福建省 (中華民国)

中華民国の省

福建省(ふっけんしょう、中国語: 福建省拼音: Fújiàn Shěng英語: Fuchien/Fukien Province)は、中華民国1949年民国38年)以降は連江県の一部と金門県のみを管轄しており、それ以外の大陸地区中華人民共和国福建省となっている。福建省政府1998年から虚省化が進みつつも2018年まで行政組織として存続していたが、2019年から予算ゼロ[1]となり事実上廃止されたため、現在は名目上の行政区画となっている。そのため、主要2島の頭文字を取った「金馬地区」と呼称される事が多い。

福建省
別称: 閩 / 金馬地区
時計回りに上から: 延平郡王祠(金門県)、邱良功母節孝坊(金門県)、媽祖巨神像(連江県)、八八坑道(連江県)、シーサー(金門県)、馬祖境天后宮(連江県)、清金門鎮総兵署(金門県)
地理
福建省の位置
面積: 180.4560 km²
各種表記
繁体字: 福建
日本語読み: ふっけん
拼音: Fújiàn
片仮名転写: フージェン
行政
福建省旗
福建省章
福建省徽
福建省徽
行政区分:
下位行政区画: 2
公式サイト: 福建省政府
情報
総人口: 158,188 人(2023年12月)
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金門県金城鎮に置かれていた福建省政府庁舎

管轄区域 編集

福建省は略称を「」(びん)と称し、管轄区域は現在の中華人民共和国福建省にほぼ相当する。

西は江西省、南は広東省、北は浙江省に接し、東は台湾海峡に面している。

行政沿革 編集

1911年宣統3年)10月10日、武昌起義により辛亥革命が勃発すると11月9日、福建新軍もこれに呼応し決起、同月17日に廈門軍政府を設立した。1912年(民国元年)11月16日、民政長官として民政長を設置、1914年(民国3年)5月23日、民政長は巡按使に、1916年(民国5年)7月に更に省長に改称されている。

1926年(民国15年)12月24日、中国国民党は福建省臨時政務委員会を設置、翌年1月2日に省臨時政治委員会を改編、福建省の最高行政機関と定められた。1927年(民国16年)4月12日、上海クーデターが勃発すると福建省は国民政府に帰属、5月1日に臨時政治委員会は解体され福建省政府が成立した。

1937年(民国26年)、日中戦争が勃発すると福州は日本軍に占領され福建省政府は亡命政府となる。1945年(民国34年)、日本の敗戦に伴い中華民国の施政権が回復したが、1949年(民国38年)8月17日、中国共産党により福州市は「解放」され、中華民国は島嶼部の金門県及び連江県長楽県の一部(馬祖島)、莆田県のごく一部(烏坵郷)を除き実効支配権を喪失した。

1954年、烏島を暫定的に金門県の管轄下とする。

1996年1月15日、福建省の地方政府としての機能が「凍結」された。

2019年1月1日、福建省の政府機能を事実上廃止[2][3]。以降、実体のない名称のみの存在となる。同日に行政院行政院金馬連合服務中心中国語版英語版を設立した。(後述

省会 編集

1937年(民国26年)以前は閩侯県に、1945年8月に林森県1946年(民国35年)1月以降は福州市に設置された。

日中戦争期間中は、洪山郷(現在の鼓楼区)、甘蔗郷(現在の閩侯県)、小箬郷(現在の閩侯県)、永安県に疎開している。

行政区画 編集

道制 編集

中華民国が建国されると清代の各道は廃止されたが、1913年(民国2年)2月12日、東路道南路道西路道北路道の4道が設置された観察使が任命されている。1914年(民国3年)5月、それぞれ閩海道廈門道汀漳道建安道と改称され、観察使も道尹と改められた。1927年(民国16年)、北伐軍が進駐すると道制は廃止されている。

県級行政区画 編集

中華人民共和国成立直前の管轄行政区画は2市68県。(50音順)

行政督察区 編集

金馬地区 編集

1955年大陳島撤退作戦以降、中華民国が実効支配する福建省は、中国大陸と海峡をはさんだ下記の島嶼部のみとなっている。中華民国が引き続き統治している福建省について、台湾地域(台湾省と台湾島内の直轄市)との対比から、現在では金門島と馬祖島の頭文字を使用した「金馬地区」(中国語では「金馬地區」)という呼称がなされている。

行政組織の廃止へ 編集

虚省化 編集

1996年1月15日をもって福建省政府は地方政府としての機能を「凍結」(事実上の廃止)させられ、省政府は行政院の出先機関として中央政府に組み込まれた。このような省から地方政府としての機能を喪失させる動きを「虚省化」と呼んでおり、1997年憲法増修条文第四次改憲以降は中華民国で実質的に「中国語版」という地方行政区分が機能していない。その後はわずかに、公務員試験等における地域区分や地方法院(裁判所)等の名称で「福建省」の名称が使用されていた。

事実上の廃止 編集

2019年1月1日、福建省政府を閉鎖し[2][3]、以降は憲法上に存在する福建省政府という名称と福建省主席の職位のみの存在となった。福建省政府が行っていた業務は行政院金馬連合服務中心中国語版英語版に引き継がれた。

上記の2県は国共内戦以来、防共の拠点として戒厳令のもと厳しい軍事態勢下にあったが、近年中華人民共和国による軍事的な脅威が減少したこと、また対岸の中国大陸との交流が活発化した事により、観光地へと変貌を遂げている。

教育 編集

脚注 編集

  1. ^ 賴清德:108年省級機關預算全歸零 | 政治 | 重點新聞 | 中央社 CNA” (中国語). www.cna.com.tw. 2020年7月14日閲覧。
  2. ^ a b 「資源の有効活用と行政の効率化のため」として、行政院が2019年度予算から省級機関への予算配分をゼロにすると決定したため。
  3. ^ a b 台湾当局が金門島にある「福建省政府」を年内で閉鎖―中国メディア - Recordchina、2018年12月30日配信。

関連項目 編集

外部リンク 編集


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