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矢田 喜美雄(やだ きみお、1913年大正2年)9月17日[1] - 1990年平成2年)12月4日[1])は、日本の元陸上競技選手およびジャーナリスト朝日新聞社で社会部記者として活動した。

目次

人物編集

山梨県八代郡に生まれる[1]早稲田大学高等師範部に在学中、日本選手団の一員としてベルリンオリンピックに参加し、走高跳で5位に入賞する[2]。1936年(昭和11年)の第23回日本選手権三段跳で優勝した[3]。また1933年(昭和8年)の関東学生陸上走高跳で1m98の日本新記録を樹立した。

高等師範部を卒業後、早稲田大学文学部史学科に進み、同時に山梨県で小学校教師となるが[1]1938年(昭和13年)に軍隊に入ったという情報もある[1]

1942年(昭和17年)に、朝日新聞社に入社し、社会部記者として活躍する[1]1949年(昭和24年)7月5日に起きた下山事件の取材と報道では、被害者の下山定則国鉄総裁は死後轢断されたとして他殺説を唱え、注目を集めた。また、南極観測プロジェクトの構想を強く主張し[1][2]1955年の日本の南極観測参加決定に貢献した[2]。その他、1964年に実現した日本での「ミロのビーナス」展の実現にも貢献している[1]。なお、朝日新聞社在職時代は、「朝日新聞に一番、金を使わせた男」として社内で有名であった[1]

朝日新聞社退職後、『謀殺・下山事件』を講談社より出版する。なお、これを原作として『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』が、1981年(昭和56年)に松竹より映画化された。

著書編集

  • 謀殺 下山事件 新風舎 2004年

関連映画編集

矢田喜美雄がモデルの主人公の矢代記者を仲代達矢が演じる。

関連事項編集

脚注編集

外部リンク編集