皆川達夫

中世・ルネサンス音楽の研究家、合唱指揮者

皆川 達夫(みながわ たつお、1927年4月25日 - 2020年4月19日)は、日本の音楽学者。西洋音楽史家。

皆川 達夫
生誕 (1927-04-25) 1927年4月25日
出身地 日本の旗 日本東京都
死没 (2020-04-19) 2020年4月19日(92歳没)
学歴 東京大学大学院
ジャンル クラシック音楽
職業 音楽教育家、音楽学者、指揮者

立教大学名誉教授博士(芸術学)[1]。⑴ヨーロッパ中世ルネサンス音楽史、⑵日本の隠れキリシタンが唱える祈りの歌(オラショ)研究の第一人者として知られる[2]

人物・来歴編集

幼少期編集

1927年(昭和2年)東京市水戸藩士皆川氏家系に生まれ、幼少期から謡曲を習う。1940年(昭和15年)東京府立第八中学校(東京都立小山台高等学校の前身)に入学。に心酔して、しばしば能楽堂や歌舞伎座に通い、級友からは「アブちゃん」(abnormalから)という綽名で呼ばれた。また、グレゴリオ聖歌パレストリーナのレコードを聴いたことを契機に、西洋の中世・ルネサンス音楽にも強い興味と関心を抱く。しかしそのような傾向は、当時の軍国主義の風潮の中では非国民だと看做され、いじめを受けるようになった。なお、当時の国語科教師に俳人の加藤楸邨がいた。

少年期編集

1944年(昭和19年)4年修了(飛び級)で旧制東京府立高等学校高等科(東京都立大学 の前身)に入学。ここでは能楽研究会を作り、謡曲狂言に没頭した。徴兵(学徒出陣)を避けるため医学部を志望し、文科から理科乙類(ドイツ語クラス)に転じ、多湖輝詫摩武俊増田通二らと同級になる。

学生期編集

1945年(昭和20年)8月に終戦。徴兵される可能性が消えたため、大学入学を機に文転し、西洋音楽史研究を志す。1948年(昭和23年)東京大学文学部西洋史学科に入学。この年、最初の著書『ヘンデル』を刊行。村川堅太郎林健太郎家永三郎渡辺一夫辻荘一などの講義を受ける。個人的に髙田三郎の門を叩き、音楽理論と作曲法を学ぶ。1951年(昭和26年)東京大学文学部西洋史学科卒業。卒論「ネーデルランド楽派の研究」[3][4]。同年、東京大学大学院美学科に進学。1952年(昭和27年)中世音楽合唱団を結成[5][6]1953年(昭和28年)東京大学大学院美学科修了。NHK交響楽団の機関誌『フィルハーモニー』に論文「ネーデルランド楽派の循環ミサ曲」[注 1]を連載し(1953年-1954年)、有馬大五郎から激賞される[要出典]

立教大学での研究教育活動編集

1955年(昭和30年)フルブライト奨学金を得て渡米し、コロンビア大学ニューヨーク大学に留学[8]。米国では グスタフ・リース英語版およびクルト・ザックスの指導を受ける。3年間の滞米生活を終えた後、1958年(昭和33年)9月末、ヨーロッパ諸国で中世古楽の楽譜写本を尋ねてから帰国[9]

帰国後直ちに、1958年(昭和33年)10月1日付で、立教大学一般教育部講師に就任。31歳。立教大学旧12号館(一般教育部研究棟)の2階に、研究室を与えられる。バッハ研究の草分けとして1923年(大正12年)から立教大学において音楽学を講じていた、辻荘一教授の世話による就任であった。

担当科目として、⑴「音楽概論」(クラシック音楽日本の伝統芸能を始め、ビートルズなど様々なジャンルの音楽作品の鑑賞と概説)、⑵「西洋音楽史1」(中世ルネサンス音楽史)、⑶「西洋音楽史2」(バロック音楽史)、⑷キリスト教学科の専門科目としての「キリスト教芸術」(宗教音楽史)の講義を始める[10]

