石原 誠(いしはら まこと、1879年明治12年)5月18日 - 1938年昭和13年)12月11日)は日本生理学者、医学博士[1]

経歴 編集

兵庫県伊丹出身。1901年(明治34年)東京帝国大学医科大学卒。当初、内科医を目指すものの中耳炎のため聴診・打診に支障をきたしたため生理学に転向[1]する。卒業後、欧州留学(マールブルクウィーン[1])を命ぜられ、留学中に京都帝国大学福岡医科大学助教授に任官される。1906年9月同大学教授に就任する。

1911年(明治44年)に日本で初めて心電図を記録する[1]など心臓の自働性の研究(心臓前房の電流曲線の研究)に業績を上げ、この分野において石原は世界的権威として知られた。コイフナ血清学的研究などで知られた。また九州大学医学部の基礎を作った。

1938年(昭和13年)12月11日、肺癌のため逝去[1]、墓所は多磨霊園に存在する。

没後の1939年にノーベル生理学・医学賞の候補に挙がっていたものの、この時点で石原は亡くなっていた。仮に受賞対象となっていたとしても「ノーベル賞は死亡者には授賞しない」という規定があり、石原の受賞は不可能であった[2]

弟は石原修 (1885-1947)。父は石原亮。

著書 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 田辺福徳「心電図の歴史:和蘭(オランダ)から札幌まで」、p11、札幌厚生病院循環器科サイト(2009年10月10日閲覧)。
  2. ^ Nomination Database