福羽 恩蔵(ふくば おんぞう、明治2年1869年[1]- 没年不詳)は、日本の園芸家造園家

東京生まれ[1]父は福羽美静、兄は福羽逸人福羽発三は甥。[要出典]

1891年(明治24年)内匠寮場所仕雇となり、翌年御料局園手となるが、1894年(明治27年)に辞任[1]イギリスに渡り園芸の調査を行い1897年(明治30年)帰国、同年新宿御苑詰となる[1]

1904年(明治37年)内苑局技手となり、1908年(明治41年)の官制改正で内苑寮技手[1]1911年(明治44年)に内苑寮技師、1914年(大正3年)宮内技師となり、1919年(大正8年)に退官する[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f 『皇室建築 内匠寮の人と作品』427頁。

参考文献 編集

  • 「韓国文化財」形成過程に関する史的考察 : 植民地期「朝鮮文化財」研究の成立と言説空間の形成 全東園[他] (全東園, 2017)
  • 鈴木博之監修、内匠寮の人と作品刊行委員会編『皇室建築 内匠寮の人と作品』建築画報社、2005年。