皆川の講義は極めて洗練されており、格調が高く、そして充実した知的緊張感に包まれる、超一流の名講義であった。皆川の豊かな人間味もあふれていた。また、著書や論文などで皆川が世に問うた研究業績の数々は、国内外から著しく高い評価を受け、1970年代には国内の音楽界から「中世・ルネサンス音楽史の大家」、「バロック音楽の権威」などと評されるほどであった。

そのため皆川は、立教大学の「看板教授」と言われるようになり、学生からの信頼も厚く、文系理系を問わず、男子学生も女子学生も、非常に多くの学生たちが皆川の教室に詰めかけ、常に教室の定員を2倍以上も超えてしまう状況であった。そのため毎年、初回の講義時に「音楽にたいする関心度・理解度をはかるペーパーテスト」を実施し、教室の定員に合わせて授業履修者の人数制限をせざるを得なくなった。それは皆川が定年退職する1992年度まで続いたのである。

なお皆川の政治信条は、徹底した平和主義であった。どの教室でも、戦争という政策決定は絶対にしてはならないと、自身の悲惨な戦争体験を交えながら、平和の尊さを熱く学生に訴え続け、護憲派の立場を貫いた。

1959年(昭和34年)4月、文学部キリスト教学科講師、同大学院組織神学専攻課程講師を兼務。31歳。立教大学交響楽団部長。お茶の水女子大学音楽科で非常勤講師を務める(1960年度まで)。

同年11月、立教大学グリー・クラブ定期演奏会で、ジョスカン・デ・プレの「ミサ・デ・ベアタ・ヴィルジネ」を指揮。以後、グリー・クラブでのルネサンス期キリスト教宗教音楽の指揮は、2007年(皆川が80歳になる)まで続けられた。

1960年(昭和35年)辻荘一教授の発案で「立教大学メサイア演奏会」を始めることとなり、辻の指示の下、皆川は独唱者の選定および依頼に奔走した。

1961年(昭和36年)3月、辻荘一教授(キリスト教音楽史)が定年退職。同年4月、立教大学グリー・クラブ副部長。

1962年(昭和37年)4月、立教大学一般教育部助教授に就任。34歳。文学部キリスト教学科助教授、同大学院組織神学専攻課程助教授を兼務。

同年9月から1964年8月まで2年間、ドイツスイスに留学[11]バーゼル大学アウグスト・ヴェンツィンガーに師事[12]。バーゼル大学留学中、「14世紀から15世紀にかけてのミサ曲の変遷」について、国際音楽学会で研究発表する。

1964年(昭和39年)9月より、立教大学での研究教育活動を再開。

1965年(昭和40年)『合唱音楽の歴史』を、全音楽譜出版社より刊行。日本図書館協会選定図書、全国学校図書館協議会選定図書に指定される。

1966年(昭和41年)4月より、NHK・FM放送「バロック音楽のたのしみ」の解説を、東京藝術大学音楽学部・楽理科教授の服部幸三と分担し、隔週で担当した(1985年3月まで)。

同年、論文「ノートル・ダム楽派序説⑴・⑵」を、「立教大学研究報告 人文科学」に発表する。

1968年(昭和43年)4月、立教大学一般教育部教授に就任。40歳。文学部キリスト教学科教授、同大学院組織神学専攻課程教授を兼務して後進の指導にあたる。教え子に、オランダ王立ハーグ音楽院教授を務めたリュート奏者の佐藤豊彦など、優れた音楽家・音楽史研究者がいる。

また、東京藝術大学音楽学部、母校の東京大学文学部などで非常勤講師を務めた(芸大は1980年度まで、東大は1986年度まで。)

1969年(昭和44年)論文「能楽の音楽的考察」を、「立教大学研究報告 人文科学」に発表する。

1970年(昭和45年)3冊めの著書『楽器』が、保育社カラーブックスより刊行される。

1971年(昭和46年)立教大学グリー・クラブ部長。

1972年(昭和47年)皆川の代表作ともいえる名著『バロック音楽』が、講談社現代新書より刊行され、非常に多くの読者から高く評価された。なお本書は、西洋音楽史2(バロック音楽史)の講義での教科書にも指定された。

