私がつくった番組 マイテレビジョン

私がつくった番組 マイテレビジョン』(わたしのつくったばんぐみ マイテレビジョン)は、1972年5月5日から1973年3月29日まで東京12チャンネル(現:テレビ東京)で放送されたテレビ番組である。全48回。西武百貨店1社提供。放送時間は第31回(1972年12月1日)までは毎週金曜22:30 - 23:00(JST)、第32回(1972年12月7日)からは毎週木曜23:00 - 23:30(JST)。

私がつくった番組 マイテレビジョン
ジャンル トーク番組音楽番組バラエティ番組ドキュメンタリーなど
(※回によって異なる)
出演者 週替わり(放送リストを参照)
製作
制作 東京12チャンネル(現:テレビ東京)
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1972年5月5日 - 1973年3月29日
放送時間毎週金曜日 22:30 - 23:00

毎週木曜日 23:00 - 23:30
放送分30分
回数48
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概要 編集

芸能界を始め、文化界・政界・財界など各界から選ばれた一人による「私ならこんな番組を作りたい」という考えを元に、そのメイン出演者が企画・構成から参加して番組を制作・放送するもので、当時としては画期的な内容であった。番組は回によって、トーク番組音楽番組バラエティ番組ドキュメンタリー演劇ドラマなどジャンルも様々であった[1]

特に第39回の「赤塚不二夫の『激情No1』(演出:佐藤輝)は、30分間ずっと紙吹雪が降る中、裸にふんどし一丁の格好の赤塚が、同じく裸にふんどし一丁[2]の女の子たちを追い回したり青山ミチが歌う「女番長(スケバン)ロック」に合わせて騎馬戦をやっているのと同時に、作家の佐々木守が赤塚不二夫論を語るなどといった演出で、最後はスタジオでの花笠音頭を出演者一同で披露した後に、赤塚本人がファンだという理由でゲストで登場したキャロルが二曲ほど披露し「決意表明」として、バリカンを持った漫画家仲間らによって赤塚が丸刈りにされるといった内容だった。後年、この番組は「狂乱状態が極限に達した演出」と評されている[3]

再放送 編集

本放送終了後長らく再放送が行われていなかったが、2014年4月12日に同局で放送された開局50周年記念番組『テレビ東京"50人の証言"』では、第10回の『萩本欽一のモダンタイムス』や、第14回の『美輪明宏の「サヨナラ丸山明宏」』が一部放送された。また2020年1月14日に同局の『ありえへん∞世界』2時間SPで放送された「ありえへん貴重映像祭り」では、第14回『美輪明宏の「サヨナラ丸山明宏」』の他、第23回『黒柳徹子の「珍談奇談アメリカ譚」』の一部が放送された。

2017年12月9日からは日本映画専門チャンネルにて当番組の再放送が開始され、全48回中15回がセレクション形式で放送されるようになった。初回は第14回・第26回・第35回、2018年5月25日には第19回・第33回・第37回、2018年11月23日に第21回・第23回・第24回、2019年3月29日に第29回・第31回・第42回、2019年10月25日に第22回・第30回・第32回が放送されている。

