真宗大谷派竹鼻別院

岐阜県羽島市にある真宗大谷派の寺院

真宗大谷派竹鼻別院(しんしゅうおおたにはたけはなべついん)は、岐阜県羽島市にある真宗大谷派寺院である。同派の別院。旧称は御坊専福寺[3]

真宗大谷派竹鼻別院
所在地 岐阜県羽島市竹鼻町2808
位置 北緯35度19分27.1秒 東経136度42分02.1秒 / 北緯35.324194度 東経136.700583度 / 35.324194; 136.700583座標: 北緯35度19分27.1秒 東経136度42分02.1秒 / 北緯35.324194度 東経136.700583度 / 35.324194; 136.700583
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
寺格 別院
本尊 阿弥陀如来
創建年 伝・嘉禎元年(1235年
開基 伝・河野九門徒
中興年 文明2年(1470年
中興 蓮如
文化財 竹ヶ鼻大谷別院薩摩工事義歿者墓(県指定史跡)[1]・竹鼻別院のフジ(岐阜県指定天然記念物)[2]
法人番号 5200005003733 ウィキデータを編集
真宗大谷派竹鼻別院の位置(岐阜県内)
真宗大谷派竹鼻別院
真宗大谷派竹鼻別院
真宗大谷派竹鼻別院 (岐阜県)
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竹鼻別院の藤
山門

沿革 編集

嘉禎元年(1235年)、親鸞東国より帰京する際に三河国に立ち寄り、住民に説法していることを聞いた尾張国葉栗郡門間庄(現在の岐阜県羽島郡笠松町)の住人9名(後の河野九門徒)が帰依し、尾張国葉栗郡木瀬(現在の岐阜県羽島郡岐南町)に草庵を建立したのが始まりとされる。

文明2年(1470年)、蓮如がこの地を訪れた際、この草庵を再興。新加納(現在の各務原市)に移転して河野御坊と名づける。この地域には浄土真宗に改宗した寺院が多く、蓮如の足跡が多く残されている。

慶長9年(1604年)、教如により新加納から美濃国羽栗郡竹ヶ鼻村(現在の羽島市)に移転し、時期は不明だが「専福寺」に改称している。なお、河野御坊の一部は中屋(現在の各務原市)に移転し、河野西入坊となっている。

宝暦10年(1760年)、現在地に移転する。

文政5年(1822年)、本堂を再建する。

明治19年(1886年)、竹鼻別院と改称する。

明治24年(1891年)10月28日、濃尾地震で罹災し、堂宇が倒壊する。仮本堂を建立する。

大正11年(1922年)、第10世伊藤平左衛門を棟梁として再建される。

境内 編集

竹鼻別院の藤 編集

竹鼻別院の境内にあるは、推定樹齢300年以上[3]。枝張りは東西約30m、南北約15mの大木である。単独の1本の藤としては日本有数の大きさであり、岐阜県指定天然記念物である[2]

毎年4月下旬~5月上旬には、「みの竹鼻まつり・ふじまつり」が開催され、竹鼻別院はその会場の一部となる。

河野九門徒 編集

河野九門徒とは、尾張国葉栗郡にある、親鸞・蓮如にゆかりのある9つの寺院の総称である。河野は河野郷(河沼郷)のことという。

上記沿革のとおり、嘉禎元年(1235年)、親鸞が東国より帰京する際に三河国に立ち寄り、その説法を聞いた門間庄の住人9名が帰依し、草庵を建立する。文明2年(1470年)に、蓮如が草庵を再興し、かつて親鸞の説法を聞いて帰依した9人の門徒の子孫の寺院を「河野九門徒」と名づけたと伝えられる。

河野九門徒は、美濃国・尾張国の浄土真宗の中心となったという。現在もこの地域の寺院は、「河野」の字を冠する寺院名が多い。

  • 善龍寺(現在の河野善龍寺、愛知県一宮市
  • 栄泉寺(現在の河野栄泉寺、愛知県一宮市)
  • 妙性坊(現在の河野妙性坊、愛知県一宮市)
  • 西徳寺(現在の河野円城寺、岐阜県羽島郡笠松町)
  • 稱名寺(現在の河野稱名寺、岐阜県羽島郡笠松町)
  • 専福寺(現在の竹鼻別院、岐阜県羽島市)
  • 西入坊(現在の河野西入坊、岐阜県各務原市)
  • 安楽寺(現在の河野安楽寺、岐阜県各務原市)
  • 専光寺(現在の河野専光寺、岐阜県羽島郡岐南町)

所在地 編集

所在地
交通アクセス

脚注 編集

  1. ^ 竹ヶ鼻大谷別院薩摩工事義歿者墓”. 岐阜県. 2021年11月9日閲覧。
  2. ^ a b 竹鼻別院のフジ”. 岐阜県. 2021年11月9日閲覧。
  3. ^ a b 美濃竹鼻まちなみルートマップ”. 羽島市観光協会. 2022年8月16日閲覧。

関連項目 編集