研究史

ある学問分野や個別の研究対象についての、研究そのもの歴史。

研究史(けんきゅうし)または学史(がくし)は、人文科学自然科学等の学問領域において、これまでどのような研究が行なわれ、どのような分析・評価がなされてきたかを時系列にまとめた、研究そのものの歴史

概要編集

あらゆる学問には、過去に多くの研究者が調査・研究を行い、また議論を通じて論文書籍として発表してきた研究の積み重ねが存在する。これが先行研究と呼ばれるものである。研究の積み重ねを通じて、その分野で解明されていない疑問や課題の検討、過去に発表された研究に対する反論や再検討などの批判と修正が繰り返され、発展的に更新される[1]。それらの現状での到達点として「学説」や「通説」と呼ばれるものが成立する。そして現状の学説も、将来的に同じプロセスを通じて更新されていくと考えられるのである。したがって、研究史を研究することは、研究者がこれまでの研究の流れを俯瞰して課題や問題点を抽出し、作業仮説の設定と分析を重ねて、その成果を論述し新たな見解・学説を構築していく過程で、欠くことのできない作業である。

たとえば日本考古学の分野で、鹿児島県指宿市にある橋牟礼川遺跡は、学界でも縄文土器弥生土器の差異が何によるものかすら未解明だった大正時代1918年(大正7年)に発掘調査された遺跡だが、縄文土器と弥生土器とが含まれる包含層を明確に分けて出土したことで、両土器の違いが使用者集団(民族)の違いではなく年代差によるものであり、また縄文時代から弥生時代へ移行するという、現代では通説化した時代区分の先後関係が判明したことで知られている[2]。同遺跡からは研究史に残る発見があったが、その後さらに研究が進んだことで、調査当時に「弥生土器」とされていた土器が、弥生土器に似て非なる南九州独特の「成川式土器」であったことがわかるなどして、遺跡に対する理解が更新されている[3]

研究史の整理編集

研究者や学生たちは、自己の研究成果として報告書や論文(大学生なら授業レポート卒業論文など)を執筆するために、論文テーマとなりうる未解決の課題や問題点を探す必要がある。そのためには、現在の主要学説を広く知ることは当然として、その学説が「何を根拠としているか」や「どのような検証・プロセスを通じて成立してきたか」を把握しなければならず、その方法として「研究史の整理」が必要となる[4]

方法編集

ある対象について研究しようと思ったとき、概説書にあたれば現在の学説や通説について知ることが出来るが、それを単に鵜呑みにするのではなく、学説の根拠が何であるかも当然理解しなくてはならない。概説書の脚注参考文献のページを参照すれば、その学説の基となった先行研究(仮にA論文)が掲載してあるため、それを読むことで学説が組み立てられたプロセスを知ることが出来る。このA論文の中で「過去にB氏が述べた見解を参考とした(B 19××年 pp.○-○)、ただし、これについてはC氏による反論もある(C 19××年 pp.○-○)」などとさらに参考文献を示していたならば、それらの文献も探して読み、どのような議論があるのかを確認する必要がある。

再び考古学の例で言えば、ある時代ある文化の、土器編年について研究したいと思い概説書などでその土器の編年表を見つけたとしたら、そのベースとなった論文や著作が必ず存在するのでこれを読む。さらにそこに引用されていた論文や報告書なども次々に読んでいき、研究の時系列(研究史)を整理していく、という流れである。その際もし、編年に使われた土器に年代根拠が十分とは言えない点や、研究者間の見解に相違があり合意が得られていない点などが見えてきたならば、それがその研究の中で今後検討されるべき課題や問題点であり、自らが書こうとする論文のテーマや方向性(研究史上での位置付けや意義付け)にもつながっていくのである[5]

なお、これら研究史の内容は、通常の学術論文では立論にあたる「はじめに」や「研究史」という章にて解説される[6]

重要性編集

このように、参考文献から参考文献へと、引用された先行研究を芋づる式にあたり、時系列的に把握していくことで、現状の成果にいたる研究の過程と研究の枠組み(把握すべき先行研究の範囲)が見えてくるのであるが、この過程を経ずに自身の思いや独創のみで論文を執筆したとして、もしそれが過去の研究史上で既に触れられていた内容であったならば、研究に致命的な破綻をきたす恐れがある[7]

