百万遍交差点

京都市左京区に位置する、今出川通と東大路通の交差点
京都府道101号標識
都道府県道181号標識

百万遍交差点(ひゃくまんべんこうさてん)は京都府京都市左京区にある交差点である。東西に走る今出川通京都府道101号銀閣寺宇多野線)と南北に走る東大路通京都市道181号京都環状線)との交点に位置する。交差点やや西寄りから北西方向に伸びる細い道(柳通)があるが、これは今出川通の旧道である。

北西から南東を見たところ
地図
地図

「百万遍」の名は交差点の北東に位置する知恩寺の通称「百万遍」に由来する。元弘元年(1331年)に疫病が大流行したときに、知恩寺の八世善阿空円上人が百万遍念仏を唱えたところ疫病が収まり、後醍醐天皇から百万遍という号を賜ったと伝えられている。

正式な地名ではないが、交差点の周辺の地域も「百万遍」と呼ばれる。

周辺 編集

南東側には京都大学吉田キャンパス本部構内が面しており[1]、北東方面には知恩寺をはさんで同大学吉田キャンパス北部構内[1]、南西方面には同大学吉田キャンパス西部構内が位置し[1]、交差点周辺はファーストフード店等[1]、学生を主な客層とする各種飲食店が点在する学生街が形成されている。

南東角から南側に掛けて石垣があり、京都大学学生などによる立看板が掲出されていることがある。2006年にこの石垣の一部を撤去して新たに百万遍門が作られたが、その過程で計画に反対する学生による石垣カフェ事件が起こった。

南東側の京都大学本部構内はかつての尾張藩京都下屋敷であることから、この石垣はその当時からのものとも言われる。

南西角には第一銀行以来の支店を引き継いだみずほ銀行百万遍支店があったが、2006年9月に閉鎖された。その後、同店舗は改装され2008年8月14日よりダイコクドラッグ百万遍店、2022年07月28日よりドラッッグユタカ百万遍店となっている。

北東には交差点名の由来となった「百万遍」の別名を持つ知恩寺のほか、琢窓院、了蓮寺がある[1]。また交差点北東角に京都百万遍郵便局がある[1]

北西側には知恩寺の道を挟んだ正面にローソンストア100京都情報大学院大学がある。五山送り火では、京阪電車出町柳駅付近に劣らず、大文字を見るためにこの北西角にも多くの人が集まる。また、この場所に店舗を構えていた書店「レブン書房」は2012年6月末をもって店舗営業を停止した(店舗は改装され、2012年12月現在「餃子の王将」百万遍店となっている)。その後、同じくこの地で長く営業を続けていたパチンコ店「MONAKO」も閉店となり、跡地には2016年セブン-イレブンサイゼリヤ・ネットカフェが入居する「オリエント百万遍ビル」が竣工し、現在に至っている。

歴史 編集

今出川通(旧道)は京都市街と北白川・鹿ヶ谷方面を結ぶ古くからの道である。13世紀当時、ほとんど田畑だけであった現在の交差点付近に西園寺公経百人一首の「入道前太政大臣」)が別荘「吉田泉殿」を建て、公家たちの遊興の場としたがその後荒廃した(この近辺の町名「吉田泉殿町」および京都大学の施設である「京都大学吉田泉殿」はこれに由来する。また交差点西南角近くには吉田泉殿が所在していたことを示す碑がある [1])。

昭和初期、東大路通が開通したことによりこの交差点が形成された。その後賀茂大橋を経由する今出川通の新道が開通したことにより現在の形となった。京都市電1928年から市電全廃の1978年まで走っていた。また2000年代には今出川通旧道との合流点の形状変更や歩道の拡張などの工事が行なわれた。

事件 編集

2018年2月25日、京都大学大学院生ら2人が10分以上にわたり交差点中央にこたつを置き、居座る事件が発生。同年5月、京都府警察道路交通法違反容疑で逮捕された[2]

この交差点から 編集

 
以前の標識と信号機

東方面へ 編集

西方面へ 編集

南方面へ 編集

北方面へ 編集

路線バス(百万遍停留所) 編集

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『ライトマップル京都府道路地図』2011年2版 昭文社 p.7および10ならびに11右。
  2. ^ 「道路でこたつ」の若者を逮捕 京大院生ら2人特定”. 毎日新聞 (2018年5月22日). 2018年5月25日閲覧。
  3. ^ 京都市交通局:市バス路線図
  4. ^ 京都バス 運行系統図 - pdfファイル
  5. ^ 京阪バス 山科営業所管内路線図 - pdfファイル

座標: 北緯35度1分43.6秒 東経135度46分45.2秒 / 北緯35.028778度 東経135.779222度 / 35.028778; 135.779222