戦3組で優勝し、2組昇級を決める(鎮に1年遅れ)。本戦トーナメントでも、初戦で5組優勝の山本真也に勝ったが、その次(準々決勝)で羽生善治に敗れた。 第42期(2001年度)王位戦でリーグ入り。2017年3月8日、勝数規定により八段に昇段した。
棋風編集
デビュー当時から居飛車党で、角換わりを得意とする。矢倉の採用も多い。しかし、2000年前後から振り飛車を指すことが多くなり、一時期、四間飛車党であった。2008年頃からは、後手番一手損角換わりなどの居飛車も指している。
人物・エピソード編集
- 大阪市福島区で英会話サロンを経営していたが、後に週1回の英会話サークルに規模を縮小し、2008年に終了した。
- 目立つことが嫌いで、マスメディアからの取材やインタビューもほとんど受けない[1]。四段昇段後に応じた取材は、2011年に当時の将棋連盟会長・米長邦雄が『週刊現代』に連載していた『名勝負今昔物語』のために、米長本人から取材を受けたのが「20年ぶり。四段になってから初めて」であったという[2]。その後も目立つものは、藤井聡太との初手合となった2019年3月8日の第32期竜王ランキング戦4組2回戦での終局後のインタビュー[3]とその関連取材程度である[4]。なお当該対局は通算1000局目の節目となる偶然も重なった[4]。
昇段履歴編集
昇段規定は、将棋の段級 を参照。
主な成績編集
棋戦優勝編集
- 早指し新鋭戦 1回(第13回-1994年度)
在籍クラス編集
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
著書編集
- 角交換振り飛車 ネット将棋で流行の戦法!(2005年7月、創元社、ISBN 4-422-75100-X)
- いまさら聞けない将棋Q&A(2006年7月、創元社、ISBN 4-422-75106-9)
- 決定版! 超速▲3七銀戦法(2014年4月、マイナビ将棋BOOKS、ISBN 978-4-8399-5137-5)
脚注編集
- ^ 「プロ棋士カラー名鑑2017」 (扶桑社)など
- ^ 米長邦雄『将棋の天才たち』181ページ。『週刊現代』2011年12月10日号初出。
- ^ “藤井聡太七段、畠山八段を下す 竜王戦ランキング戦4組:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2019年4月8日閲覧。
- ^ a b “盤上の風景:/32 将棋 畠山成幸八段 独特の存在感示し30年 /大阪”. 毎日新聞. 2019年4月8日閲覧。