1975年(昭和50年)5月、長崎県平戸市生月島で、隠れキリシタンが約400年、口伝えによって歌い継いできた「祈りの歌」(オラショ)と出合う。それは皆川にとって「新たな研究課題」、そして「生涯の研究テーマ」との出合いであった。現地にて初めて歌オラショを聴いた皆川は、その「音の動き方」から、歌オラショの原曲は「16世紀のラテン語グレゴリオ聖歌」に違いないと直感した。そして、その原曲である聖歌を特定するため、調査・研究に着手。48歳。

その年、オラショについて、キリシタン史の権威・海老澤有道教授と、立教大学の海老澤研究室において対談を重ねた。そのことは、この「新たな研究課題」に取り組み始めた皆川にとって非常に有益であったと、数年後(1984年度)の西洋音楽史1の講義において述懐された。

調査・研究に着手してから28年後の2003年(平成15年)には、後述のように、歌オラショに関する研究は、『洋楽渡来考』という題名の博士論文として、まとめられた。また、42年後の2017年(平成29年)には、90歳にして『洋楽渡来考』のダイジェスト版としての『キリシタン音楽入門』を刊行し、それが最後の著書となった。オラショに関する研究は、皆川にとって文字通りの「生涯の研究テーマ」となったのである。

1977年(昭和52年)『中世・ルネサンスの音楽』を、講談社現代新書より刊行。西洋音楽史1(中世・ルネサンス音楽史)の講義での教科書に指定する。

1978年(昭和53年)5月、イタリア政府から「イタリア共和国功労勲章カヴァリエーレ」を受ける。51歳。

天文18年(1549年)[13]スペイン出身のカトリック教会・イエズス会の司祭である宣教師、フランシスコ・デ・シャビエルの来日以降、キリスト教の教えと共に当時の(ルネサンス後期からバロック初期の)ヨーロッパのキリスト教音楽が普及しつつあったが、徳川幕府による禁教令によって大弾圧が行われ、楽器、楽譜、聖歌集などの貴重な史料のほとんどすべてが失われた。

ところが、その後4世紀以上にわたって九州長崎の生月島隠れキリシタンたちによって、「口伝え」でカトリックの祈りの歌(オラショ)が歌い継がれていたのである。[14]。奇跡的に現存する生きた史料だと言えよう。しかし、そのオラショの「歌詞」は、4世紀の時間の流れによって、かなり分かりづらいものとなっていた。意味のまったく不明な言葉も多く含まれていた。

その分かりづらい「歌詞」を精査して、原典(ラテン語)を復元する取り組みに全力を尽くしたことが、「イタリア共和国功労勲章カヴァリエーレ」の受賞のおもな理由である。

同年10月、立教大学グリー・クラブを引率して、第1回めのヨーロッパ演奏旅行。

1981年(昭和56年)3月、東京藝術大学音楽学部での非常勤講師を終了する。

1982年(昭和57年)4月~1983年(昭和58年)3月まで1年間、立教大学を研究休暇。

同年7月、立教大学グリー・クラブを引率して、第2回めのヨーロッパ演奏旅行。

同年10月、スペインマドリードの図書館にて、長崎県平戸市の生月島の隠れキリシタンが唱える数々の「祈りの歌」(オラショ)の原曲の1つだと客観的に推定される「オー・グロリオザ・ドミナ」(輝ける聖母よ)のネウマ譜面を、7年がかりの懸命な調査の末、ついに発見。「オー・グロリオザ・ドミナ」は、正規のカトリック聖歌集には収められていない。16世紀に限って、スペイン・ポルトガルの一部のカトリック教会で使われたローカル聖歌であった。そのため、発見が著しく困難だったのである。

1983年(昭和58年)10月、「音楽概論」の受講者を対象に「オーケストラ教室」を行う。各種楽器について詳しく解説した後、皆川の指揮で、交響楽団が、モーツァルトの「交響曲第40番ト短調 K.550」を演奏。

