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秋田豊

日本のサッカー選手

秋田 豊(あきた ゆたか、1970年8月6日 - )は、愛知県名古屋市中村区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。実業家。現役時代のポジションDF。元日本代表。

秋田 豊 Football pictogram.svg
名前
愛称 アキ
カタカナ アキタ ユタカ
ラテン文字 AKITA Yutaka
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1970-08-06) 1970年8月6日(48歳)
出身地 愛知県名古屋市
身長 180cm
体重 78kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-2003 日本の旗 鹿島アントラーズ 334 (20)
2004-2006 日本の旗 名古屋グランパス 57 (3)
2007 日本の旗 京都サンガF.C. 14 (0)
代表歴2
1995-2003[1] 日本の旗 日本 44 (4)
監督歴
2010 日本の旗 京都サンガF.C.
2012-2013 日本の旗 町田ゼルビア
1. 国内リーグ戦に限る。2008年1月12日現在。
2. 2003年6月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

1998年 W杯フランス大会2002年 W杯日韓大会メンバー。

目次

来歴編集

アマチュア時代編集

小学生時代は野球、中学生時代は夏に野球、冬にサッカーをやっていた[2][3]。中学生時代にはフォワード、センターバックを経験した。愛知高校から愛知学院大学に特待生で進学した。

プロ時代編集

1993年鹿島アントラーズに加入。当初はジーコの推薦で右サイドバックとしてレギュラーに定着し、以降はセンターバックとして活躍。9つのタイトル獲得に貢献した。

日本代表にも選出され、1998年フランス大会のアジア予選が始まった段階ではセンターバックの3番手という立場だったため、4バックが基本のチームで控だった。しかし加茂監督がセンターバックを1枚増やした3バックを導入するとスタメンで出場し、対人や空中戦での強さを見せ評価を急上昇させると、岡田体制になり4バックに移行後もレギュラーに定着。ヘディングで2得点するなど、攻撃においてもセットプレイで大きな武器ともなった。本大会ではアルゼンチンのバティストゥータ、クロアチアのシュケルなど相手のエースのマークを任される。

トルシエ体制では立ち上げ当初こそ召集されるも、まもなく構想から外され召集外となるが、本大会メンバーにまさかのサプライズ選出され、2002年日韓共催大会に、自身2度目となるワールドカップに出場。トルシエ曰く「試合には出ないがチームを纏めるためにベテランが必要」と語っており、実際大会前のテストマッチ1試合の後半途中から出場したのみで、本大会ではフィールドプレイヤーとして唯一出場機会がなかった。

代表監督がジーコに変わると立ち上げ当初はレギュラーストッパーとして召集されるが、バックラインの総入れ替えを断行されて以来、呼ばれることはなかった。

2003年のリーグ終了後戦力外通告を受け、名古屋グランパスに移籍。移籍1年目の2004年はレギュラーとして活躍。以降は増川隆洋の加入や年齢もあって控えに回ることが多くなった。

2006年シーズン終了後に名古屋から戦力外通告を受け、この年J2に降格した京都サンガF.C.へ移籍。出場機会は多くなかったが、リーグ戦3位で進出したJ1・J2入れ替え戦では既に引退を発表した中で2戦ともベンチ入りし、2戦目にはこのまま引き分けなら昇格という場面で後半ロスタイムに出場し、クラブのJ1への昇格を経験した。

シーズン終了後、JFLFC琉球の総監督に就任した元日本代表監督フィリップ・トルシエから現役復帰のオファーがあったものの、これを固辞。現役引退を表明し、2008年シーズンより京都のトップチームコーチに就任することが決定した。

引退後編集

2009年2月1日には、カシマサッカースタジアムにて鹿島アントラーズジュビロ磐田を対戦カードとして引退試合が行われる。同年11月30日には、監督職に必要なS級ライセンスを取得。

2010年7月、成績不振により解任された加藤久の後任として、コーチから京都の監督に昇格した。当初は2011年までの1年半契約となっており、チームがJ2に降格しても続投する方針だったが、就任後2勝3分14敗という不振から2011年度の契約更新を撤回され、わずか半年で解任となった。

2012年東京ヴェルディトップチームのコーチに就任[4]。11月、東京Vとの契約を解除し[5]FC町田ゼルビアの監督に就任した[6]2013年シーズンは前半戦で3位につけるも、天皇杯のシード権を逃し、6月25日に解任された[7]

町田監督退任後の2013年8月23日、ジュビロ磐田がコーチ就任のオファーを出したと一部スポーツ紙で報じられたが、その日のうちに磐田側から完全否定された[8][9]

同年11月2日からテレビ東京系『neo sports』にサッカー解説者として不定期で出演している。

2015年本田圭佑がプロデュースを行っているSOLTILO FCユースとジュニアユースのスーパーアドバイザーに就任。

実業家としても活動しており、サンクト・ジャパンの代表取締役社長としてトレーニング器具の販売を手掛けている[10]

またeSports関連の活動も行っている。N高等学校サッカー部の特別顧問に就任し、2018年アジア競技大会のeSports(ウイニングイレブン 2018)競技に日本代表として出場した選手の指導を行い[11]、2018年9月には元チームメイトの岡山哲也とともに、eSportsの選手育成を行う「eスポーツジャパン」を発足させ、アジア大会や五輪への出場を目標に選手の指導を行うことを発表した[12][13]

