神保 雪子(じんぼ ゆきこ、弘化2年(1845年) - 慶応4年8月25日1868年10月10日))は江戸時代末期(幕末)の女性。会津藩士・井上丘隅の次女、神保修理の妻。

生涯編集

美貌で知られた雪子は、会津藩士神保修理の妻となった。夫婦仲は周囲も羨むほど睦まじいものであったとされ、周囲からも羨望の的であった。しかし、夫修理は大政奉還を主導した坂本龍馬とも親しい開明派だったうえ、鳥羽・伏見の戦いの際に徳川慶喜に戦線離脱を進言したと疑われ、また新政府への恭順を唱えたことから藩内の抗戦派の憤激をうけ、藩命で自刃させられてしまう。

雪子は同年8月23日の会津戦争に際して実家に戻ろうとしたが、父の井上丘隅から夫の後を追って神保家に戻るように言われ(実家の女性は全員自決)、城内に入ることもできなかった。その後、雪子は婦女隊に参加したといわれているが、必ずしも明らかではない。

土佐藩吉松速之助の証言によれば、8月25日時点では雪子はかつて味方であった大垣藩兵により、会津坂下長命寺に拘束されていた[1]。雪子の衣服は乱れており、大垣藩兵が捕虜とする際に雪子を凌辱し、その後も嬲り物とするために監禁していたという[2]。吉松速之助は雪子の解放を主張したが大垣藩兵はこれを容れなかった。雪子は吉松にひそかに短刀の拝借を請い、吉松から与えられた短刀を使って自決したという。

テレビドラマ編集

脚注編集

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  1. ^ 阿達義雄『会津鶴ヶ城の女たち』歴史春秋社、単行本 – 2010年。中村彰彦『幕末会津の女たち、男たち』文藝春秋、2012年。
  2. ^ 中村彰彦『幕末会津の女たち、男たち』文藝春秋、2012年。

関連項目編集

外部リンク編集