神崎健二
神崎 健二(かんざき けんじ、1963年12月8日 – )は、将棋棋士。和歌山県和歌山市出身。灘蓮照九段門下。棋士番号は179。
神崎健二 八段 | |
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名前 | 神崎健二 |
生年月日 | 1963年12月8日(59歳) |
プロ入り年月日 | 1986年11月5日(22歳) |
棋士番号 | 179 |
出身地 | 和歌山県和歌山市 |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 灘蓮照九段 |
段位 | 八段 |
棋士DB | 神崎健二 |
順位戦クラス | フリークラス |
2014年5月16日現在 |
棋歴編集
中学1年生の時にアマチュア名人戦の和歌山県大会に出場して予選敗退。そのときに灘蓮照と出会った縁で、中学2年の終わり頃に灘門下の7級として奨励会に入会する。奨励会時代は地元・和歌山の中学校・高校に通いながら、大阪の関西将棋会館に出向いて記録係を務めた。奨励会在籍の10年間で取った記録は301局にも上る。二段の時に第6回「若駒戦」の決勝(東西決戦)で石川陽生に勝ち優勝。2年後の同棋戦では、羽生善治に敗れて準優勝。奨励会の通常の対局以外に新聞(大阪新聞)に掲載される将棋を指せたことは、励みにも自信にもなったという[1]。
同じ関西奨励会には、6歳年下で入会が7年遅い村山聖がいた。神崎と村山が三段の頃に「(関西からの)次の四段は村山」という予想がされたことで奮起し、9連勝の規定で四段昇段[2]。一方、村山も13勝4敗の規定で、神崎と同日付で四段となった[3]。
順位戦では、初参加から3、4期目で2年連続C級2組8勝2敗の好成績を収めるが昇級できず、7期目に9勝1敗でようやくC級1組に上がる。この頃から、王位戦で度々リーグ入りするなど、タイトル戦予選の上位でも活躍する。第34期(1993年度)王位戦では、紅組リーグで羽生善治と同点でプレーオフになったが敗退。
1998年度のC級1組順位戦では、勝てば昇級という最終局で負けて8勝2敗となり、B級2組昇級を逸する。このときの昇級者は、9勝1敗の三浦弘行と深浦康市であった(深浦が逆転昇級)。
2016年に八段昇段。八段まで全て勝数規定で昇段したのは阿部隆、中田宏樹、中川大輔、日浦市郎、泉正樹に続き史上6人目である。また、順位戦B級2組を経験せずに八段昇段したのは屋敷伸之、渡辺明、日浦市郎に続き史上4人目である。
第75期、第76期の順位戦でC級2組の降級点が連続でついたところでフリークラスに転出し、2018年度(第77期)以降の順位戦出場資格を放棄した[4]。
2022年8月2日の伊藤園杯第64期王位戦予選で通算600勝(将棋栄誉賞)を達成。
棋風編集
居飛車党であり、矢倉、相掛かり系の採用率が比較的高い。後手番一手損角換わり戦法の流行後は、同戦法を多用している。乱戦や一直線の攻めを好み、相手の攻めを受けずに攻め返す棋風である。大駒や自玉を守る金・銀といった大事な駒に「取り」がかかっている局面であっても、それを見捨てて攻めの手を指すことが非常に多い。
人物・エピソード編集
昇段履歴編集
昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧制度の規定)。
主な成績編集
在籍クラス編集
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
出演編集
ドラマ編集
解説番組編集
脚注編集
- ^ 「自戦記5」(神崎健二公式サイト)
- ^ a b 新進棋士奨励会に三段リーグの制度がない時代であった。
- ^ 以上、「将棋世界」2000年1月号付録から一部引用した。
- ^ “2018年度からのフリークラス転出者|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2018年3月30日). 2019年6月8日閲覧。
- ^ “神崎健二七段が八段に昇段|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2016年8月15日). 2019年6月8日閲覧。
- ^ 現役プロ棋士データブック2016 【上】あ~た行(将棋世界2016年1月号別冊付録)