皇宮警察本部
皇宮警察本部(こうぐうけいさつほんぶ、英: Imperial Guard Headquarters)は、警察庁に置かれている附属機関のひとつ[4]。
皇宮警察本部 こうぐうけいさつほんぶ Imperial Guard Headquarters | |
---|---|
![]() | |
![]() 皇宮警察本部庁舎 (旧枢密院庁舎) | |
役職 | |
本部長 | 松本裕之(皇宮警視監) |
副本部長 | 片倉秀樹(皇宮警視監) |
組織 | |
内部組織 |
首席監察官 警務課 監察課 教養課 会計課 厚生課 警備部 護衛部 |
概要 | |
所在地 |
東京都千代田区千代田1番3号 北緯35度41分7.2秒 東経139度45分30.7秒 / 北緯35.685333度 東経139.758528度座標: 北緯35度41分7.2秒 東経139度45分30.7秒 / 北緯35.685333度 東経139.758528度 |
定員 | 936人(うち896人は皇宮護衛官)[1] |
年間予算 | 83億6653万9千円[2]。(2018年度) |
設置 | 1886年(明治19年)5月[3] |
改称 | 1954年(昭和29年)7月 |
ウェブサイト | |
皇宮警察本部 |
警察法第29条の規定により、「天皇及び皇后、皇太子その他の皇族の護衛、皇居及び御所の警衛、その他皇宮警察に関する事務」を司る[4]。
本部所在地は東京都千代田区千代田1番3号。本部長は、皇宮警視監の階級の皇宮護衛官であるが、慣例により内閣府事務官である宮内庁職員にも併任される。本部の紋章は五三桐[5]である。
警察庁公式サイトには、皇宮警察本部の英文名称が「Imperial Guard Headquarters」と示されている[6]。
the Guardは「近衛兵」を意味する英語である[7]。太平洋戦争(大東亜戦争)で日本が敗れるまで、宮城(皇居のかつての名称)の警備にあたっていた近衛師団の英訳は「Imperial Guard Division」である(Divisionは「師団」)[8]。
歴史編集
沿革編集
宮内省時代(後に宮内府、現在の宮内庁に改編される)の皇宮警察の沿革は「皇宮警察 (宮内省)」を参照。
- 1947年(昭和22年)1月、宮内省から内務省へ移管され、警視庁皇宮警察部と改称。その際に、官名が「皇宮警察官」から「皇宮護衛官」に改められる。また側近警衛が侍従職に移管される。
- 1948年(昭和23年)3月、旧警察法の施行に伴い、国家地方警察本部に移管され皇宮警察府とされる。再び、側近警衛を所管する。
- 同年6月、皇宮警察局に再び改称。
- 1948年(昭和23年)12月、皇宮護衛官が特別司法警察職員に指定される。
- 1949年(昭和24年)1月、国家地方警察本部の外局の皇宮警察本部となる。
- 1951年(昭和26年)8月、皇宮警察の勤務体制が三交替勤務制になる。
- 1952年(昭和27年)12月、皇宮警察音楽隊が設置される[9]。
- 1953年(昭和28年)6月、皇宮警察学校が設置される。
- 1954年(昭和29年)7月、現在の警察法が施行されるに伴い、警察庁の附属機関の皇宮警察本部となる。
- 1960年(昭和35年)6月、側衛実施指揮官として侍衛官が設置される。
- 1973年(昭和48年)4月、皇宮警察本部に護衛部が設けられる。
- 1977年(昭和52年)12月、内廷皇族以外の皇族である内廷外皇族についても、恒常的な護衛を実施する。
- 1992年(平成4年)8月、皇宮警察の勤務体制が四交替勤務制になる。
- 2011年(平成23年)4月26日、同年3月11日発生の東北地方太平洋沖地震による東日本大震災に伴い、パトロール隊「皇宮警察ひまわり隊」が編成され東北地方の被災地へ派遣。皇宮警察史上初の管轄外活動となる[10][11]。
対応した主な事件編集
- 1954年(昭和29年)1月2日:二重橋事件
- 1971年(昭和46年)9月25日:第1次坂下門乱入事件
- 1972年(昭和47年)1月6日:日光皇太子夫妻襲撃事件
- 1975年(昭和50年)7月12日:第2次坂下門乱入事件
- 1975年(昭和50年)7月17日:ひめゆりの塔事件