引退試合編集

2009年2月1日
鹿島アントラーズレジェンドスターズ 4 - 2 ジュビロ磐田レジェンドスターズ
深井正樹   58分
秋田豊   77分78分88分
高原直泰   22分
松原良香   56分
出場選手
  • 鹿島アントラーズレジェンドスターズ
高桑大二朗名良橋晃秋田豊奥野僚右相馬直樹本田泰人サントス石井正忠増田忠俊黒崎久志マジーニョ曽ヶ端準内藤就行岩政大樹池内友彦金古聖司本山雅志中田浩二熊谷浩二野沢拓也小笠原満男長谷川祥之深井正樹鈴木隆行
  • ジュビロ磐田レジェンドスターズ
大神友明山西尊裕古賀琢磨渡邉一平名波浩福西崇史藤田俊哉三浦文丈川口信男高原直泰中山雅史佐藤洋平鈴木秀人大岩剛田中誠西紀寛倉貫一毅松原良香

所属クラブ編集

プロ入り前経歴
プロ経歴

個人成績編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1993 鹿島 - J 35 0 5 1 5 2 45 3
1994 38 4 1 0 0 0 39 4
1995 50 0 - 4 0 54 0
1996 16 0 4 0 3 0 23 0
1997 3 21 3 2 2 5 1 28 6
1998 32 3 1 0 4 0 37 3
1999 J1 28 2 6 1 2 0 36 3
2000 28 1 7 0 4 1 39 2
2001 29 2 6 1 2 0 37 3
2002 29 4 8 0 5 1 42 5
2003 28 1 5 0 4 1 37 2
2004 名古屋 2 26 0 7 0 2 0 35 0
2005 19 1 0 0 2 0 21 1
2006 12 2 3 0 1 0 16 2
2007 京都 J2 14 0 - 0 0 14 0
通算 日本 J1 391 23 55 5 43 6 489 34
日本 J2 14 0 - 0 0 14 0
総通算 405 23 55 5 43 6 503 34

その他の公式戦

  • 1993年
  • 1996年
  • 1997年
  • 1998年
    • スーパーカップ 1試合0得点
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
  • 1999年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2000年
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
  • 2001年
    • スーパーカップ 1試合0得点
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
  • 2002年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2007年
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2002-03 鹿島 3 3 0
通算 AFC 3 0

その他の国際公式戦

獲得タイトル編集

クラブ編集

鹿島アントラーズ
  • Jリーグ年間王者 4回 (1996年、1998年、2000年、2001年)
    • Jリーグ1st優勝 2回 (1993年、1997年)
    • Jリーグ2nd優勝 3回 (1998年、2000年、2001年)
  • 天皇杯優勝 2回 (1997年、2000年)
  • リーグカップ優勝 3回 (1997年、2000年、2002年)
  • スーパーカップ優勝 3回 (1997年、1998年、1999年)
  • A3チャンピオンズカップ優勝 1回 (2003年)

個人編集

  • Jリーグベストイレブン 4回 (1997年、1998年、2000年、2001年)
  • JリーグチャンピオンシップMVP (1998年)
  • AFC All Star Team (1998年)
  • A3チャンピオンズカップMVP (2003年)
  • アントラーズ功労賞 (2009年)

代表歴編集

出場大会など編集

試合数編集

  • 国際Aマッチ 44試合 4得点(1995-2003)[1]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
1995 2 1
1996 2 0
1997 16 2
1998 10 0
1999 7 0
2000 0 0
2001 0 0
2002 3 0
2003 4 1
通算 44 4

指導歴編集

監督成績編集

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 ナビスコ杯 天皇杯
2010 J1 京都 17位 9 20 2 3 15 - 3回戦
2012 J2 町田 - - - - - - - 4回戦
2013 JFL 3位 31 17 9 4 4 - -
  • 2010年は第15節より指揮。(第15節は監督代行として)
  • 2012年は天皇杯4回戦の1試合のみ指揮。
  • 2013年は第17節、解任時の成績。

著書編集

脚注編集

  1. ^ a b “秋田 豊”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_a/yutaka_akita.html 
  2. ^ プロ論
  3. ^ 有名人スポーツワンポイント講座
  4. ^ 秋田 豊コーチ就任のお知らせ”. 東京ヴェルディ1969 (2012年1月16日). 2013年9月6日閲覧。
  5. ^ 秋田 豊コーチ契約解除のお知らせ”. 東京ヴェルディ. 2012年11月26日閲覧。
  6. ^ 秋田豊氏 監督就任のお知らせ”. FC町田ゼルビア. 2012年11月26日閲覧。
  7. ^ 秋田豊監督 解任のお知らせ”. FC町田ゼルビア. 2013年6月25日閲覧。
  8. ^ 降格圏脱出へ!磐田 秋田氏にコーチ就任の緊急オファー”. スポーツニッポン. 2013年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月23日閲覧。
  9. ^ 【磐田】秋田豊氏のコーチ就任を完全否定”. 日刊スポーツ. 2013年8月23日閲覧。
  10. ^ 片渕茜 (2018年6月6日). “【トレたま】日本代表の“ゴムトレ”!?”. ワールドビジネスサテライト. テレビ東京. 2018年6月7日閲覧。
  11. ^ 笠井智大 (2018年7月23日). “eスポーツの“翼くん”―わずか3年で大舞台への切符をつかむまで”. 読売新聞社. 2018年9月10日閲覧。
  12. ^ eスポーツ育成、元グランパス岡山さんら新会社”. 読売新聞社 (2018年9月9日). 2018年9月10日閲覧。
  13. ^ 吉崎エイジーニョ (2018年9月8日). “元W杯代表・秋田豊はなぜ、eスポーツ最強を志す「STAND UP UNITED」にガチ参戦するのか?”. Yahoo!ニュース 個人. 2018年9月10日閲覧。
  14. ^ ネット部活”. N高等学校(通信制高校 広域・単位制). 2017年11月12日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集