祇園町
日本の広島県安佐郡にあった町
祇園町(ぎおんちょう)は、かつて広島県安佐郡に存在した町である。1972年8月27日に広島市に編入されて消滅した。
ぎおんちょう 祇園町 | |
---|---|
元祇園町役場 | |
廃止日 | 1972年8月27日 |
廃止理由 |
編入合併 祇園町 → 広島市 |
現在の自治体 | 広島市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 広島県 |
郡 | 安佐郡 |
市町村コード | 34341-2 |
面積 | 15.07 km2 |
総人口 |
42,505人 (1971年10月1日) |
隣接自治体 | 広島市、安佐郡安古市町 |
祇園町役場 | |
所在地 | 広島県安佐郡祇園町 |
座標 | 北緯34度26分19秒 東経132度27分54秒 / 北緯34.43858度 東経132.46503度座標: 北緯34度26分19秒 東経132度27分54秒 / 北緯34.43858度 東経132.46503度 |
特記事項 | 当時の町役場は、現在は広島市安佐南区役所祇園出張所などで使用されている。 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集- 河川
- 太田川
- 太田川放水路
- 古川
- 山本川
- 山
- 火山(標高488.3m)
- 丸山(標高457.6m)
- 武田山(標高410.9m)
- 宗箇山(標高356m)
- 大字
歴史
編集- 1889年4月1日 - 市町村制施行。後の祇園町域には当時いずれも沼田郡に属する祇園村、長束村、西原村(のちの原村)、東原村(のちの原村)、山本村の各村があった。
- 1898年10月1日 - 高宮・沼田両郡が統合して安佐郡が成立したことに伴い、祇園・長束・西原・東原・山本の各村は安佐郡に属する村になる。
- 1920年4月1日 - 西原・東原両村が対等合併して原村が成立する。
- 1938年1月1日 - 祇園村が町制施行して祇園町(初代)になる。
- 1943年11月3日 - 祇園町(初代)と長束・原・山本の各村が対等合併して祇園町(2代)が成立する。
- 1972年8月27日 - 広島市に編入されて消滅する。
経済
編集産業
編集- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、祇園村の篤農家は「田中潤一、森岡盛一」、山本村の篤農家は「瀬川卯一」、長束村の篤農家は「橋本保吉」、西原村の篤農家は「増田柳太郎、西川松太郎、繁竹徳太郎」などである[1]。
- 企業
地域
編集教育(1972年8月26日当時のデータ)
編集- 小学校
- 祇園町立祇園小学校
- 祇園町立長束小学校
- 祇園町立原小学校
- 祇園町立山本小学校
- 中学校
- 祇園町立祇園中学校
- 祇園町立祇園東中学校
- 高等学校
- 祇園高等学校 - 2005年大下学園から鴎州コーポレーションに経営を譲渡し、AICJ中学校・高等学校に改称。
- 大学
- 広島経済大学
- 広島中央女子短期大学 - 2004年廃止。祇園高等学校と同じ大下学園の系列。
- 広島文化短期大学
交通(1972年8月26日当時のデータ)
編集鉄道
編集道路
編集- 国道
- 主要地方道
町内は通っていない。
- 一般県道
- 広島県道府中祇園線 - 1972年11月1日から広島県道152号府中祇園線になり現存。
- 広島県道古市広島線 - 1972年11月1日から広島県道277号古市広島線になり現存。
名所・旧跡
編集出身・ゆかりのある人物
編集脚注
編集- ^ 『大日本篤農家名鑑』148頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年4月21日閲覧。
- ^ a b c d e f 『日本全国諸会社役員録 第44回』下編430頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月11日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第44版』広島ナ、ニ、ヌ、ネ、ノ、ハの部19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月30日閲覧。
参考文献
編集- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第44回』商業興信所、1936年。
- 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。
関連項目
編集- 広島県の廃止市町村一覧
- 祇園地区
- 祇園市 - かつて存在した当町を中心とした合併計画