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菱川師宣筆「菖蒲の節句」、石合戦を描く

石合戦(いしがっせん)とは、戦国時代合戦を模して、二手に分かれてをぶつけ合うこと。5月5日には、行事として行われる。印地

かつては、大人達が行い、「向かい飛礫(つぶて)」と呼ばれていた。頑丈な石を投げ合うため死亡者・負傷者が出る事も少なくなく、大規模な喧嘩に発展することも多かった。そのため、鎌倉幕府3代執権北条泰時などは、向い飛礫を禁止する条例を発布した[1]。水の権利・土地争いなどを解決する手段として石合戦が採用されるケースもあった。

また、武田信玄は石礫隊(投石衆)を組織しており、三方ヶ原の戦いでは徳川軍を挑発して誘い出すなど、実戦で活躍したと伝わる[2]

逸話としては、一説に依れば、織田信長も、幼少時代にこの石合戦を好み、近隣の子供らを集めて良く行った(模擬実戦として最適であった)とも言われている。また、徳川家康は少年たちによる石合戦を見に行き、少人数の側が勝つと言い当てた。これは少人数ゆえに仲間が協力し合っている点を瞬時に見抜いたからだと言われている。

地域によって、正月15日に行われたり、神社の祭りなどの豊凶占いの場合、6月や7月に行われる例もみられる(『民俗の事典』 岩崎美術社 1972年 p.73)。その場合、勝った村の方が豊作になるとし、また投石が水田にはね込むのを吉兆とする(同書 p.73)。

脚注編集

  1. ^ 吾妻鏡文永3年(1266年)4月21日条に、飛礫(つぶて)は争いや狼藉に繋がるとして、禁止された記述があり、関東においては武家法により件数が減ったが、京都の方では未だ行われているとも記されている。13世紀末以降は禁制となっている。
  2. ^ 信長公記』では、三方ヶ原の戦いの武田軍が、水股の者と呼ばれる300名に飛礫を打たせた(投げさせた)と記されている。

関連項目編集