神山城(こうやまじょう)は、伊勢国飯野郡(現三重県松阪市中万町)にあった日本の城櫛田川祓川の分岐点北西に位置する神山(こうやま)山頂にあった。

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神山城
三重県
城跡がある神山
城跡がある神山
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 北畠親房、潮田幹景
築城年 1337年延元2年/建武4年)
主な城主 潮田幹景、仁木義長
廃城年 不明
遺構 曲輪土塁
指定文化財 未指定
位置 北緯34度31分30.37秒 東経136度33分54.15秒 / 北緯34.5251028度 東経136.5650417度 / 34.5251028; 136.5650417座標: 北緯34度31分30.37秒 東経136度33分54.15秒 / 北緯34.5251028度 東経136.5650417度 / 34.5251028; 136.5650417
地図
神山城の位置(三重県内)
神山城
神山城
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沿革 編集

南北朝時代1337年延元2年/建武4年)、北畠親房の配下潮田幹景により南朝の拠点のひとつとして築城された。1339年延元4年/暦応2年)8月、後醍醐天皇の死に乗じて、高師秋が城を囲み攻撃を加えたが、潮田幹景、加藤定有、藤原兼隆らが防戦して、翌月になると城下へ進撃し、愛洲氏の愛洲宗實や鹿海興時らと協力して、立利縄手(現在の松阪市朝見町)において敵を撃退した[1]

1342年興国3年/暦応5年)1月に再び高師秋、佐々木高氏が攻め込んだが、加藤定有、藤原兼隆らが防戦して退けた[1]1343年興国4年/康永2年)、北朝の仁木義長らが加わった攻撃により落城し、仁木義長が入城した[2]

なお、城の手前には一乗寺が置かれ、現在も室町時代北畠家が発した制札が3点残されており松阪市指定文化財となっている[3]。現在の城跡遺構を残すのみとなっている。

周辺 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 大西源一『三重県郷土史』1939年5月5日、P172、P173
  2. ^ 松阪市の史跡10選(2014年8月1日閲覧)
  3. ^ 71-137 神山一乗寺制札|松阪市の指定文化財|松阪市(2012年2月21日)

参考文献 編集

関連項目 編集