真大道教(しんだいどうきょう)は、中国金朝時期に、劉徳仁(1122年 - 1180年)が創始した道教の一派である。元朝の末年に至り法系が途絶えた。

歴史 編集

教祖の劉徳仁は、滄州楽陵県(山東省商河県)の人であったが、靖康の変に遭遇して塩山県(河北省塩山県)に移住した。金の皇統2年(1142年)、劉徳仁に、太上老君と自称する一老人が降下して、『老子道徳経』を授与され、感ずるところがあって、大いに修行に励み、その後38年間に及ぶ伝道を開始した。大定中(1161年 - 1189年)には、金朝の領内のほぼ全域に伝播させることが出来た。

元朝では、真大道教は、天宝宮と玉虚観の両派に分派した。玉虚観の第5代・李希安の代より、真大道教に改称した。更に、泰定3年(1326年)以後には、次第に全真教の中に吸収されて行った。

真大道教では、「守気養神」が主張され、自力で生活し、苦節して寡欲であることを提唱して、上天昇化、不老長生を談ぜず、尚お且つ儒家思想を自己の体系中に吸収していた。その外、真大道教には出家制度が存在した。この時代、南方では、林霊素らの祈祷を中心とした正一教が主流となっており、他の新興教派と同様に、その教風には、現状に対する革新的な意義が見られる。

伝承 編集

  • 第1代:劉徳仁(1122年 - 1180年)
  • 第2代:陳師正(? - 1194年
  • 第3代:張信真(1164年 - 1218年
  • 第4代:毛希琮(1186年 - 1223年
  • 第5代:燕京天宝宮:酈希誠
  •      玉虚観:李希安

関連項目 編集

参考文献 編集