相見 とし子(あいみ としこ、1925年 - 2005年)は日本の小説家。京都府生まれ。日本女子大学国文学部卒業。1957年(昭和32年)上半期の芥川賞直木賞の女性としては初めての同時候補となる。執筆活動を続けながら、1973年(昭和48年)から平成初め頃まで自宅敷地内で文化人の集う居酒屋「木の目会」を実質経営。2005年に日本バプテスト病院にて没後、遺骨は丹後間人(京丹後市)の墓に埋まる。

略歴 編集

京都府竹野郡間人町(現・京丹後市)に生まれる。二人兄妹であったが、兄は第二次世界大戦で戦死した。日本女子大学国文学部卒業。後に同志社大学教授(現・名誉教授)となった相見志郎と結婚し、創作活動に入る。ドイツ文学者・前田敬作が京都大学助教授時代に出していた同人誌『集団55』に発表した初創作の『魔法瓶』で昭和32年上半期の芥川賞、直木賞の同時候補となる。

1973年から20年間ほど、左京区の自宅敷地内で居酒屋『木の目会』を実質経営していた。独立美術協会に所属していた安田謙中村善種新制作所属の面屋庄三他、多くの美術家や文化人が参集していた。

写真家であった長男・相見明は1981年にアメリカ・ニューヨークブルックリン橋でロケーションハンティング中に、橋のワイヤーが切れるという不慮の事故に遭遇。意識不明のままセント・ビンセント病院にて32歳で死去。

2005年に京都市の日本バプテスト病院にて死去。

執筆作品 編集

  • あるひととしのうた(日本図書刊行会 1987年9月発行)
  • わたしからあなたへ(聚槐舎 1990年6月発行)
  • 京都盆地(宝塚出版 1999年1月発行)
  • 相見とし子作品集(宝塚出版 1995年3月発行)(『魔法瓶』が収められている)
  • 絵そらごと(鳥影社 2004年9月発行)

(単行本のみ掲載している)

参考文献 編集