- 2011年(平成23年)2月5日:皇居お堀入浴剤投げ入れ事件
- 2020年(令和2年)5月25日:皇居正門鉄橋付近侵入事件
- 2022年(令和4年)6月4日:赤坂御用地侵入事件
- 2022年(令和4年)6月29日:名古屋市男性宮内庁包丁送りつけ事件
組織編集
- 本部長(皇宮警視監)
- 副本部長(皇宮警視監)
- 首席監察官
- 警務課
- 監察課
- 教養課
- 会計課
- 厚生課
- 皇宮警察特別警備隊(常設)
- 護衛馬部隊
- 警備部
- 警備第一課
- 警備第二課
- 護衛部
- 護衛第一課
- 護衛第二課
- 上皇護衛課
- 侍衛官(3)
- 坂下護衛署
- 坂下門警備派出所
- 山下通り警備派出所
- 供溜警備派出所
- 櫓下警備派出所
- 塔の坂警備派出所
- 狐坂警備派出所
- 吹上護衛署
- 外庭東門警備派出所
- 乾門警備派出所
- 赤坂護衛署
- 赤坂御所正門警備派出所
- 鮫ヶ門警備派出所
- 南門警備派出所
- 京都護衛署
- 建礼門警備派出所
- 北門警備派出所
- 修学院離宮皇宮護衛官派出所
- 桂離宮皇宮護衛官派出所
- 正倉院皇宮護衛官派出所
- 皇宮警察音楽隊
- 皇宮警察学校:皇宮警察職員に対する教育訓練を行う[4]。
皇居のうち、宮殿及び皇居東御苑等の区域を担当する「坂下護衛署」、御所・宮中三殿等の区域を担当する「吹上護衛署」、赤坂御用地(東宮御所・各宮邸等)及び常盤松御用邸(常陸宮邸)の区域を担当する「赤坂護衛署」が設置されている。
東京都以外では、京都府には京都御苑(京都御所・京都仙洞御所・京都大宮御所)・桂離宮・修学院離宮及び正倉院の区域を担当する「京都護衛署」を置き、神奈川県の葉山御用邸、栃木県の那須御用邸、御料牧場、静岡県の須崎御用邸、奈良県の正倉院には、「皇宮護衛官派出所」が置かれている[12][13]。
また、各署には消防車(「警防車」と呼称)が配備されており、皇居や御所の消防の業務を担っている[14]。
この他、皇宮護衛官の育成のための皇宮警察学校や皇宮警察音楽隊、皇宮警察特別警備隊などもある。
2009年(平成21年)度に警務部長ポストを廃し、「副本部長」を設置した。
皇宮警察本部の定員は、警察庁の定員に関する規則[15]により規定されており、2020年(令和2年)4月1日現在、皇宮護衛官932人および事務官等40人の合計972人である。
また、毎年1月下旬に年頭視閲式があり、側衛車両部隊や騎馬隊など、約11部隊・260人程度が皇居・東御苑で式を行う。 2021年(令和3年)に皇宮警察で初の女性警視正が誕生した。
不祥事編集
- 2002年(平成14年)1月 - 吹上護衛署の女子更衣室から部下の女性護衛官の下着を盗んだとして、皇宮警部補が懲戒処分[16]。
- 2003年(平成15年)6月 - JR総武線の電車内で女性会社員(30代)に痴漢をしたとして、皇宮巡査部長が懲戒処分[16]。
- 2004年(平成16年)7月 - 都内のビデオ鑑賞店からアダルトビデオ10本を盗んだとして、女性皇宮巡査長が懲戒処分[16]。
- 2007年(平成19年)3月29日 - 2005年(平成17年)10月から2006年(平成18年)6月にかけて、皇宮警察学校を出たばかりの女性護衛官が40代後半の上司から数回、胸をもまれたり、執拗にメールを送られたりするセクハラ事案があり、この上司が同日付で減給6ヵ月の懲戒処分を受ける[16]。
- 2015年(平成27年)7月 - 皇宮警察学校の学生の給食費など30万円を着服した教養課男性皇宮警部補(30代)が書類送検され、停職1ヵ月の懲戒処分を受けた[17]。
- 2016年(平成28年)1月12日 - 護衛第二課の男性皇宮警部補(42歳)が電車内で乗客の下着の中に手を入れ尻を触るなどしたとして、東京都迷惑防止条例違反(痴漢)の現行犯で逮捕された[18]。
- 2017年(平成29年)12月 - 男性皇宮巡査部長(30代)が児童ポルノのDVDを所持していたとして、警視庁が児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律違反の疑いで男性皇宮巡査部長を書類送検した。男性皇宮巡査部長は依願退職[19]。
