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真田 信音(さなだ のぶおと、明暦2年(1656年) - 宝永4年10月1日1707年10月25日))は、江戸時代前期の旗本上野国沼田藩真田信利の長男。母は山内忠豊の娘。正室は形原松平典信の娘。幼名は仙千代。官位は従五位下弾正忠、後に采女正。

寛文9年(1669年)、従五位下弾正忠に叙任。

天和元年(1681年)、幕府から命じられた普請工事の遅滞や磔茂左衛門一揆に代表される治世不良により、沼田藩は改易される。このため、父の信利は山形藩奥平家に、嫡男の信音も赤穂藩浅野家にお預けとなった。元禄元年(1687年)に許され、旗本として1000俵を与えられ、旗本寄合席に列する。

元禄7年(1694年)、官名を采女正に改める。元禄10年(1697年)、武蔵国足立郡男衾郡伊豆国君沢郡田方郡の4郡で1000石を与えられ。しかし宝永4年(1707年)、52歳で死去した際、嗣子が無かったため無継絶家で改易となる。一門の真田信興がその名跡を継ぐが、信興の子の真田政賢の不行跡のため改易追放となった。この時、先代信興の兄弟の真田信清も連座して改易された。