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磐余(いわれ)とは、奈良盆地桜井市中部(阿部・池之内)から橿原市南東部(池尻)にかけての古地名。天香具山北東山麓を指す。石村石寸とも表記する。

語源編集

神武天皇の和風諡号、「神日本磐余彦天皇」の中にこの地名が含まれ、天皇の東征の際に、兄磯城の軍が「磐余邑」に駐屯していたことが見える[1]。「要害地」・「石根(いわね)」などの説があり、「石村」を朝鮮の古語で「いわふれ」とよむところから来ているとも言われている。池田末則は「岩群」ではないか、と述べている。

歴史編集

古くから皇居が営まれてきたところで、神功皇后の磐余若桜宮(いわれわかさくらのみや)[2]履中天皇の磐余稚桜宮[3]清寧天皇の磐余甕栗宮(いわれみかくりのみや)[4]継体天皇の磐余玉穂宮[5]用明天皇の磐余池辺双槻宮(いわれいけのへなみつきのみや)[6]が置かれてきている。5世紀から6世紀にかけての大和政権の政治の中心地で、履中天皇の時代には磐余池が築造されている[7]。『万葉集』巻第三には大津皇子辞世の句が詠まれており、歌枕でもあった。

脚注編集

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  1. ^ 日本書紀』巻第三、神武天皇即位前紀戊午年9月5日条
  2. ^ 『日本書紀』巻第九、神功皇后摂政3年正月3日条
  3. ^ 『日本書紀』巻第十二、履中天皇元年2月1日条
  4. ^ 『日本書紀』巻第十五、清寧天皇元年正月15日条
  5. ^ 『日本書紀』巻第十七、継体天皇20年9月13日条
  6. ^ 『日本書紀』巻第二十一、用明天皇即位前紀(敏達天皇14年9月5日条)
  7. ^ 『日本書紀』巻第十二、履中天皇2年11月条

参考文献編集

関連項目編集