真人
- 真人(まひと)は、老荘思想・道教において人間の理想像とされる存在。仙人の別称として用いられることもある。
- 真人(まひと)は、秦の始皇帝が朕に代わって真理を悟ったことによる自称。
- 真人(まひと)は、八色の姓で制定された姓(カバネ)の一つ。本項で詳述。
真人の意味編集
基本的に、継体天皇の近親とそれ以降の天皇・皇子の子孫に与えられた。天皇の称号が道教の天皇大帝に由来するという説とともに、この「真人」も道教由来のものとする説がある。八色の姓のなかでは道師も道教の神学用語と重なっている。また天武天皇の諡(おくりな)の「瀛真人」(おきのまひと)は道教の神学では「瀛州」という海中の神山に住む仙人の高級者を意味する。
真人の賜姓例編集
真人賜姓は天武天皇が構想する皇親政治の一翼を担うものであった。『日本書紀』の天武天皇13年10月条に、「守山公・路公(みちのきみ)・高橋公・三国公・当麻公・茨城公(うまらきのきみ)・丹比公(たぢひのきみ)・猪名公(ゐなのきみ)・坂田公・羽田公・息長公(おきながのきみ) ・酒人公(さかひとのきみ)・山道公、十三真人に、姓を賜ひて真人と曰ふ」[1]とあって、これら公(きみ)姓氏族はおよそ応神 ・継体天皇 ~ 用明天皇の皇子の子孫である。それ以降の天皇・皇子の子孫についても、奈良時代にたびたび賜姓が行われ、『新撰姓氏録』の載せる真人姓は48氏に昇る(国史にのみ所見のものも含むと更に増加)。
その後編集
しかし、時あたかも藤原朝臣による権勢拡大の最中で、真人 = 高貴という原義すら崩れ始めていたことも否めず、氷上真人塩焼[2] ・厨真人厨女[3]のように一種の懲罰として賜姓される例も現れた。この傾向は平安時代に一層強まり、延暦21年(802年)安世(桓武天皇の皇子)が良岑朝臣姓を賜ると、皇族や真人姓の中からも朝臣賜姓を望む者が増加。政治的意義を失った真人姓の氏族は、次第に政界から姿を消していった。
出自・使用の両方で特異なのが、明経道を家学とした広澄流清原氏である(天武系の清原氏とは同名別氏族)。『新撰姓氏録』では、海氏(あまうじ)は、海神ワタツミを祖とする神別氏族とされる。それにも関わらず、海広澄は、清原真人の氏姓を下賜されて清原広澄となった[4]。太田亮の主張によれば、これは、海氏(凡海氏)の凡海麁鎌が天武天皇の養育者であった縁でもって、海氏は天武後裔であると