すなわち、新しい発見や見解を構築出来たと思って発表したところ「19××年の『△△学ジャーナル』□月号でD氏が同じことを指摘している」とか「200×年の『△△学雑誌』第○号でE氏が検討して否定された」などと言われた日には、妥当性・正確性を失うばかりか、研究史の不勉強を露呈し、恥をかくことになる。

大切に育んできた自分のアイデアが、既に過去の誰かが活字化したもので、しかも予め調べておくべき文献にあった、という事態は避けなければならない。しかし自身が研究したい対象に先行研究が存在する限り、先人のアイデアを活用せずに単独で新たな発見を導くことは不可能とされる。ただしハワード・ソール・ベッカーが例えるように、自身のテーブル(議論・論文)を組み立てるためには、ある程度出来合いのパーツ(先行研究)が必要であり、それを用いたとしても完成品が自身独自のテーブルであることには変わりない[8]。このため必要となりそうな先行論文は「すべて」読む必要がある[9]

記述行為における研究史整理編集

このような研究史の整理・研究という方法とその重要性は、考古学に限らず他の学問分野でも適用されるものである[注 1]。また、それはウィキペディアの編集上においても言えることである。

ウィキペディアは百科事典であるため、個々の記事内容は、学術論文のように分析・検討を行ったりその結論を述べたりするものではなく、概論・概説的なものとなるが、書かれた記事内容が正確であるためには、バックグラウンドとなる情報=引用・参考文献が正しく明示されること、つまり出典の明記が方針として求められている。しかし、引用・参考文献が明示されたとしても、それが数十年前のものなどかなり古典的な(悪く言えば古すぎる)ものの場合、常に更新が続く現代の学説や研究水準からは既に逸脱している可能性もあり、過去のある時点ではそのような学説であったことは明示出来ているが、内容自体は一般的でなくなりつつある「古い事典」となっている可能性がある。

ウィキペディア読者の側にとって必要なのは、その語が指し示す事柄の概観であり、最新の研究成果や動向は必ずしも求められていない。ただし「整理された」基礎的な事柄であることは望ましいとされる[10]

そのため、出典とそれに基づく記述は、闇雲に引用するのではなく、先行研究の動向と論理成立のプロセスをある程度捉え、文献の正確な発行年次をもって時系列的(研究史的)に整理されたものであること[注 2]ウィキペディアン達に求められる。またそれこそがいわゆる検証可能性の本質とも言いうるのである。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 本項の参考文献の著者ハワード・ソール・ベッカーの専門分野は社会学である。
  2. ^ 検証可能性内の例示に似せれば「ジョーン・スミスはXを主張し(スミス 197×年 pp.○○)、一方でポール・ジョーンズはYであるとしている(ジョーンズ 198×年 pp.△△)。これを受けてビル・エーカーは…(エーカー 201×年…)」といった書き方である。

出典編集

  1. ^ 村上 2019a, p. 32.
  2. ^ 濱田 1921.
  3. ^ 橋本 2015, pp. 20–24.
  4. ^ 村上 2019b, pp. 170-171.
  5. ^ 村上 2019b, p. 168.
  6. ^ 村上 2019b, pp. 167-182.
  7. ^ 村上 2019a, p. 33-34.
  8. ^ Howard 2012, pp. 200-209.
  9. ^ 村上 2019a, p. 34.
  10. ^ 日下 2012, p. 4.

参考文献編集

  • 濱田耕作「薩摩國揖宿郡指宿村土器包含層調査報告」『京都帝国大学文学部考古学研究報告』第6巻、京都帝國大學、1921年11月、2020年6月23日閲覧。
  • 日下九八「ウィキペディア:その信頼性と社会的役割」『情報管理』第55巻第1号、科学技術振興機構、2012年4月1日、 2-12頁、 doi:10.1241/johokanri.55.2ISSN 0021-7298
  • Becker, Howard「文献に怯える」『ベッカー先生の論文教室(小川芳範・訳)』慶應義塾大学出版会、2012年4月30日、199-220頁。ISBN 9784766419375NCID BB08994076
  • 成川式土器ってなんだ? -鹿大キャンパスの遺跡で出土する土器-』鹿児島大学総合研究博物館、鹿児島大学総合研究博物館、2015年9月30日。NCID BB19652584
  • 村上, 紀夫『歴史学で卒業論文を書くために』創元社、2019年9月20日。ISBN 9784422800417NCID BB28929146
    • 『第3章 論文の集め方と読み方』、31-79頁。
    • 『第10章「はじめに」を書く』、167-182頁。

関連項目編集