福島孝徳

日本の医師 (1942-2024)

福島 孝徳(ふくしま たかのり、1942年昭和17年〉10月15日[1] - 2024年令和6年〉3月19日)は、日本脳神経外科医脳腫瘍に対する「鍵穴手術」の考案者として知られる。

ふくしま たかのり
福島 孝徳
生誕 (1942-10-15) 1942年10月15日
東京都
死没 (2024-03-19) 2024年3月19日(81歳没)
アメリカ合衆国
出身校 東京大学医学部
職業 脳神経外科医
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カロライナ脳神経研究所デューク大学ウェストバージニア大学カロリンスカ研究所マルセイユ大学フランクフルト大学教授を兼任していた[2]

略歴 編集

神職明治神宮宮司であり[3]明治記念館の館長も20年以上勤め、戦後は空襲で焼失した明治神宮社殿の復興に、復興奉賛会事務局長などの立場で尽力した福島信義の次男として生まれる[4]。 父が禰宜を務めていた当時の1958年(昭和33)年10月31日に明治神宮本殿が戦災から再建されて御祭神を仮本殿から移す『本殿遷座祭遷御の儀』の際には、当時16歳だった孝徳も参列者の一人として儀式を見学していた[3]

東京大学病院内科医師である叔父に憧れ、都立戸山高等学校を経て東大医学部に入学した。東京大学病院研修医の時に世界で初めて内視鏡を使った脳の病気の診断を行い、様々な症状の原因を解明した。東京警察病院に勤務後西ドイツ留学した。そこで脳外科の限界を思い知らされる。

1978年に帰国し三井記念病院脳神経外科部長に就任した。頭部を大きく切開することなく、数センチメートルほどの小さな穴から顕微鏡を使い巧みに脳腫瘍を切除、縫合する鍵穴手術(キーホール・オペレーション)の確立に着手した。現在200点にも及ぶ、鍵穴手術に必要な脳外科手術用の顕微鏡や器具の開発を医療機器メーカーと共同で行いつつ、更なる臨床経験を積むため全国の病院を回り、多い時で一日11人年間900件にも及ぶ手術を手掛けていく。

1985年に鍵穴手術を確立するも、臨床が重視されず、論文の数と人脈が医師の評価基準とされる日本の医学界に疑問を持つようになる。48歳の時南カリフォルニア大学医療センターより脳神経外科教授のオファーを受け渡米した。臨床実績が評価される土壌で、鍵穴手術を用いて多くの難手術を成功させる手腕から「神の手を持つ男」「ゴッドハンド」や「侍ドクター」と呼ばれた。数件の大学病院を回った後ノースカロライナ州へ場を移し、脳外科症例数全米1位のデューク大学へ脳神経外科教授として就任。

生前はデューク大学教授の傍ら、世界中を回り難易度の高い脳腫瘍手術、診察を行っていた。また、全国の脳外科医を集めたセミナーの自費主催、設備水準の低い病院の医療機器購入を援助するなど、後進育成と高度な医療を受けられる環境作りに熱心であった。またアメリカのみならず日本やヨーロッパなど、自分の力が必要と言われれば世界中の病院に足を運び、脳腫瘍だけでなく脳動脈瘤三叉神経痛などの手術も行い、これまでに20,000人以上の命を救ってきた。

クリッピング手術の権威上山博康とは、若い時から互いに意識し合うライバル関係にあったが、福島が脳腫瘍手術の権威、上山が脳動脈瘤手術の権威となった現在は、互いに認め合い、共同でセミナーを開催し若い医師の教育を行っている[5]

若い医師の育成に熱心であり、生前には年に2回アメリカで脳外科医のための解剖・手術に関わるセミナーを開いており、日本から学びに来る医師の留学費用の援助までした。同じくクリッピング手術の権威である佐野公俊は、高校時代の後輩であり、かつて森山記念病院東京脳神経センター病院の「福島孝徳脳神経センター」で、佐野が脳動脈瘤手術センターをそれぞれ開設していた[6]

2006年10月に開院した東京クリニックを日本での拠点の一つとする。2007年に千葉県に塩田病院附属福島孝徳記念クリニックが開院した。2009年7月に47床への増床(102床までの許可)により福島孝徳記念病院に改称し、2009年には年間手術件数が500を超え、良性脳腫瘍については日本で最多となった。