1984年(昭和59年)西洋音楽史1(中世ルネサンス音楽史)の講義において、長崎県平戸市の生月島の隠れキリシタンが唱える「祈りの歌」(オラショ)について、「研究の経緯と成果」を、半期分の授業時間を費やして詳しく講じた。キリシタン史家の海老澤有道との対談の内容も、その要旨が述懐された。

1985年(昭和60年)キリスト教学科の専門科目である「キリスト教芸術」の講義内容を変更し、従来の「宗教音楽史概説」をやめて、「死者のためのミサ曲」(レクイエム)の歴史的変遷の解説に重点を置く特殊講義へと改める。キリスト教音楽史の概説は、西洋音楽史1・西洋音楽史2において詳しく講義されるため、重複を避けるためであった。講義では、単旋律のグレゴリオ聖歌のレクイエムから、量的圧倒に訴える20世紀のベルディのレクイエムまでが紹介された。その史的展開過程は「単純なものから複雑なものへ」だったと、要約することができる。しかしそれは決して「芸術の進化・進歩」を意味するものではないと、皆川は強調した。

なお、キリスト教音楽史の母体となった「ユダヤ教の宗教音楽史」(たとえば出エジプトに成功したモーセとイスラエルの民による神への賛歌・出エジプト記15章など)、およびコプト教会聖歌・ビザンツ教会聖歌・アルメニア教会聖歌などの「東方教会の宗教音楽史」については引き続き、従来通りの詳しい解説と検討を行うこととした。

1986年(昭和61年)3月、東大文学部の西洋史学科に在学していた1948年(昭和23年)から研究を積み重ねてきた、「ヨーロッパの中世・ルネサンス音楽史」について、その研究の集大成としての著書『西洋音楽史 中世・ルネサンス』を、音楽之友社から刊行。58歳。

1986年(昭和61年)4月~1988年(昭和63年)3月、立教大学一般教育部長(学部長)を務め、学内行政に力を注いだ。

1987年(昭和62年)3月、東京大学文学部での非常勤講師を終える。

1988年(昭和63年)8月、東京目黒聖ミカエル修道会にて、粕谷甲一神父より洗礼を受け、カトリック改宗入信。洗礼名、グレゴリオ。61歳。

同年10月より、NHK・AM放送「音楽の泉」の解説を務める(2020年3月まで)。

1990年(平成2年)11月、「音楽概論」の講義中に体調不良を訴え、教壇で倒れる。受講生に背負われて診療所に搬送され、医師の診察を受ける。各種検査所見に異常は認められず、診断は過労であった。その後、3日ほど自宅で静養し恢復する。

1991年(平成3年)『標準音楽辞典 新訂版』(音楽之友社)の編集顧問を務める。

1992年(平成4年)8月、立教大学グリー・フェスティバル(皆川達夫教授ご退任記念演奏会)が、東京芸術劇場にて開催され、皆川の指揮で、立教大学グリー・クラブ、交響楽団が、モーツァルトの「戴冠ミサ曲 K.317」を演奏。

1993年(平成5年)1月12日、9号館大教室で「最終講義」を行った。演題は「ヨーロッパにおける『自由7学科』の1つとしての音楽の意義」。約1時間の講義を終えた皆川は、「立教大学の教師であったことを心から幸せに思う。皆さんのお支えに篤く感謝したい。」と、結んだ。その直後に、グリー・クラブを指揮して、立教大学校歌・応援歌および、聖歌「神ともにいまして」を、聴衆に聴かせた。

この「最終講義」は、音楽史音楽美学を専門とされる他大学の諸先生方が発起人・世話人となって企画し実現したものであった。700名が入れる9号館大教室は、立ち見の学生も多数いて、満席・満場であった。これも、皆川の人徳のゆえであったと思われる。

同年3月、立教大学卒業式において、交響楽団・グリー・クラブ・聖歌隊を指揮して、ヘンデルメサイアから「ハレルヤ・コーラス」を奏し、卒業生を祝福する。同月末、1958年(昭和33年)以来、34年間勤務した立教大学を定年退職、12号館(一般教育部研究棟)2階の研究室を明け渡す。65歳。

