秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバル

秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバル(あきよしだいこくさいにじっせいきおんがくセミナーアンドフェスティバル)は、現代音楽の音楽祭を兼ねた講習会。

1989年より1998年まで開かれた。音楽監督は作曲家細川俊夫。開催地は山口県秋吉台秋芳町、現・美祢市)。ただし、1993年錦町(現・岩国市)、1995年から1997年山口市で開催された。

概要編集

当時はほとんど日本に知られていなかったヨーロッパの最新の前衛音楽シーン(いわゆるエクスペリメンタリズムの音楽)を次々と日本に紹介した。この秋吉台セミナーは、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会をはじめヨーロッパの主要な現代音楽講習会と連動しており、交換留学や講師の招聘という形で、常に最新のヨーロッパ音楽の動向をかなりの程度押えることが出来た。

日本ではミニマリズムの発展系や新ロマン主義など、過去の音楽への再アプローチを試みる、いわゆるマニエリスム音楽の情報は知られていたが、こうしたエクスペリメンタリズムの音楽をまとめて紹介する機会はこれが初めてであり、日本の若い作曲家世代にいわゆる秋吉台世代と呼ばれる新たな潮流を生み出した。

若手作曲家へ指導するという講習会の性格上、講師陣に評価の高い作曲家とそうでもない作曲家に二分される結果を生んだ。しかし、決してこのセミナーで評価の低かった作曲家が没個性的であったわけではなく、現在も活躍中の作曲家も含まれている。

現在、細川俊夫は秋吉台を切り上げ、セミナーの場所を福井県武生市(現・越前市)に移し(組織は継続されず別団体)、武生国際作曲ワークショップとしてヨーロッパとの交換留学制度などを再展開している。一方、秋吉台では組織を大幅に縮小し、湯浅譲二を事実上の音楽監督として迎え、「秋吉台の夏」として運営されている。

受講した若手作曲家の傾向編集

このセミナーを受講した若手作曲家(当時)は、おおよそ1963年から1972年生まれまでの世代がほぼ該当する。1963年生まれの作曲家に伊藤弘之1972年生まれの作曲家には川島素晴がいて、両者ともここで学び作品発表の機会を得ている。後者は秋吉台国際作曲賞を受賞した。またこれらの作曲家たちは特定の学閥(例えば東京藝術大学桐朋学園大学など)だけにとどまらず、その他の音楽大学、特に秋吉台という地理的条件から関西・中国地方の音楽教育機関、あるいは日本の音楽学歴を経ず海外で学んだ者、独学で作曲を学んだ者たちなど、様々な学歴を持つものが多く集まり、セミナーの合宿的な雰囲気の中で情報を交換し合った。

この世代は、それまで積極的に世界の様々な現代音楽の情報を日本に取り入れていた武満徹近藤譲によっても紹介されることのなかった作曲家、あるいは両者が拒絶してしまった作曲家の情報を、細川の主導で秋吉台セミナーによって紹介された機会などを通していち早くオンタイムで摂取し、創作のイディオムに取り入れた。かつて1970年代以降の前衛的・実験的な現代音楽の動向を取り入れることに消極的だった日本の現代音楽界の常識が、最初に塗り替わる時期にデビューしたのが、伊藤弘之中村斉など、秋吉台セミナーに参加し現在も活躍する作曲家(の中でも特に年長の世代)である。

秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバルは第10回まで開催され、秋吉台国際作曲賞は開始時こそ小規模であったが、結果的には前記の川島や原田敬子田中吉史山口淳ら第一線で活動する若手作曲家を数多く輩出した。ただしそれらの作曲家はおおよそ1960年代から1970年代初頭生まれの作曲家に集中しており、1973年生まれ以降の世代にはそれほどの影響は及ぼしていない。無論それらのポスト世代も秋吉台セミナーの後半期に参加していたものもいるが、彼らポスト世代にとってはまだ20代前半の年頃であり、秋吉台セミナー後半期において前半期からの参加者や講師陣が爛熟するにあたって、1972年生まれの川島素晴が1992年に20歳の若き歳で秋吉台国際作曲賞を受賞し鮮烈なデビューを飾ったようなインパクトが薄れていき、川島以降の世代が台頭する機会はこの時期にはまだ恵まれにくかった背景も考慮する必要がある。それらのポスト世代が育ち活躍するのは、細川が秋吉台撤退以降に設立した武生国際作曲ワークショップなど次世代の講習会の機会以降となる。

実際、上記の1963年から1972年生まれまでの秋吉台セミナー参加世代で現在も積極的に活躍する日本人作曲家たちは、自分の作曲語法について、あるいは外部の作曲家や現代音楽の演奏家を招待したりして、公的な場あるいは自分たちの主催する小規模な集まりなどでプレゼンテーションを開くなど、情報の吸収意欲や交換意識がそれ以前の世代と比べてずっと強いのが特徴である。この傾向は明らかに秋吉台セミナー受講という彼らの世代の共通経験に基づいていると言える。またそのようなプレゼンテーションのやり方を広めることによって、これ以降の若手世代への啓発にもなっている。

関連項目編集