番組放送前にスーパー・ササダンゴ・マシンが、シーズンごとに違う若手芸能人を聞き手にして、該当人物の説明を行っている。

スタッフ 編集

放送リスト 編集

回数 放送日 タイトル 出演者
1 1972年5月5日 小百合の『日本遊女考』 吉永小百合岸田森尾上多賀之丞
2 1972年5月12日 中山千夏の『獅子奮迅のど自慢』 中山千夏赤塚不二夫佐藤允彦
3 1972年5月19日 都はるみ賛江 黒田征太郎より 都はるみ黒田征太郎
4 1972年5月26日 美空ひばりの『真赤な太陽伝』 美空ひばり石原慎太郎
5 1972年6月2日 三波春夫の『ヒットヒットショー』 三波春夫三波豊和佐藤愛子
6 1972年6月9日 桐島洋子の『ノアの方舟1972』 桐島洋子楠木憲吉殿岡ハツエ
7 1972年6月16日 加藤和彦の『GAS!』 加藤和彦加藤ミカ川村都
8 1972年6月23日 近衛忠輝の『人道のかけ橋』 近衛忠煇大森実長谷川きよし
9 1972年6月30日 立木義浩の超喜劇『緋牡丹悶次郎』 立木義浩ピーター奈美悦子ちあきなおみ三遊亭圓楽
10 1972年7月7日 萩本欽一の『モダンタイムス』 萩本欽一加賀まりこ八木治郎
11 1972年7月14日 三宅一生の『EVERYおんなBODY』 三宅一生弘田三枝子秋川リサ山口小夜子
12 1972年7月21日 藤圭子の『朝日のあたる時』 藤圭子大谷直子富岡多恵子西村小楽天
13 1972年7月28日 水前寺清子の『男なら高倉健 水前寺清子
14 1972年8月4日 美輪明宏の『サヨナラ丸山明宏』 美輪明宏清水勇
15 1972年8月11日 三波伸介の『哀しき愛の詩』 三波伸介日吉ミミ
16 1972年8月18日 北島三郎の『死んでみせます』 北島三郎生田悦子山本麟一
17 1972年8月25日 和田アキ子の『歌って踊って30分』 和田アキ子由利徹増田貴光
18 1972年9月1日 村田英雄の『俺はやりたかった』 村田英雄あがた森魚松尾ジーナ研ナオコ
19 1972年9月8日 淡谷のり子『私のブルース』 淡谷のり子唐十郎鹿島とも子
20 1972年9月15日 小林旭ショー 小林旭宮尾たか志
21 1972年9月22日 鶴田浩二の『今東光大僧正と日本人を語る』 鶴田浩二今東光
22 1972年9月29日 鰐淵晴子の青春テレビ 鰐淵晴子中村敦夫
23 1972年10月6日 黒柳徹子の『珍談奇談アメリカ譚』 黒柳徹子小沢昭一
24 1972年10月13日 高英男のテレビリサイタル『カムバック高英男』 高英男吉村雄輝
25 1972年10月20日 島倉千代子の『青春の花と風』 島倉千代子大瀬康一小坂一也
26 1972年10月27日 永六輔の『六輔・その世界』 永六輔中村八大横内章次クインテット
27 1972年11月3日 雪村いづみの『炎の女』 雪村いづみ原田忠幸輪島功一猪俣猛前田憲男
28 1972年11月10日 梶芽衣子の『センセーショナル』 梶芽衣子原田芳雄
29 1972年11月17日 都倉俊一『24歳の鎮魂歌(ラブサウンズ)』 都倉俊一落合恵子バニー・ラッツ黒柳徹子
30 1972年11月24日 舟木一夫・愛と別れの青春 舟木一夫
31 1972年12月1日 森山良子の『二人ぼっちのリサイタル』 森山良子森山久
32 1972年12月7日 青島幸男の『俺を斬ってくれ!』 青島幸男ばばこういち加藤諦三梶原一騎
33 1972年12月14日 阿久悠の『俺のつくった歌・俺のベストテン』 阿久悠上村一夫猪俣公章井上忠夫小林亜星都倉俊一中村泰士
34 1972年12月21日 デューク・エイセスVSチャイコフスキー デューク・エイセス
35 1972年12月28日 戸川昌子の『私の恋人(モンシェリ)・野坂昭如』 戸川昌子野坂昭如
36 1973年1月4日 いずみたく『今ぼくが熱中してるコト』 いずみたく
37 1973年1月11日 森繁久彌の『反恍惚の人宣言』 森繁久彌
38 1973年1月18日 矢崎泰久の『私もテレビに出たい』 矢崎泰久
39 1973年1月25日 赤塚不二夫の『激情No1』 赤塚不二夫中山千夏佐々木守
40 1973年2月1日 やまもと寛斎の『ロックファッションショウ』 山本寛斎
41 1973年2月8日 國學院大學全学応援団の『押忍(オッス)』 國學院大學全学応援団
42 1973年2月15日 伊丹十三の『LOOK?東京にも空がある!』 伊丹十三
43 1973年2月22日 由紀さおりの『私の歌を見つけたい!』 由紀さおり上坂冬子西村晃沢田俊吾
44 1973年3月1日 唐十郎の人形館 唐十郎
45 1973年3月8日 植木等の『笑魔!?』 植木等
46 1973年3月15日 池部良の大会談会 池部良吉田日出子
47 1973年3月22日 キャロルの『ヘイ! ROCK'N'ROLL SHOW』 キャロル
48 1973年3月29日 ひたむきなサヨナラショー 深沢七郎荒木一郎黒田征太郎美輪明宏白木万理
内田裕也玉置宏コシノジュンコ白石かずこ三上寛
林征二鹿島とも子ばばこういち殿岡ハツエ吉永小百合
日劇ダンシングチーム

脚注 編集

  1. ^ 参考:朝日新聞毎日新聞読売新聞日本経済新聞各テレビ欄(1972年5月5日)、週刊TVガイド 1972年5月5日号
  2. ^ 但し女性については乳首に小さくテープを貼っていた。
  3. ^ 洋泉社MOOK『映画秘宝ex モーレツ!アナーキーテレビ伝説』163、172、173ページ
  4. ^ 第5回、第7回、第12回、第14回、第17回、第20回、第24回、第30回、第35回、第38回、第39回、第47回、第48回の計13本担当(資料:『映画秘宝ex モーレツ!アナーキーテレビ伝説』163ページ)
  5. ^ 第42回など担当(『映画秘宝ex モーレツ!アナーキーテレビ伝説』173ページより)

外部リンク 編集

東京12チャンネル 金曜22:30〜23:00枠
前番組 番組名 次番組
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東京12チャンネル 木曜23:00〜23:30枠
100万ドルゴルフ
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