同年6月、立教大学名誉教授の称号を授与される。66歳。

1997年(平成9年)6月、1987年に91歳で世を去った前任者の辻荘一の没後10年「追悼音楽会」を、「品川区立きゅりあん」で行った。皆川の指揮で、立教大学グリー・クラブが、フォーレの「レクイエム」を歌い上げた。70歳。

同年10月、『歴史と旅』(秋田書店)に、随筆「古楽と共にわが半生記」を掲載する。

1998年(平成10年)立教大学名誉教授・皆川達夫先生古希記念論文集『音楽の宇宙』が、音楽之友社より刊行される。71歳。

2003年(平成15年)立教大学在職中だった1975年(昭和50年)に取り組み始めた長崎県平戸市生月島の隠れキリシタンが唱える祈りの歌(オラショ)に関する研究に加えて、歴史学、美術史にわたる思索をも深め[15]、日本への洋楽の渡来とキリシタン[16][17][18]について考察を集大成した論文「洋楽渡来考」を完成させ、これによって明治学院大学から博士(芸術学)の学位を授与される[1][19]。76歳。

2017年(平成29年)『洋楽渡来考』があまりにも難解だという読者の声に応え、「洋楽渡来考」のダイジェスト版とも言える『キリシタン音楽入門』を上梓。90歳。

これが皆川の最後の著書となった。研究に取り組み始めてから実に42年後の著書であった。生月島の隠れキリシタンの唱える祈りの歌(オラショ)に関する研究は、皆川にとって「生涯の研究テーマ」となったのである。

なお、長年にわたって、NHK-FMの「バロック音楽のたのしみ」(1965年度-1985年度)、ラジオ第1放送の「音楽の泉」(1988年-2020年)で解説を担当し、西洋古楽の普及に貢献した。2011年には『題名のない音楽会』に出演、箏の「六段」とグレゴリオ聖歌のつながりについて研究の成果を披露する[20]ワインにも造詣が深く、『ワインのたのしみ方』を著している。

また、合唱界との関係は深く、先の中世音楽合唱団以外にも、立教大学グリークラブ部長として1959年-2007年に至るまでルネサンス期のミサ曲を指揮した他、中世・ルネサンス合唱曲の校訂・出版、訳詞と解説にあたった。ジョスカン・デ・プレの《Missa Pange Lingua》《Missa Mater Patris》やトマス・ルイス・デ・ビクトリアの《Missa O Magnum Misterium》などを男声合唱用に編曲している。また、全日本合唱連盟にも長らく携わり、コンクールの審査や課題曲選定を行った[21][22][23]

2020年(令和2年)3月29日、立教大学在職中だった1988年(昭和63年)より務めていたNHK‐AM放送「音楽の泉」の解説を終了。

翌月の4月19日、横浜市内の病院で老衰により帰天。92歳[24][25]

栄誉・栄典編集

全日本合唱センター名誉館長、日本近代音楽館顧問ほか合唱と音楽資料の収集や保管、公開に務める。

出演編集

ラジオ編集

主な著作編集

  • 『ヘンデル』ダヴイッド楽社、1948
  • 『合唱音楽の歴史』全音楽譜出版社、1965
  • 『楽器』保育社〈カラーブックス〉、1970
  • 『バロック音楽』講談社現代新書、1972(のち講談社学術文庫ISBN 978-4061597525
  • 『ワインのたのしみ方』主婦と生活社、1973(のち光文社文庫
  • 『中世・ルネサンスの音楽』講談社現代新書、1977
  • 『バロック名曲名盤100』音楽之友社、1977
  • 『オラシヨ紀行 対談と随想』日本基督教団出版局、1981
  • 『西洋音楽ふるさと行脚』音楽之友社、1982
  • 『楽譜の歴史』音楽之友社、1985
  • 『西洋音楽史 中世・ルネサンス』音楽之友社、1986
  • 『ルネサンス・バロック名曲名盤100』音楽之友社、1992
  • 『洋楽渡来考―キリシタン音楽の栄光と挫折』(2004年)日本基督教団出版局、ISBN 978-4818405318[27][28][29]
  • 『洋楽渡来考再論:箏とキリシタンとの出会い』日本基督教団出版局、2014。ISBN 9784818408777
  • 『キリシタン音楽入門:洋楽渡来考への手引き』日本基督教団出版局、2017。ISBN 9784818409705

