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矢筈山 登(やはずやま のぼる、1888年12月27日 - 1963年4月7日[1])は、友綱部屋に所属した力士。現役時代から7代友綱を襲名し、友綱部屋を経営、後進の指導につとめた。

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来歴編集

本名は西田亀吉。現在の高知県高岡郡佐川町出身。身長182cm、体重113kg。最高位は東小結

1908年1月初土俵、1912年1月十両昇進、1918年5月新入幕を果たす。1921年に師匠の6代友綱海山太郎)が廃業したために以降は二枚鑑札となり、1922年1月小結に昇進、この場所5勝4敗1分の成績で翌場所も小結に留まったが3勝7敗と負け越し、以後小結に復帰しなかった。1926年1月引退。友綱部屋から幕内宝川政治天城山猪太夫を育てた。しかし矢筈山の部屋継承には兄弟弟子達が猛反発したようであり、敷嶌は内弟子を連れて熊ヶ谷部屋を、土州山二子山部屋黒瀬川谷川部屋をそれぞれ創設。結果として、太刀山の引退以降斜陽化した部屋の勢いはますます衰えていった。部屋は1946年に閉鎖され、その後は立浪部屋所属の年寄として後進の指導にあたり、1961年1月に定年退職。1963年に死去。養女2人のうち姉は巴潟誠一(のち8代友綱)、妹は一錦周之助(のち9代友綱、魁輝薫秀の義父)に嫁いだ[2]

成績編集

  • 幕内16場所63勝82敗17休3分預
  • 通算22場所77勝88敗17休5分預
  • 十両優勝1回

改名編集

矢筈山→海山→矢筈山[3]

出典編集

  1. ^ http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19180501.htm
  2. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p40
  3. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709