秋元 知朝(あきもと ちかとも)は、江戸時代中期の出羽国山形藩の世嗣。官位は従五位下・伊賀守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 安永5年4月12日(1776年5月29日) |
死没 | 寛政12年10月24日(1800年12月10日) |
官位 | 従五位下伊賀守 |
藩 | 出羽山形藩世嗣 |
氏族 | 秋元氏 |
父母 | 秋元永朝 |
兄弟 |
修朝、知朝、久朝、了智院、 土井利行婚約者ら |
妻 | 浅野重晟娘 |
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兄・修朝が早世したため、寛政5年(1793年)に嫡男となる。11代将軍・徳川家斉に御目見し叙任されたが、家督相続前の寛政12年(1800年)に早世した。
代わって弟・久朝が嫡男となった。
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