翻訳編集

  • クヌート・イエッペセン『対位法』柴田南雄共訳、東京創元社、1955
  • クルト・ザックス『音楽の起源』柿木吾郎共訳、音楽之友社、1969
  • アルノルト・シェーリング『西洋音楽史年表』音楽之友社、1971
  • マルク・パンシェルル『音楽の歴史 1』PARCO出版局、1975
  • エマーヌエル・ヴィンターニッツ『楽器の歴史』礒山雅共訳、PARCO出版局、1977

共著編集

  • 「中世におけるポリフォニー・ミサ曲の成立」『音と思索:野村良雄先生還暦記念論文集』野村良雄、野村良雄先生還暦記念行事実行委員会、音楽之友社、1969
  • 水嶋良雄、船山隆(共著)「過去の音楽の演奏をめぐって<シンポジウム>(音楽学会第32回全国大会総覧)」『音楽学』第27巻第3号、東京:日本音楽学会;東京:アカデミア・ミュージック(発売)、1981、234-239頁。ISSN 0030-2597
  • 伊東乾「交響する啓典の民 (13) テクノクラートとしてのカクレキリシタン--皆川達夫氏との対話 (4)」『福音と世界』第66巻第2号、新教出版社、2011年2月、22-28頁。NAID 40018269934

書評編集

  • New Oxford Hirtory of Music Vol.3:"Ars Nova and the Renaissance (1300~1540)" Ed. by en:Dom Anseln Hughes and en:Gerald Abraham, 1960」『音楽学』第6巻第2号、東京:日本音楽学会。ISSN 0030-2597

録音資料編集

  • 監修・解説『History of music in sound = 耳による音楽史』RCAビクター、東京:RVC。LP 各2枚組(33 1/3 rpm、モノラル録音)、解説書各1冊。
  • 第3巻「Ars Nova and the Renaissance」
  • 第4巻「The age of humanism」
  • 第1部『サカラメンタ提要』演奏:及川豊、望月寛之、山下晋平 (VO)、橋本周子 (COND)、聖グレゴリオの家聖歌隊(カペラ・グレゴリアーナ)、CD + 解説書1冊。
  • 第2部 東京国立博物館所蔵『キリシタン・マリア典礼書写本(耶蘇教写経)』演奏:橋本周子 (COND)、岩手県立不来方高等学校音楽部 松村玲子 (COND)、聖グレゴリオの家聖歌隊(合唱)、生熊秀夫(祈願)。
  • 第3部『生月島の「かくれキリシタン」の「オラショ」』演奏:生月島のかくれキリシタンの皆さん(山田集落、壱部集落、境目集落)(オラショ唱和)片山みゆき (COND)、中世音楽合唱団 (CHO)。CD1枚。DVD1枚:「生月島のかくれキリシタン」。

楽譜編集

  • 『La Messe de Nostre Dame』Guillaume de Machaut、東京:中世音楽合唱団、1959。

ラテン語。

  • 「トマス・ルイス・ビクトリア」ラテン語、別題:Polyphonic music of the Renaissance, Tomas Luis de Victoria。
  • 「フランドル楽派」(その1)。フランス語、ラテン語、ドイツ語、イタリア語。別題:Polyphonic music of the Renaissance, Flemish school, part 1。
  • 「フランドル楽派」(その2)、フランス語; ラテン語; イタリア語。別題:Polyphonic music of the Renaissance : flemish school, part 2。
  • 『ルネッサンス合唱名曲選Anthology of choral music in the Renaissance』高野紀子(共訳)、全音楽譜出版社、1972年-1975年。のちに複数版の改訂あり。
  • 『ギョーム・デュファイ作品集』音楽之友社、1975。フランス語、ラテン語

