相州家(そうしゅうけ)は、薩摩国守護大名島津氏の分家。

島津宗家9代当主島津忠国の庶長子である島津友久よりはじまる[1]。友久が「相模守」を称していたことからこの名がついた。相州家2代当主の島津運久伊作氏から養嗣子として島津忠良を迎え、3代当主として、その嫡男の島津貴久は島津本宗家を継いだ。

歴代当主 編集

  1. 島津友久(1432-1494)…子:運久(2代)
  2. 島津運久(1468-1540)…子:忠良(3代、養子、伊作善久の子)、女(島津忠将室)、女(佐多忠成室)、野間忠政野間氏)、忠貞後藤氏
  3. 島津忠良(1492-1568)…子:御南高山肝付兼続室)、御隅樺山善久室)、貴久(島津本宗家15代当主)、忠将垂水島津家初代)、にし種子島時尭および肝付兼盛室)、尚久宮之城島津家初代)、花舜夫人島津義久正室)、円信院殿(養女、種子島時尭娘、島津義久継室)

脚注 編集

  1. ^ 友久が家督が継げなかった背景として、母方の実家である伊作氏が忠国に反抗したことを理由とする説もある(新名一仁「嘉吉・文安の島津氏内訌-南九州政治史上の意義-」『史学研究』235号(2001年)/改題所収:「嘉吉・文安の島津氏内訌」新名 編『室町期島津氏領国の政治構造』(戎光祥出版、2015年)。

関連項目 編集