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畠山 政尚(はたけやま まさひさ/まさなお、天文2年(1533年) - 天正17年(1589年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大名畠山政国の次男、兄に高政、弟に昭高がいる。子に貞政紀伊守護(名目上の国主)。

生涯編集

天文2年(1533年)、畠山尾州家の畠山政国の次男として誕生。

弟の昭高と共に兄の河内守護・高政を補佐して紀伊国内の畠山領(分郡守護)を支配する。兄が遊佐信教によって守護の座を追われると、これをに迎えて反撃を試みるが敗れ、紀伊国に退く。石山合戦終結後、本願寺の支援を失った雑賀衆らによって名目上の紀伊国主に担ぎ出されるが、天正13年(1585年)に羽柴秀吉紀州征伐に乗り出すとこれに屈服した。

天正17年(1589年)、死去。子の貞政は江戸時代高家となった。その孫・基玄江戸幕府5代将軍徳川綱吉側用人になっている。

脚注編集

関連項目編集