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 「ネーデルランド楽派の「循環ミサ曲」」『フィルハーモニー』1-14、1953(第25巻第2号)~1954(第26巻第6号)。NDL Online。ISSN 1344-5693[7]

出典編集

  1. ^ a b 皆川達夫「洋楽渡来考:キリシタン音楽の栄光と挫折」学位授与大学:明治学院大学、取得学位:博士(芸術学)、学位授与番号:乙第1号、学位授与年月日:2003-11-08。
  2. ^ 「中世・ルネッサンスの音楽史」全45回、『音楽芸術』音楽之友社、1971年1月~1974年12月。ISSN 0030-2600(第29巻第1号~第32巻第12号)。
  3. ^ 「ネーデルランド楽派-上-」『音楽芸術』第9巻第10号、音楽之友社、1951年10月、 8-18頁、 ISSN 0030-2600NAID 40000341232
  4. ^ 「ネーデルランド楽派-下-」『音楽芸術』第9巻第12号、音楽之友社、1951年12月、 18-28頁、 ISSN 0030-2600NAID 40000341547
  5. ^ 中世音楽合唱団の詳細情報”. 合唱.com. 2020年2月16日閲覧。
  6. ^ 『洋楽事始 'Manuale ad Sacramenta': Oratio christianorum occultorum』長崎フィルハルモニア合唱団;中世音楽合唱団;皆川達夫;出口左吉;増山隼吉;船原定吉;船原末七;鳥山伝作;末永益太郎、東芝EMI。LP。
  7. ^ 皆川達夫「ネーデルランド楽派の「循環ミサ曲」」『フィルハーモニー』第25巻第7号、NHK交響楽団、1953年7月、 55-63頁、 ISSN 1344-5693
  8. ^ Minagawa, Tatsuo. “Japanese Noh music”. 東京藝術大学附属図書館 OPAC. "Journal of the American Musicological Society, 第10巻第3号 (Vol. X, no.3) (1957), pp.141-150"(初出). 2020年2月17日閲覧。
  9. ^ 「記譜法の歴史」1-10、『音楽芸術』音楽之友社、1957(第15巻第1号)~1958(第16巻第3号)。NDL Online。ISSN 0030-2600
  10. ^ 「中世後期から現代までの記譜法の変遷」1-13、『音楽芸術』音楽之友社、1959(第17巻第2号)~1961(第19巻第3号)。NDL Online。ISSN 0030-2600
  11. ^ 「ヨーロッパ留学記」1-3、『音楽芸術』音楽之友社、1964(第22巻第11号)~(同第13号)。NDL Online。
  12. ^ “Reception and transformation of Western music in Japan in the sixteenth century” (英語). Musicology and globalization: S. 490-492. 
  13. ^ 「中世におけるポリフォニーミサ曲の成立」『音と思索:野村良雄先生還暦記念論文集』野村良雄、野村良雄先生還暦記念行事実行委員会、音楽之友社、1969。
  14. ^ 「オラショ考--隠れキリシタンの祈りとグレゴリオ聖歌」1-4、『季刊芸術』、季刊芸術出版、1977(第11巻第2号(41))~1978(第12巻第1号(44))。NDL Online。ISSN 0518-7524。
  15. ^ 『音楽の宇宙:皆川達夫先生古希記念論文集』皆川達夫先生古希記念論文集編集委員会(編)、音楽之友社、1998年4月、全国書誌番号 99006834。第一線で活躍する同僚、門下生による音楽から美学、歴史学、美術史にわたる全50編の論叢。
  16. ^ 「隠れキリシタンの祈り(オラショ)とヨーロッパの聖歌」『川並総合研究所論叢』第2号、聖徳大学、1994年3月25日、242-255頁。ISSN 0919-5327
