メインメニューを開く

矢作神社(やはぎじんじゃ)は、愛知県岡崎市矢作町にある神社。比較的小さな神社ではあるものの、歴史は古い。秋の大祭では山車の引き回しが行われる[1]

矢作神社
Yahagi-Jinja-2.jpg
所在地 愛知県岡崎市矢作町字宝珠庵1
位置 北緯34度57分47.17秒
東経137度8分53.53秒
座標: 北緯34度57分47.17秒 東経137度8分53.53秒
主祭神 素盞嗚尊豊受大神保食神
社格 郷社
創建 315年
例祭 秋の大祭(10月1日・2日)
テンプレートを表示
矢竹やぶ

目次

歴史編集

1928年(昭和3年)に刊行された『矢作町誌』によれば、その由緒は315年頃(景行天皇の時代)の日本武尊東夷征伐にさかのぼるとされる[2]。日本武尊は、地元の民から賊の退治を依頼された。日本武尊はを作る職人である矢作部たちに矢を作るよう命じた。矢を作るための竹は川の中州にあったが、川の流れは速く、矢作部たちは竹の生えている中州まで行けなかった。そこへ一匹の蝶が現れ人の姿となり竹を切り取ってきた。矢作部たちはこの竹を用いて1万本の矢を作り、日本武尊は素戔嗚尊を祀り、賊を討ち果たしたと伝えられる。この矢竹の一部が矢作神社にある矢竹やぶであり、この故事によりこの神社は矢作神社と呼ばれることになったという。

このほか、1083年源義家陸奥守として奥州に向かう途中に、日本武尊の故事にならいこの矢作神社に参拝されたと伝えられる。1335年新田義貞足利尊氏との戦で戦勝祈願を行った際に、神社の前にあった石が唸った。これを神の加護と信じて戦い、新田義貞が勝利を収めたといわれる。この時の石がうなり石と呼ばれ、矢竹とともに祀られている。

1802年享和3年)の『村差出帳』には「牛頭天王」と記されていることから、明治時代の神仏分離令のときに素戔嗚尊を祀ったと考えられている。また、南北朝時代建徳文中のころには、兵火により焼失したと伝えられている。その後、天文岡崎城主の松平広忠が祠を現在の矢作町字祇園に再建したが、天正年間の堤防決潰により流失。その後、神殿を宝珠稲荷に合祀した。

第一次世界大戦後、日本海軍防護巡洋艦矢矧」の艦長以下乗員一同が正式参拝し、「矢矧」の模型を奉納している。また、「矢矧」の艦内には矢作神社の分霊が祀られていた。

文化財編集

以下の物件が市の有形民俗文化財に指定されている[3]

指定名称 指定年月日 所有者または管理者
祭礼山車(1台) 1968年(昭和43年)2月8日 矢作町3区
祭礼山車(1台) 1973年(昭和48年)3月23日 矢作町2区
矢作神社絵馬群(12点) 1991年(平成3年)2月6日 矢作神社

矢作神社秋の大祭編集

脚注編集