石田 健人マルク(いしだ けんとマルク、1995年7月18日 - )は、スペインアンダルシア州マラガ県マラガ生まれ、名古屋市天白区出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

石田 健人マルク
現役時代
(2019年3月17日、ナゴヤ球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 スペインの旗 スペイン
アンダルシア州マラガ県マラガ
日本の旗 日本
愛知県名古屋市天白区育ち)
生年月日 (1995-07-18) 1995年7月18日(28歳)
身長
体重
184 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2017年 育成選手ドラフト2位
初出場 2020年10月10日
最終出場 2022年6月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

2020年シーズンから引退まで「マルク」を登録名に使用していた。

経歴 編集

プロ入り前 編集

父はベルギー出身の料理人で母は日本出身であり、父がスペイン在住時に誕生、その後生後3か月で日本に移住した[1]

名古屋市立しまだ小学校名古屋市立久方中学校を経て[注 1]東邦高等学校に進学した[4]。小学生時代は軟式の名古屋平針HBC少年野球クラブ、中学も同様に軟式野球チーム名古屋HBCクラブに所属した[5]

東邦高校時代の2年秋には丸山泰資から背番号1を継ぎエースとして活躍した。しかし直後の2年冬に投球フォームがわからなくなるイップス状態に陥った。3年の春夏も2桁ではあるが背番号はもらったものの、登板機会はなかった[6]

2014年4月から龍谷大学社会学部社会学科へ入学し硬式野球部へ入部。未だイップスの影響はあったが、テニスラケットを振るトレーニングなどで徐々に調子を取り戻していった[6]。同年秋にリーグ戦初登板を果たし、2年となった2015年の春のリーグ戦では7試合に登板し、1勝1敗防御率2.32という成績を残した。しかしその後は怪我により登板機会が激減し、4年となった2017年は背番号14番を付けたが秋のリーグ戦に2試合登板したのみであった。また、この4年の秋にはその独特なフォームから違反投球を指摘されることもあった[6]

10月26日の育成ドラフト会議において中日ドラゴンズから2位で育成指名を受けた。その後11月6日には瀬田キャンパスで中田宗男スカウト部長から指名あいさつを受け、支度金200万円、年俸300万円で仮契約を結び[7]、11月27日の中日ドラゴンズ2017年度新入団選手発表会で背番号は209と発表された。

中日時代 編集

2018年は、二軍公式戦への登板なしに終わった。

2019年は、二軍公式戦初登板を経験し、シーズンで18試合、22と2/3イニングに登板し、0勝1敗、防御率1.99の成績を残した[8]

2020年、同年から登録名を「マルク」に変更した[9]。9月23日、この日までウエスタン・リーグでリリーフとして20試合に登板し、防御率2.29の好成績を残していたことが評価され、支配下選手登録された[10][11]。背番号は82に変更となった[12]。10月10日の読売ジャイアンツ戦でプロ初登板を果たし、1回を1失点という内容だった[13]。オフに背番号を53に変更した[14]

2021年は、ウエスタン・リーグでは42試合に登板し、2勝4敗5セーブ、防御率3.66の成績を残したが、一軍登板なしに終わった[15]

2022年は、ウエスタン・リーグでは48試合に登板し2勝3敗・防御率3.25、リーグ最多となる13セーブを記録したが、一軍登板は2試合のみにとどまった。シーズン終了後の10月4日に戦力外通告を受け[16]、12月2日に自由契約公示された[17]

現役引退後 編集

その後トライアウトも受験したが、現役を引退。引退後はイベント推進部の球団スタッフとして再び中日ドラゴンズに携わっている[18]

選手としての特徴 編集

長身でグラブを大きく上げて跳ねるように投げる腕の出所の見えづらいフォームが特徴[19]。制球力とクイック投法に課題がある[1][19]

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
2020 中日 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 17 3.0 5 1 3 0 0 3 0 0 4 4 12.00 2.67
2022 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 15 3.0 5 0 2 0 0 0 0 0 4 4 12.00 2.33
通算:2年 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 32 6.0 10 1 5 0 0 3 0 0 8 8 12.00 2.50