2012年5月2日に、経営母体の医療法人SHIODAとの間で、運営方針をめぐり相違があったことを理由に、千葉県の塩田病院附属福島孝徳記念病院の運営から離脱し、福島孝徳脳神経センターは、東京都江戸川区の森山記念病院[7] と神奈川県川崎市の新百合ヶ丘総合病院[8]に移転した。千葉県の福島孝徳記念病院は、塩田記念病院に名称変更となった。

さらに東京クリニック[9]総合南東北病院[10]総合東京病院[11]にも福島孝徳 脳神経センターを開設した。現在は森山記念病院東京脳神経センター病院を日本国内の拠点とし[6]、各地の病院で活動しており、福島が国内手術等活動を行う日本全国の15病院の一部には、福島孝徳 脳神経センター[12]が、社会医療法人孝仁会 北海道大野記念病院 福島孝徳脳腫瘍・頭蓋底センター(北海道札幌市)[13]、社会医療法人社団森山医会 東京脳神経センター病院付属 福島孝徳神経センター[14]、南東北病院グループ 医療法人社団 三成会 新百合ケ丘総合病院 脳神経外科 福島記念 脳腫瘍・頭蓋底センター(神奈川県川崎市)[15]、南東北病院グループ 医療法人財団 健貢会 総合東京病院 脳神経外科 福島孝徳 脳腫瘍センター(東京都中野区)[16]、晃友脳神経外科眼科病院(神奈川県相模原市)に設置された。

2020年7月11日をもって、福島孝徳と神奈川県川崎市の新百合ヶ丘総合病院の提携が終了した。理由としては、新百合ヶ丘総合病院の経営方針変更により、同院が頭部外傷及び脊髄手術が専門の病院となり、福島の脳腫瘍手術や頭蓋底手術、鍵穴神経血管減圧術の実施が困難となったためとしている。

2024年3月19日、米国にて死去したことが公表され[17][18][19]、同月22日には福島の遺志により、公式サイトの継続が発表された[20]。81歳没。

年表 編集

  • 1961年 - 東京都立戸山高等学校卒業
  • 1968年 - 東京大学医学部卒業
  • 1968年 - 東京大学医学部附属病院 脳神経外科臨床・研究助手
  • 1973年 - ベルリン自由大学 Steglitzクリニック脳神経外科研究フェロー
  • 1975年 - メイヨー・クリニック脳神経外科臨床・研究フェロー
  • 1978年 - 東京大学医学部附属病院脳神経外科
  • 1980年 - 三井記念病院脳神経外科部長 頭蓋底の鍵穴手術(キーホール・オペレーション)を確立
  • 1991年 - 南カリフォルニア大学医療センター 脳神経外科教授
  • 1994年 - ペンシルベニア医科大学アルゲーニ総合病院 脳神経外科教授、アルゲーニ脳神経研究所頭蓋底手術センター部長
  • 1998年 - カロライナ頭蓋底手術センター所長 カロライナ脳神経研究所所長 カロライナ耳研究所共同所長
  • 2006年 - 東京大手町東京クリニックの運営に参画・指導開始
  • 2007年 - 千葉県に塩田病院附属福島孝徳記念クリニックが開院
  • 2009年 - 増床により塩田病院附属福島孝徳記念病院に改称
  • 2012年 - 塩田病院附属福島孝徳記念病院の運営から離脱した。福島孝徳脳神経センターは、東京都江戸川区の森山記念病院及び 神奈川県川崎市の新百合ヶ丘総合病院に移転した。
  • 2016年 - 森山記念病院から東京脳神経センター病院へ「福島孝徳脳神経センター」を移転させ、8月1日より脳神経外科手術患者を受け入れ、日本国内の拠点としている。
  • 2017年 - 日本全国の14病院にある福島孝徳 脳神経センターでは、2年間の初期研修(スーパーローテーション)を終了した若手医師を対象に、脳神経外科最新技術を学ぶための、専門を絞った4年間の後期研修医(レジデント)募集[21]
  • 2020年 - 福島孝徳と新百合ヶ丘総合病院の提携が終了し、新百合ヶ丘総合病院「福島記念 脳腫瘍・頭蓋底センター」を閉院。
  • 2022年12月1日 - 神奈川県相模原市緑区下九沢に「脳神経外科 福島孝徳記念クリニック」 を開院。
  • 2024年3月19日 - 死去[17]

