福岡県立田川工業高等学校
福岡県田川市にあった高等学校
福岡県立田川工業高等学校(ふくおかけんりつ たがわこうぎょう こうとうがっこう)は、福岡県田川市糒(ほしい)にあった県立高等学校。
福岡県立田川工業高等学校 | |
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北緯33度39分9.9秒 東経130度47分55.0秒 / 北緯33.652750度 東経130.798611度座標: 北緯33度39分9.9秒 東経130度47分55.0秒 / 北緯33.652750度 東経130.798611度 | |
過去の名称 |
後藤寺町伊田町学校組合立 福岡県田川商工実務学校 田川商工学校 田川工業学校 田川商工学校(再) 田川市立高等学校 福岡県立田川中央高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 福岡県 |
設立年月日 | 1937年(昭和12年)4月5日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒825-0005 |
福岡県田川市糒1900番地 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
地元では「工業」と呼ばれて親しまれていた。
概要
編集- 歴史
- 1937年(昭和12年)に、当時の田川郡の2町(後藤寺・伊田)が学校組合を組織して創立。当初の学校名は「田川商工実務学校」であったが、数回の改組・改称を経て、最終名になったのは1963年(昭和38年)。創立70年を迎えた2007年(平成19年)3月末をもって閉校し、福岡県立田川科学技術高等学校に統合された。
- 福岡県立田川商業高等学校と前身を同じくする。
沿革
編集- 1937年(昭和12年)4月5日 -「後藤寺町伊田町学校組合立 福岡県田川商工実務学校」(乙種実業学校)として創立。
- 1940年(昭和15年)- 「田川商工学校」(甲種実業学校)に改称。
- 実施年月不詳 - 商業科を廃止[1]の上、「田川工業学校」と改編・改称。
- 1946年(昭和21年)- 商業科を復活させ、再び「田川市立商工学校」に改称。
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)5月1日 - 県立移管により、「福岡県立田川中央高等学校」となる。
- 1963年(昭和38年)4月 - 福岡県立田川中央高等学校が以下の2校に分離。
- 「福岡県立田川工業高等学校」(最終名)
- 「福岡県立田川商業高等学校」
- 2005年(平成17年)4月 - 田川工業高等学校としての生徒募集を停止。福岡県立田川科学技術高等学校が併設される。
- 2007年(平成19年)3月31日 - 統合により閉校。閉校後は、福岡県立田川科学技術高等学校単独の校舎として継承されている。
各種証明書の発行先
編集- 〒825-0005 福岡県田川市糒1900番地
- 福岡県立田川科学技術高等学校 内
交通
編集- 最寄りの幹線道路
- 国道201号
著名な出身者
編集- 坂井勝二 - 元プロ野球選手(田川中央高時代)
脚注
編集- ^ 教育ニ関スル戦時非常措置方策を参照のこと。
参考資料
編集- 「田川市誌」(1949年(昭和24年)12月1日発行, 大川市)p.373~p.374(田川中央高等学校)