矢橋六郎

日本の洋画家

矢橋 六郎(やばし ろくろう、1905年11月16日 - 1988年7月4日)は、日本洋画家。「先祖は桓武天皇第二皇子の嵯峨天皇にまで遡る[2]矢橋家の本家の出身。モザイク による壁画 、作品を制作。代表作にJR名古屋駅新幹線口の「日月と東海の四季」。岐阜県教育委員長をつとめ郷里の振興に寄与。

やばし ろくろう
矢橋 六郎
生誕 (1905-11-16) 1905年11月16日
日本の旗 日本 美濃赤坂
死没 (1988-07-04) 1988年7月4日(82歳没)
日本の旗 日本 岐阜県大垣市
死因脳出血
国籍日本の旗 日本
民族日本人
出身校東京美術学校(現・東京芸術大学
職業洋画家
活動期間20世紀
代表作JR名古屋駅新幹線口の「日月と東海の四季」
影響を受けたもの梅原龍三郎
影響を与えたものモダンアート協会
活動拠点日本の旗 日本
フランスの旗 フランス
肩書きモダンアート協会創立会員
岐阜県教育委員長
矢橋宗太郎(祖父)
矢橋亮吉(父)
親戚矢橋敬吉[1](伯父)
矢橋友吉(伯父)
矢橋太郎(兄)
矢橋次雄(兄)
矢橋五郎(兄)
桑原孝子(妹、旧姓・矢橋)
矢橋龍太郎(従甥)
矢橋宗一(従甥)
矢橋恒男(従甥)
原乙彦(従甥)
矢橋徳太郎(従甥)
矢橋修太郎(従甥)
受賞中日文化賞

略歴編集

1905年11月16日、岐阜県不破郡美濃赤坂に生まれる。県立岐阜中学校を経て、1924年川端画学校に通いはじめる。1926年東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科に入学し、1930年に同校を卒業。同年渡欧。ヨーロッパ滞在中フォービズムキュビズムなどの影響を受ける。

梅原龍三郎に師事し、梅原らの創立になる国画会に参加。滞欧中も同展に出品を続け1932年に同会会友となる。1933年、帰国。同年国画会を退会する。

1936年山口薫村井正誠らと自由美術家協会[3]を創立。

1939年生家の家業である矢橋大理石商店[4]に勤務することとなるが画業もつづける。1941年には旧満州、新京に渡り、矢橋大理石廠株式会社勤務。 1945年には兵役に服すが、1946年に帰国。帰国後は矢橋大理石商店取締役に就任する。1950年村井らと共にモダンアート協会[5]を創立する。

モザイク作家としても知られ、「海」(1962年大名古屋ビルヂング)、「彩雲流れ」(1965年新東京ビルヂング)、「日月と東海の四季」(名古屋駅新幹線口)、「松と海」(新大阪駅貴賓室)「春・夏・秋・冬」(岐阜県庁)等を制作している。

晩年にはステンドグラスも制作。美術教育にも尽くし、武蔵野美術大学東京芸術大学で教鞭を取ったほか、1969年には岐阜県教育委員長をつとめ郷里の振興に寄与した。

1966年中日文化賞を受賞。

1978年、東京セントラル美術館[6]で「矢橋六郎画業50年展」が開催された [7]

[8][9]

モダンアート展出品作品(抜粋)編集

  • 第5回展(1955年)
    • 「無花果」
    • 「田植の頃」
    • 「桃果」
    • 「麦刈」
    • 「メヌエット」
  • 第10回展(1960年)
    • 「田園の冬」
    • 「ベニスの橋」
  • 第15回展(1965年)
    • 「田園冬日」
  • 第20回展(1970年)
    • 「春」
  • 第25回展(1972年)
    • 「サンジオルジオベニス」
  • 第30回展(1980年)
    • 「ポルトガルの夏」
  • 第35回展(1985年)
    • 「砂丘」
  • 第38回展(1988年)
    • 「ローマのテラス」

[10]

系譜編集

江戸中期 (分立) 以前編集

江戸中期 (分立) 以後編集

惣本家編集

  • 鼻祖 - 矢橋藤十郎(矢橋藤十郎(1722年11月18日没。孝 号木巴。)の実子。本家鼻祖・矢橋三郎兵衛(1761年11月22日没、元連 小字徳四郎。)の実兄。1775年8月晦没。宅教 小字惣四郎 号李明。「矢橋惣本家 今称東矢橋又辻矢橋」。室矢橋久左ェ門女)
  • 伯父 - 矢橋藤十郎(1894年3月12日没。小字増次郎 号十衛。矢橋惣本家当主。室矢橋宗太郎二女勝後改幾世)
  • 伯母 - 矢橋幾世(1911年4月7日没。矢橋宗太郎二女勝後改幾世。矢橋惣本家当主・矢橋藤十郎 (1894年3月12日没、小字増次郎 号十衛) に嫁す。行年79。)
  • 従兄 - 矢橋徳次郎 (1857年、美濃赤坂生まれ。1875年家督を相続、岐阜県屈指の大地主、最多額納税者となる。1874年以降県会議員に3期当選、美濃実業銀行、高須貯蓄銀行、赤坂銀行及び大垣銀行などの取締役)
  • 従兄 - 矢橋為吉(生年不詳-1936年1月没。1893年4月より1901年3月まで、大垣市赤坂村 (同村は1901年5月21日より町制施行) 赤坂尋常高等小学校校長)
  • 従兄 - 矢橋賢吉(1869年10月、美濃赤坂生まれ。営繕官僚、建築家国会議事堂の設計をまとめた中心人物。国会議事堂建設営繕組織の中心人物(国会議事堂#歴史#国会議事堂と建築家 及び #営繕組織参照)。近代公共建築を支えた中心人物。)

