神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部

神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部(こうべリガッタ・アンド・アスレチック・くらぶ、: Kobe Regatta & Athletic Club, KR & AC)は、兵庫県神戸市中央区にあるスポーツクラブ。

一般社団法人神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部
神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部本部
神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部本部
団体種類 一般社団法人
設立 1905年3月17日[1](創設は1870年9月23日)
所在地 兵庫県神戸市中央区八幡通2-1-20 磯上公園内
法人番号 4140005001496 ウィキデータを編集
活動地域 日本の旗 日本
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概要 編集

1870年9月23日(明治3年8月28日)、アレキサンダー・キャメロン・シムの提唱により、神戸外国人居留地内に会員43名で発足。初期の会員にはシムのほかに六甲山の開祖として知られるアーサー・ヘスケス・グルームが名を連ねている[2][3][4]

1888年3月、横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ(YC&AC)との間でインターポートマッチが開催された。なお、YC&ACとの対戦は日本で最も古いサッカーの対抗戦と位置づけられている[5]

第二次世界大戦後に現在地の磯上公園に移転した。2007年4月、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するヴィッセル神戸と提携を結んだ。

体育館 編集

発足から3か月後の1870年12月(明治3年閏10月/11月)、神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部(KR & AC)は居留地内に体育館を建設[6]した。1874年(明治7年)11月、日本政府が居留外国人に対し居留地東側へのグラウンド(内外人公園、後の東遊園地の設置を認めた[7]。グラウンドは1877年(明治10年)5月に完成[8]ことに伴い、体育館はグラウンド内に移設された。

体育館はKR & ACのクラブハウスとして機能し、ボクシングフェンシングといったスポーツが行われたほか、会員以外にも開放され、居留地内の市民ホールとしての役割も果たした[9][10]。演劇や音楽会、ダンスパーティーなども催された[10][11]。演劇界においては「横浜外国人居留地内の『ゲーテ座』、長崎外国人居留地内の『パブリックホール』とともに、明治以降の日本演劇史に残る重要な施設」とされており[12][13]1927年(昭和2年)の新築を経て太平洋戦争中の1945年(昭和20年)に空襲で焼失するまでの間、神戸における「アマチュア演劇のメッカ」として機能した[11][12]。劇場としての機能から、体育館は「体育館劇場」、「居留地劇場」と呼ばれた。

1945年の焼失後、体育館は東遊園地内に再建されたが、1962年(昭和37年)に磯上公園(神戸市中央区八幡通)に移設された[12]

アクセス 編集

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

参考文献 編集

  • 楠本利夫『増補 国際都市神戸の系譜』公人の友社、2007年。ISBN 4-87555-514-8 
  • 棚田真輔松村浩貴高木応光『神戸居留外国人のスポーツ50年』神戸スポーツ史研究会、1993年。 
  • 高木応光『神戸スポーツはじめ物語』神戸新聞総合出版センター、2006年。ISBN 4-343-00362-0 
  • 棚田真輔、松村浩貴・高木応光『神戸居留外国人のスポーツ50年』神戸スポーツ史研究会、1993年。 
  • 神戸外国人居留地研究会(編) 編『居留地の窓から』ジュンク堂書店、1999年。 
  • ジャパン・クロニクル社(編)・土居晴夫(解説) 編、堀博小出石史郎 訳『神戸外国人居留地』神戸新聞出版センター、1980年。 

関連項目 編集

外部リンク 編集

座標: 北緯34度41分28秒 東経135度11分56秒 / 北緯34.69111度 東経135.19889度 / 34.69111; 135.19889