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福島民友

福島民友(ふくしまみんゆう)は、福島県福島市に本社を置く福島民友新聞社が発行する地方紙

福島民友
The Fukushima Minyu Shimbun1.jpg
本社
種類 日刊紙
サイズ ブランケット判

事業者 福島民友新聞株式会社
本社 福島県福島市柳町4-29
創刊 1895年5月20日
前身 福島実業新聞
言語 日本語
価格 1部 120円
月極 2,988円
発行数 180,800部(2018年5月、日本ABC協会調べ[1]
ウェブサイト http://www.minyu-net.com/
福島民友新聞株式会社
The Fukushima Minyu Shimbun
本社所在地 日本の旗 日本
〒960-8648
福島県福島市柳町4-29
設立 1895年5月20日
業種 情報・通信業
資本金 1億円
主要株主 株式会社読売新聞東京本社
関係する人物 河野広中
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目次

概要編集

1895年(明治28年)5月20日榊時敏太田虎之助らによって創刊された「福島実業新聞」を母体とし、その後いくつかの紙名変更を経て、1899年(明治32年)11月25日付から現紙名となる[2]


1941年(昭和16年)1月1日に報道統制(一県一紙政策)により休刊に追い込まれたが、戦後1946年(昭和21年)2月20日に復刊[3]。復刊当初は河北新報社に印刷を委託していたが、1948年(昭和23年)に読売新聞社(現・読売新聞東京本社)の支援を仰ぐことで経営を安定させ、1949年(昭和24年)から自社印刷を再開した[要出典]

1982年(昭和57年)に製作工程を活字から電算写植に移行し、1998年(平成10年)に画像も含めた全製作工程を完全CTS化した[要出典]

2004年(平成16年)からは、紙面製作は福島市の本社で行い、印刷は郡山市という体制に移行している。郡山市の工場では読売新聞とスポーツ報知の福島県・山形県に発行する分も印刷されている[要出典]

2009年(平成21年)5月20日、かねてから資本面で関係のある読売新聞と記事を相互に提供する編集協力を締結した。福島県では発行されていない読売新聞の夕刊や読売朝刊の首都圏の各地方版に掲載された記事を福島民友に掲載し、読売新聞福島県版では福島民友から福島県内のニュースダイジェストを掲載するというもので、同年6月1日付から開始した[要出典]

1985年2001年2005年に医学記事賞、2004年には農業ジャーナリスト賞、2016年には連載記事「復興の道標」で復興支援坂田記念ジャーナリズム賞を受賞している[要出典]

福島市JRA福島競馬場があることから、ライバル紙の福島民報と同様に地方紙には珍しく競馬専門の記者が居る。以前は「木曜スペシャル競馬特集」と題し、大川慶次郎・山崎正行・瀬上保男[4]の3人が座談会方式で予想を担当。毎年秋の中央競馬福島競馬場開催の際には『福島民友カップ』(ダート1700m)というオープン特別競走が組まれており、社杯を出している(1995年は夏季に、2012年と2013年は春季に施行された)[要出典]

また、一時期『民友新聞』と改題して宮城県でも発行していたことがある(宮城撤退後に、紙名を元の『福島民友』に戻した)。

創刊以後の沿革編集

  • 1906年(明治39年)- 英語記事のページを開設。
  • 1941年(昭和16年)- 当時の政府の指導で1県1紙とする原則から、一旦休刊する。
  • 1946年(昭和21年)- 河北新報社との印刷提携で復刊。
  • 1948年(昭和23年)- 読売新聞社と業務提携。
  • 1949年(昭和24年)- 自社印刷工場開設。
  • 1981年(昭和56年)- 活字が鉛からコンピュータ使用に変更。
  • 1986年(昭和61年)- 福島市柳町に新社屋完成。
  • 1990年(平成2年)-「民友県民大賞」創設。
  • 1995年(平成7年)-「財団法人福島民友愛の事業団」設立。
  • 1997年(平成9年)- 題字を縦から横に変更。カラー紙面導入。
  • 1998年(平成10年)- 全制作工程をCTS
  • 1999年(平成11年)- Gコードテレビ番組表掲載開始。ホームページ開設。
  • 2000年(平成12年)- 夕刊を3月31日付で休刊。4月から毎週木曜日に1週間のテレビ番組を掲載した別刷り「TOUCH」(タッチ)創刊。
  • 2001年(平成13年)- ホームページのiモードヴァージョン開設。
  • 2003年(平成15年)- 新聞制作システムを更新。
  • 2004年(平成16年)- 新聞印刷を福島市の自社工場から郡山市の新工場(民友は出資していない)へ切り替え。
  • 2005年(平成17年)- ハローキティ[5]をCMキャラクターに起用。
  • 2009年(平成21年)- 読売新聞と福島民友との間で、記事を相互に提供する編集協力を締結。
  • 2011年(平成23年)- 3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で12日付朝刊は8ページで発行。12日昼には4ページの特別号外を発行。13、14日付朝刊は16ページで発行した[6]。また、相双支社に勤務していた24歳の男性記者が津波に呑まれ、4月2日に死亡が確認された[7]

支社・支局編集

地域版編集

福島市内版、県北版、郡山版、県南版、会津版、いわき版、相双版

番組表編集

最終面編集

フルサイズ
地上デジタルの統合が東日本大震災の影響で2012年3月31日まで延期になった為、各放送局ごとのカットには、デジタルのIDを大きく掲載するだけでなく、アナログ放送のチャンネルも掲載されていた。
1/3サイズ

4/1サイズ編集

中面編集

ラジオ
BSデジタル

ウイークリー情報「TOUCH」編集

毎日の番組表とは別に、1週間分の番組表や見ものなどが掲載されている。タブロイド判16ページ。毎週木曜日発行。

脚注編集

  1. ^ “18年5月ABC部数”. 新聞情報. (2018年6月16日) 
  2. ^ 福島民友新聞百年史(福島民友新聞百年史編纂委員会 1995年)
  3. ^ MINYU-NET内、福島民友新聞社会社概要(2012年11月03日閲覧)
  4. ^ 読売新聞の競馬記者で、デューク・エリントンテディ・ウィルソンの研究家としても知られた。2007年2月死去。
  5. ^ ハローキティは2013年10月から日刊スポーツ新聞西日本愛知県以西の日刊スポーツ発行元)のイメージキャラクターも務めている。
  6. ^ 《東日本大震災》新聞発行に甚大な被害 特別態勢で発行継続 計画停電、断水、燃料不足...予断許さず”. 日本新聞協会 (2011年3月15日). 2011年5月20日閲覧。
  7. ^ 福島民友新聞の記者が遺体で発見 津波に巻き込まれた? J-CASTニュース 2011年4月3日付記事

外部リンク編集