石川 浩三郎(いしかわ こうさぶろう、1893年明治26年)9月5日[1] - 1987年昭和62年)1月8日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将功四級[2]

石川 浩三郎
生誕 1893年9月5日
日本の旗 日本 長野県
死没 (1987-01-08) 1987年1月8日(93歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1915年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
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経歴 編集

1893年(明治26年)に長野県で生まれた[1]陸軍士官学校第27期、陸軍大学校第35期卒業[1]1937年(昭和12年)に歩兵第70連隊長に就任し[2]1938年(昭和13年)に陸軍歩兵大佐に進級した[2]1939年(昭和14年)に第6師団参謀長に転じ[2]日中戦争に出動。贛湘作戦、長沙作戦で指揮を執った[1]

1941年(昭和16年)8月25日に陸軍少将に進級[2]10月15日に第15歩兵団長(第13軍第15師団)に転じ、南京の警備に当たった[1]1943年(昭和18年)に南方軍通信隊司令官に就任し、南方方面に出征[1]1944年(昭和19年)に陸軍通信学校長に転じ[1]10月26日に陸軍中将に進級[2]11月22日には通信兵監に就任した[1]1945年(昭和20年)3月19日陸軍歩兵学校附を経て[1]4月1日には第147師団長に親補され[1]千葉県茂原で終戦を迎えた[1]。同年10月3日には北部上陸地支局長に就任[3]

脚注 編集

参考文献 編集

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026