- 2019年(令和元年)6月 - 皇宮警察学校の実習先だった那須御用邸の敷地内にある施設での懇親会など、1年間で校長や教官、新任の護衛官らが同席する場で未成年飲酒が繰り返されていた。また、男女4人の護衛官が飲酒後にみだらな行為に及んでいた。校長ら幹部や護衛官ら30人前後が近く懲戒処分される見通し[17]。
- 2020年(令和2年)2月 - 男性護衛官が出張先の新潟県の宿泊施設で入浴中の同僚の女性護衛官をのぞき見していたことが発覚し、懲戒処分される見通し[17]。
- 2021年(令和3年)2月19日 - 京都護衛署長の皇宮警視正(59)が2017年(平成29年)に知人女性を正規の手続きをせずに赤坂御用地へ立ち入りさせていたことが判明。減給6か月の懲戒処分。皇宮警視正は同日付で依願退職[20]。
- 2022年(令和4年)1月1日 - 護衛部護衛1課の皇宮警部が、都内のパチンコ店2店舗で座席にかけてあったダウンジャケットなど3着を盗み、窃盗で逮捕される。
参考文献編集
- 皇宮警察史編さん委員会編『皇宮警察史』1976年、皇宮警察本部
- 皇宮警察史編さん委員会編『皇宮警察史』2006年、皇宮警察史編さん委員会
脚注編集
- ^ 警察庁の定員に関する規則(昭和44年6月5日国家公安委員会規則第4号)」(最終改正:平成30年3月30日国家公安委員会規則第8号)
- ^ 単位:千円。2018年度(平成30年度)当初予算 - 一般会計(内閣 「平成30年度予算書関連」 財務省)。
- ^ 皇宮警察、初の女性警視正誕生
- ^ a b c 警察法 第29条
- ^ 内閣紋章は七五桐。桐紋は菊花紋章と並んで古くから皇室の象徴とされている紋章であり、政権担当者に下賜されてきた
- ^ “サイトマップ | 皇宮警察本部-IMPERIAL GUARD HEADQUARTERS-” (日本語). 警察庁. 2018年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月25日閲覧。
- ^ 『ジーニアス英和辞典』第3版 「guard(名詞)(1)」。
- ^ 秦 2005, pp. 370–382, 第2部 陸海軍主要職務の歴任者一覧-III 陸軍-9.部隊/師団-A 師団
- ^ 「皇宮警察音楽隊創設60周年記念演奏会」平成25年度警察白書,P201
- ^ 千葉県警察成田国際空港警備隊への出向を除く。
- ^ https://web.archive.org/web/20110429052913/http://sankei.jp.msn.com/life/news/110426/imp11042618030003-n1.htm 皇宮警察が初の被災地支援へ 避難所での生活相談などに女性護衛官ら派遣 産経新聞 2011年4月26日(インターネットアーカイブ)
- ^ 皇宮警察本部とは
- ^ https://www.npa.go.jp/hakusyo/h25/pdf/pdf/11_dai6syo.pdf 平成25年警察白書 P201「皇宮警察本部の活動」
- ^ “皇宮警察護衛官が消防技能を競う”. 日テレNEWS24. 日本テレビ (2013年7月13日). 2014年3月15日閲覧。
- ^ 昭和44年6月5日国家公安委員会規則第4号。(最終改正:令和2年3月30日国家公安委員会規則第4号)
- ^ a b c d “《皇宮警察わいせつ体質がまた発覚》那須御用邸で「男女4人の護衛官がみだらな行為」”. 文春オンライン 2020/3/13(金) 18:36配信. 2020年7月27日閲覧。
- ^ a b c “皇宮警察で不祥事続々…未成年飲酒に男女4人みだらな行為 校長含む30人前後を処分へ NHK報道”. zakzak by夕刊フジ 2020.3.10. 2020年7月27日閲覧。
- ^ “皇宮警察の警部補、酒に酔い電車内で痴漢か 十条駅で現行犯逮捕”. クリスチャントゥデイ 2016年1月14日19時05分. 2020年7月27日閲覧。
- ^ “皇宮護衛官を書類送検 児童ポルノ所持容疑 警視庁”. 産経ニュース 2017.12.12 12:43. 2020年7月27日閲覧。
- ^ 赤坂御用地に知人女性招き入れる、皇宮警察署長を懲戒処分…「職場見せたかった」 - Yomiuri Online(02/19/2021)