真興(しんぎょう、承平5年(935年)- 寛弘元年10月23日1004年12月7日))は、平安時代中期の法相・真言宗。子島僧都・子島先徳とも称される。

略歴 編集

興福寺仲算(ちゅうざん)に法相教学を学び、のち吉野仁賀(にんが)から密教の法を受けた。初め壺坂寺に、その後子嶋寺に住して寺内に観覚寺を創建し、東密子島流を開いた。1003年長保5年)興福寺維摩会の講師をつとめ、翌1004年(長保6年)この功により権律師に任じられたが真興はこれを辞退している。この間、一条天皇の病気平癒を祈願し、子島寺両界曼荼羅図を賜ったという。寛弘元年(1004年)に御斎会の講師を務めて権少僧都に補されたが、同年5月23日に71歳で入滅した。