年度別守備成績 編集



投手












2020 中日 3 0 0 0 0 ----
2022 2 0 1 0 0 1.000
通算 5 0 1 0 0 1.000

記録 編集

初記録

背番号 編集

  • 209(2018年 - 2020年9月22日)
  • 82(2020年9月23日 - 同年終了)
  • 53(2021年 - 2022年)

登録名 編集

  • 石田 健人マルク(いしだ けんとマルク、2018年 - 2019年)
  • マルク(2020年 - 2022年)

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 久方中学校の先輩には工藤公康[2]紀藤真琴がいる[3]

出典 編集

  1. ^ a b 「育成2位石田健人マルク」『月刊ドラゴンズ』2017年12月号、中日新聞社、p.17
  2. ^ 中日新聞』1981年8月14日朝刊県内版・名古屋市民版15頁「名電 1万応援団燃える 息子よくやった 工藤の父」(中日新聞社)
  3. ^ 『中日ドラゴンズ 2001ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)・中日新聞本社(発売)〈中日ドラゴンズファンブック〉、2001年3月9日、24頁。ISBN 978-4806204251 
  4. ^ 中日ドラゴンズ & 選手名鑑.
  5. ^ OB情報 石田健人マルク 育成2位指名!」『名古屋HBCクラブ ピックアップニュース』名古屋HBCクラブ、2017年10月26日。2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧
  6. ^ a b c 長森謙介「新時代の旗手:育成2位 投手 石田健人マルク」『中日スポーツ』2017年12月31日、第4版、第3面
  7. ^ 育成2位・石田健人マルク、竜の千賀になる!」『中日スポーツ』中日新聞社、2017年11月7日。2017年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月7日閲覧
  8. ^ 2019年度 中日ドラゴンズ 個人投手成績(ウエスタン・リーグ)」NPB.jp 日本野球機構。2019年12月16日閲覧
  9. ^ 父がベルギー出身の中日・石田健人マルクの登録名がマルクに「再スタートです」支配下へ気合」『中日スポーツ』2020年2月6日。2020年2月7日閲覧
  10. ^ 中日マルクが支配下登録「1軍戦力になれるように」」日刊スポーツ、2020年9月23日。2021年3月28日閲覧
  11. ^ 新規支配下選手登録(2020年度)」『NPB.jp』日本野球機構、2020年9月23日。2020年9月23日閲覧
  12. ^ 中日育成・マルクが支配下最後の枠ゲット 背番号82「0で抑えて帰ってこれる投手に」」『中日スポーツ』2020年9月23日。2020年9月24日閲覧
  13. ^ 中日・マルクが初昇格即登板 1回1失点も力強い投球披露」スポニチ Sponichi Annex、2020年10月10日。2021年3月28日閲覧
  14. ^ 中日梅津が「18」マルクは「53」背番号変更発表」日刊スポーツ、2020年12月11日。2021年1月8日閲覧
  15. ^ 【中日】マルク20万円増の440万円でサイン「来年は本当に勝負だと思う。やることは全部やりたい」」中日スポーツ、2021年11月11日。2021年12月22日閲覧
  16. ^ 【中日】戦力外通告のマルク「先のことはまだ決めきれない」育成入団 今季ウエスタンL最多セーブも」『中日スポーツ』2022年10月4日。2022年10月4日閲覧
  17. ^ 2022年度 自由契約選手 公示」『NPB.jp 日本野球機構』2022年12月2日。2022年12月2日閲覧
  18. ^ 15日のナゴヤ球場。ルーキー10人が汗を流す中…」『マイティーライン』2023年1月18日。2023年1月19日閲覧
  19. ^ a b 野球を観て笑顔になろう!プロ野球!クセ強ベストナイン 2020/08/16(日)16:00 の放送内容」『TVでた蔵』2頁。2020年8月16日閲覧

関連項目 編集

外部リンク 編集