  17. ^ 「皆川達夫氏にきく--隠れキリシタンが唱えつづけたいのちの祈り(特集 礼拝の中の"日本")」『礼拝と音楽』第102号、日本基督教団出版局、1999年8月、24-27頁。ISSN 0910-7134
  18. ^ 「キリシタンの音楽(特集:音楽--古典世界の)」『国文学 解釈と教材の研究』第47巻第8号、学灯社、2002年7月、82-89頁。ISSN 0452-3016
  19. ^ 皆川達夫『洋楽渡来考:キリシタン音楽の栄光と挫折』日本キリスト教団出版局、2004。全国書誌番号 20729911、ISBN 4-8184-0531-0
  20. ^ 「箏の名曲はキリシタン音楽?」”. 『題名のない音楽会』. テレビ朝日 (2011年5月29日). 2020年2月16日閲覧。
  21. ^ 『選択曲集』全日本合唱連盟(編)、全日本合唱連盟、1972.1。楽譜。
  22. ^ T.L. de Vittoria『Missa pro defunctis : ex editione anni 1583』横山千秋(編)、東京シンフォニックコーラス、コールスクインティリス、1974。楽譜。
  23. ^ 那須輝彦と共同監修・校訂『ルネサンス・ポリフォニー選集:宗教曲篇 = Renaissance polyphony』全日本合唱連盟(編纂)、カワイ出版、2017.6。楽譜(混声版、同声版)
  24. ^ “皆川達夫氏死去 ラジオ「音楽の泉」”. 朝日新聞社. (2020年4月22日). https://www.asahi.com/articles/DA3S14450928.html 2020年4月22日閲覧。 
  25. ^ “皆川達夫さん死去 ラジオ「音楽の泉」解説、「オラショ」とグレゴリオ聖歌のつながりを研究”. クリスチャンニュース. (2020年4月22日). https://www.christianpress.jp/minagawa-tatsuo/ 2020年4月22日閲覧。 
  26. ^ 【11/11】立教大学キリスト教学会・秋の講演会「かくれキリシタンの祈りの歌」 - 新着情報(2017年)”. 立教大学大学院キリスト教学研究科 (2017年10月18日). 2020年2月17日閲覧。
  27. ^ 星野宏美「書評 皆川達夫著『洋楽渡来考--キリシタン音楽の栄光と挫折』」『キリスト教学』第47号、立教大学、2005年、 251-253頁、 ISSN 0387-6810
  28. ^ 横坂康彦「書評(皆川達夫著『洋楽渡来考――キリシタン音楽の栄光と挫折』(日本基督教団出版局、二〇〇四年、六四〇頁))」『日本の神学』第2005巻第44号、日本基督教学会、2005年、 242-246頁、 doi:10.5873/nihonnoshingaku.2005.242ISSN 0285-4848
  29. ^ 樋口隆一「ブック・レヴュー 『洋楽渡来考--キリシタン音楽の栄光と挫折』皆川達夫著--キリシタン期日本の洋楽受容を検証した著者のライフワークとも言うべき名著」『レコード芸術』第54巻第2号、音楽之友社、2005年2月、 295-297頁、 ISSN 0289-3614

関連項目編集

関連資料編集

  • 『きりしたん版集』天理図書館善本叢書和書之部編集委員会(編)、天理大學出版部、八木書店(製作発売)、1976。第38巻、第49巻。
  • 『中世音楽合唱団25年の歩み = Medieval Music Choir, the 25th anniversary』中世音楽合唱団、東京:中世音楽合唱団、1977。
  • 『洋楽事始』長崎フィルハルモニア合唱団;中世音楽合唱団、山野楽器、1998。CD。
  • セルケイラ、ルドウィクス『サクラメンタ提要:長崎版』豊島正之(解説)、東洋文庫(監修)〈東洋文庫善本叢書 4〉、勉誠出版(発売)、2014.10。タイトル別名:Luis Cerqueira ; Cerqueira, Ludouicus. Manuale ad sacramenta ecclesiae ministranda。底本:長崎イエズス会コレジョ、1605年刊。

外部リンク編集