本家編集

  • 鼻祖 - 矢橋三郎兵衛(矢橋藤十郎(1722年11月18日没。孝 号木巴。)の実子。惣本家鼻祖・矢橋藤十郎 (1775年8月晦没。宅教 小字惣四郎)の実弟。1761年11月22日没。元連 小字徳四郎 号李仙。寿50。室京都人図司多美。)
【祖父母の世代】編集
【親の世代】編集
【同世代】編集
【子の世代】編集
  • 従甥 - 矢橋龍太郎 (1926年9月、美濃赤坂生まれ。矢橋龍吉の実子。実業家大垣市功労者。美術蒐集家)[28][29]
  • 従甥 - 矢橋宗一 (1918年4月、美濃赤坂生まれ。矢橋次郎の長男。矢橋工業 (金生山の鉱山) 社長)
  • 従甥 - 矢橋恒男 (1921年5月、美濃赤坂生まれ。矢橋次郎の二男。遠山産業副社長)
  • 従甥 - 原乙彦(1925年1月、美濃赤坂生まれ。旧姓・矢橋。矢橋次郎の三男。ユニチカ通商社長)
  • 従甥 - 矢橋徳太郎(1916年、美濃赤坂生まれ。矢橋友吉・孫。岐阜天文台副理事長。愛知淑徳短期大学教授。世界一の精度を誇る「矢橋式日時計」を考案[30][31]。)
  • 従甥 - 矢橋修太郎(亮吉の長男・矢橋太郎の孫。矢橋太郎が早世し、亮吉の二男・矢橋次雄が亮吉を襲名し、その養子となる。矢橋大理石社長)
  • 従甥 - 矢橋謙一郎(亮吉の四男・矢橋五郎の長男。関ヶ原製作所社長)
  • 従甥 - 矢橋昭三郎(亮吉の四男・矢橋五郎の三男。関ヶ原石材 社長)

家系図 編集

矢橋家家系図」によれば、矢橋家(惣本家・本家・南矢橋・北矢橋)は、嵯峨天皇源融紫式部源氏物語』の主人公光源氏の実在モデルの有力候補)まで遡る。

遠縁[33]所郁太郎(実父・矢橋亦一、養父・所伊織)

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ 矢橋敬吉
  2. ^ ぎふ財界をけん引してきた古今のリーダーたち 千紫万紅 ぎふ財界列伝 矢橋家の人々 漢詩人から起業家まで 矢橋編(1)(岐阜新聞社、2013年8月20日)
  3. ^ 自由美術協会 | コトバンク
  4. ^ 矢橋大理石 | コトバンク
  5. ^ モダンアート協会 | コトバンク
  6. ^ 紙パルプ会館5階、現在のセントラルミュージアム銀座
  7. ^ 矢橋六郎(やばし ろくろう)とは - コトバンク
  8. ^ 矢橋 六郎(ヤバシ ロクロウ)とは - コトバンク
  9. ^ 矢橋六郎 :: 東文研アーカイブデータベース - 東京文化財研究所
  10. ^ 矢橋六郎 :: 東文研アーカイブデータベース - 東京文化財研究所
  11. ^ お茶屋屋敷跡 (岐阜県公式ホームページ)
  12. ^ 非営利法人データーベースシステム NOPODAS 公益財団法人矢橋謝恩会
  13. ^ NTT西日本 岐阜支店 (報道発表資料) : 矢橋亮吉が設立した公益財団法人矢橋謝恩会、奨学生古田肇 (通産省入省・外務省経済協力局長・岐阜県知事)
  14. ^ 矢橋敬吉
  15. ^ 西美濃地域 産業観光ガイド 〜 産業観光施設・企業、産業遺産・文化財の紹介 〜 / 天皇の行幸と矢橋家
  16. ^ 岐阜県大垣市赤坂 3・御茶屋屋敷.(矢橋家)
  17. ^ 美濃赤坂宿 所郁太郎 及び 矢橋家
  18. ^ 中山道美濃路-2 赤坂
  19. ^ 神戸大学 電子図書館システム --一次情報表示--時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家 (岐阜県の三(人員十名通計十八名))
  20. ^ 系譜 (「註釈一覧 3) 矢橋家」)
  21. ^ 十六銀行 赤坂支店
  22. ^ 矢橋龍吉
  23. ^ Saikō to kōran. - WorldCat
  24. ^ 『赤山遺稿』『赤水遺稿』
  25. ^ お茶屋屋敷跡 (大垣市ホームページ)
  26. ^ 十六銀行 赤坂支店
  27. ^ 昭和18年 (1943) 7月20日 矢橋次郎監査役に就任 (年表37頁)
  28. ^ 白州正子の西美濃 (1)
  29. ^ 大垣市功労者 - 功労章 -
  30. ^ 日時計の楽しみ(2)
  31. ^ 矢橋, 徳太郎, 1916-1996 - Web NDL Authorities - 国立国会図書館
  32. ^ 桑原邸 岐阜県公式ホームページ
  33. ^ ■矢橋家|美濃赤坂宿 2007.04.25.