真銅孝三(しんどう こうぞう、1931年昭和6年〉2月3日 - )は日本実業家倉敷紡績(クラボウ)社長・会長、大阪経済大学理事長などを務めた。

略歴・人物 編集

1945年昭和20年)太平洋戦争終戦を大阪府立富田林中学校(旧制5年制。現・府立富田林高校)3年生の時に迎え、学徒動員などで「あまり集中して勉強した記憶はない」が、中学4年生で受験資格のある高等学校(旧制)浪速高等学校 (旧制)(現・大阪大学一般教養部)に進学。早生まれで飛び級で「旧制教育を受けた最後の世代」となった[1]

「兄が京都大学法学部だった」ため東京大学法学部に進み[1]1953年昭和28年)東大法学部を卒業、倉敷紡績に入社した。就職先に倉敷紡績を選んだのは、「創業家の大原孫三郎が社会政策史に取り上げられ、『東洋のロバート・オーエン[2]』と言われていた」ため[1]1993年平成5年)社長、2001年から会長に就任。

また、日本紡績協会・会長、日本経済団体連合会社会経済生産性本部の理事、関西経済連合会経済財政委員会・委員長、関西経済生産性本部会長、関西経済団体の再編を提言する「経済団体のあり方を考える会」座長などを歴任。そのほか、東京大学学友会の副会長、関西東大会の会長も務めた。

2003年平成15年)、勲三等旭日中綬章

年譜 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c 産経新聞大阪経済部『わたしの足跡 関西経済人列伝』(産経新聞出版2007年
  2. ^ イギリス人で、工場労働者の労働環境に改善に取り組み、協同組合運動を創始した。

関連項目 編集

先代
藤田温
倉敷紡績社長
1993年 - 2001年
次代
丹羽旲