石川 総候(いしかわ ふさとき)は、常陸下館藩の第3代藩主。伊勢亀山藩石川家分家5代。

 
石川 総候
時代 江戸時代中期
生誕 享保3年(1718年
死没 明和7年8月17日1770年10月5日
改名 寅之丞、内膳(通称
戒名 正行院殿若州太守玄名日題大居士
墓所 東京都北区田端の大久寺
官位 従五位下、内膳正若狭
常陸下館藩
氏族 大久保氏石川氏
父母 父:大久保総比、母:某氏
養父:総陽
兄弟 総比の子:総朋、てる(石河政武室)、総共
総候、ふう(今大路道三室)、総胤、銀七郎、娘(神尾元経室)、細井勝名
正室:大久保忠方の娘
総孝、金八郎、総賢、総弾、清之助、総般
娘(土方雄年室)、阿きく(水野忠実室)、娘、娘(石川総彬室)
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生涯編集

享保3年(1718年)、下館藩石川家分家で3,000石の旗本である大久保総比の三男として誕生した。元文元年2月25日(1736年4月5日)、先代藩主・石川総陽養嗣子となり、同年3月(5月)将軍徳川吉宗に拝謁する。同年12月16日(1737年1月16日)、従五位下・内膳正に叙任する(後に若狭守に遷任)。元文5年(1740年)10月7日の総陽の隠居により家督を継いだ。明和7年(1770年)8月17日、53歳で死去し、跡を三男の総弾が継いだ。