人物 編集

  • 若い頃からドラムを演奏している。
  • 取材や講演会では一人称を「福島先生」としている。
  • 移動中以外は殆ど睡眠をとることはなく、「人の2倍働き3倍努力する」をモットーとしている。
  • 英語をはじめ複数の言語を操るマルチリンガルであり、「流暢でなくてもよいから、少なくとも5カ国語でコミュニケーションを取れるべき」と考えている。
  • ハーバード大学教授の荻野周史が、アルゲーニ総合病院英語版にて研修中、同病院脳神経外科教授であった福島孝徳に出会い、多大な影響を受けたと述べている。
  • 2007年に自身の生い立ちが「神の手を持つ男」として漫画化された。

著書 編集

  • 『ラストホープ 福島孝徳 「神の手」と呼ばれる世界TOPの脳外科医』 徳間書店2004年
  • 『福島孝徳 脳外科医 奇跡の指先』 PHP研究所2005年
  • 『神の手を持つ男』コミックチャージ角川書店)2007年1号 - 2008年9号連載、(監修(作画:本そういち)) 全2巻
  • 福島孝徳『神の手の提言 日本医療に必要な改革』角川書店、2009年3月。ISBN 978-4-04-710170-8 
  • 福島孝徳『闘いつづける力』徳間書店、2018年1月。ISBN 978-4-19-864509-0 

出演番組 編集

脚注 編集

  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.382
  2. ^ 福島孝徳とは (福島孝徳 プロフィール・経歴)
  3. ^ a b "【100年の森 明治神宮物語】復興 (5) よみがえった威容 新時代へ船出". 産経ニュース. 産経デジタル. 31 July 2020. 2020年7月31日閲覧
  4. ^ "「ゴッドハンド」福島孝徳さん死去 明治神宮宮司の精神受け継ぎ、白足袋で手術に臨む". 産経新聞. 31 July 2020. 2024年3月23日閲覧
  5. ^ 主治医が見つかる診療所
  6. ^ a b 東京脳神経センター病院
  7. ^ 福島孝徳脳神経センター(森山記念病院)
  8. ^ 福島 脳神経センターと福島 サイバーナイフセンター(新百合ヶ丘総合病院)
  9. ^ 福島孝徳 脳神経センター(東京クリニック)
  10. ^ 福島 脳神経センター(総合南東北病院)
  11. ^ 福島 脳神経センター(総合東京病院)
  12. ^ 福島が手術を行う病院
  13. ^ 福島孝徳脳腫瘍・頭蓋底センター
  14. ^ 福島孝徳脳神経センター
  15. ^ 福島記念 脳腫瘍・頭蓋底センターのご案内
  16. ^ 福島孝徳 脳腫瘍センター
  17. ^ a b Remembering Takanori Fukushima” (英語). Duke Department of Neurosurgery (2024年3月19日). 2024年3月21日閲覧。
  18. ^ @AsianCNS (2024年3月19日). "ACNS mourns the loss of one of the greatest neurosurgeons of the modern era. RIP, dear Prof.Takanori Fukushima" (英語). X(旧Twitter)より2024年3月20日閲覧
  19. ^ “「ゴッドハンド」福島孝徳さん死去 明治神宮宮司の精神受け継ぎ、白足袋で手術に臨む”. 産経新聞. (2024年3月23日). https://www.sankei.com/article/20240323-GOPY2OZEIFIPXHGPNWSMGE6IBU/ 2024年3月24日閲覧。 
  20. ^ 脳神経外科医 福島孝徳先生の訃報”. 脳神経外科医 福島孝徳公式サイト (2024年3月22日). 2024年3月24日閲覧。
  21. ^ 【告知】福島孝徳脳神経センター 後期研修医(レジデント)募集!!
  22. ^ 患者にとって最後の希望 80歳!神の手を持つ奇跡の医師”. 奇跡体験!アンビリバボー. 2023年2月5日閲覧。

外部リンク 編集